行奮武将軍

第50話 酸棗・反董卓連合・記録係り楽進くんの憂鬱

 世界は変わってしまった。一人の男によって。

その男の名は、董卓とうたくあざなは仲穎ちゅうえい

約一ヶ月前まで地方役人をしていた男である。


彼はこの国で最も重んずるべき漢王室の正式な帝を廃し、自分が気に入った新たな帝を勝手に擁立してしまう。


 人々は突然の暴君の登場に息をひそめる事しかできなかった。目をつけられると、子供が虫を潰すように簡単に処刑されてしまうからだ。

じっと嵐を耐えるように、人々はまた世界が変わるキッカケを待ち続けた。


焦れるような年の正月、ついに打倒董卓というわけで、各地の太守や豪族が一斉に挙兵したのであった。

彼らは反董卓連合と呼ばれ、その主将には由緒正しき名家の袁紹本初が選ばれた。

 

……はあ、袁紹がまた上司となったわけだ。


少女はひそかにため息をついた。


……そもそもこんな大変な事になったのはあの人の弱気とのろまも原因じゃないのかな。

それなのに責められない所か、一番えらい地位に就いちゃうんだからオトナ社会って奇怪だ。……ま、私も中身はおっさ、いや、オトナ美青年だけど。

あらためて、生まれや血筋が良さの有利さを思い知っちゃうな。

ま、ひがんでも、そこは変わりようがないから仕方ない。


……それにしても、いつもはのんびりの袁紹も、今回は人々の期待もあるし、さすがにまったりはできないだろうな。


それから何事もなく一ヶ月が経ち、すでに二月になっていた。



「曹奮武将軍」


 手狭な幕舎の中で、二巻の竹簡を持った記録係の小柄な青年が呼びかける。

顔つきはまだ少年の面影が残る人物である。


「本日の訓練の結果です」


少女は小さな机の上で算木を並べて何やら計算しながら答えた。

「話したまえ」


「脱落する者がここ数日、止まっております。

体力のない者と、やる気のない者が消えたという事でしょうか。

あと要望が出ております。


夏侯淵隊長と曹洪隊長が、騎兵を増やしたいと申しておりました。

馬を買うわけですが、そんな予算はありますか?

もしも断るならおっかないので、お二人には、あなたから説明してください」


少女は作業を続けたまま答える。


「わかったよ。ここで二人に拗ねられたら困るから予算は無理やり出すよ。

馬は、君が値切って買っておくれ」


「わかりました」

記録係はうなずくと、すばやく携帯用の筆と墨を使って布の覚え書きに記す。


「あと頼まれておりました資料です。

全軍からとくに成績のよい者と、特技のある者を記しました」


 少女はやっと顔を上げて差し出された竹簡を受け取った。

目を通されている間、課題を提出した学生のように記録係は視線を泳がせた。

実際、最近まで学生だったような年頃である。


「ふむ、やはり君は観察力が鋭く、まとめるのも上手いね。

楽進がくしんくんは、このまま記録係を続ける気はないのかい?」


 楽進、あざなは文謙ぶんけんは安堵しつつも、すでに何度か問われている内容に、悩ましい表情で答えた。


「お褒めいただき、ありがとうございます。

しかしやはり私は、私は兵士として自分の力を試してみたい気持ちが強いのです。

今も合間を縫って自主練習を続けています。

できれば明日からでも、皆と一緒に訓練に参加したく思っている次第なのです」


言い慣れてきた答えを伝える。


「君の気持ちは本当に堅いようだね。


しかし申し訳ないが、今は我慢して記録係を続けてほしい。

君がいないと、とても困る事になる。

兵士希望の件は時期を見て、また必ず考えさせていただくよ」


「わかりました。我慢します。でも必ず、考えてくださいね」

そして記録係は少し躊躇してから、意を決したように口を開いた。


「前から気になったのですが。私が兵士になれないのはもしかして、私が小柄だからですか?」


少女は目をパチクリとした。

今さらだが、彼が弱小の自分の軍に流れ着いた理由を垣間見た気がした。


「ふふ。まさか。体格なんて関係ないよ。

私も小柄だったし、今はさらに、華奢になったし。

だけど私だって場合によっちゃ一兵卒として戦うつもりだよ。


ま、指揮官、将軍が戦闘するなんて一番ダメな戦い方だからしたくはないけど。

指揮官が指揮をせずに戦闘するのは、その戦略や作戦が失敗だという証拠だ。あ、話がズレたね。


君に記録係をしてもらっているのは、単純に、君の代わりがいないからだよ。

観察力と分析力があり、それを簡潔にまとめてくれる。

それに買い物も上手いし、おつりも誤魔化さない。


君は自分では気づいていないかもしれないけれど、優秀でとても誠実な人だ。

私も皆も、君がいてくれて、とても助かっているんだよ。

だからすまないけど、代わりになるような立派な記録係が現れるまで、今の仕事は続けてほしいんだ」


聞いている青年は、ホッとしたり、ガッカリしたり、気持ちを上下させたが、最後はやたら褒められて、そのうち照れた笑みまで浮かべた。


おだてられているだけかな、と冷めた疑いも浮かぶが、しかし、青年は素直に自信を持つ方を選んだ。

……やりたくない仕事なのに、ちょっと褒められるとやる気がでるんだから、私は単純だな。ま、今はうまく乗せられて、いつか兵士になれるまで頑張ってみよう。


 つづく

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