第47話 陳留・奸雄を創った一人・衛茲

 郊外にある一際大きな屋敷が、衛茲えいじあざなは子許しきょの住まいである。


友人の張邈ちょうばくの紹介で、彼とは出会った。

「いつか今の世を良くしてくれるのは君だろう」

親しくなった彼がしずかに伝えた熱っぽい一言は、今でもやけに心に残る。


追われる身となり、一時、友人である彼を頼ろうした。

だが狂った人生の上に、さらに狂い重なるような理由が生じ、その必要はなくなった。

よって衛茲とは会わずに、この陳留の街を去るつもりだった。


 しかし奇妙な事に、今、彼のもとへ向かっている……。 


……衛茲殿の迷惑にならないように、早く立ち去ろう。

少し話をするだけだ。

それでお互い、なにかが、変わるわけでもなし……。

 

 不思議にも、広い敷地をいくら進んでも、使用人一人見かけない。

屋敷内へ入っても、誰とも会う事はない。

ずっと、衛茲の間者という女一人に案内されて進んでいく。


「お久しぶりですね。孟徳(もうとく)殿」


 ようやく見た人物は、この屋敷の主人であった。

客間は大きな火鉢で春のように暖められ、飾り格子からは陽が明るく射している。


衛茲子許えいじしきょは、いつもと変わらない笑みを浮かべ、出迎えてくれた。


二人は拱手し、深く頭を下げた。

小声で話す必要があるために、そばに寄り、向かい合って座る。


「貴方を見つける事が出来て、本当に良かった。

しかし、間者の話によると、中牟を脱獄してすぐ私の所に来てくれるかと思っていたが、そうではなかったようですね。

街でのんびり買い物をしていたとか。

もしかして、良いあてがありましたか?そちらに行きますか?」


少女は顔を赤くした。


「いえ。その、私も最初は、あなたを頼ろうと思っていたのです。

ですが近頃は疎遠でしたし、あなたのご家族にも多大な迷惑もかかる事ですので、悩んでしまいました。


ですがまさか、このように以前と変わらず、いや、それ以上に大事に迎えていただいて、本当にありがたい限りです」


「確かに貴方とは、話す機会がなかったですね。お互い、忙しかった」

衛茲殿はお茶を注ぐと、少女の前に差し出した。


「貴方は、私が最後に見た姿とたいぶ変わられましたが、しかし貴方自身は、何も変わっていない」

彼は相手の瞳をまっすぐ見つめて言った。


「黄巾賊討伐でご活躍された話も、済南国で賄賂罪に関わった役人を全員解雇した話も、皆、聞いております。


やはり貴方は、私が見込んだ人だと思いました」


衛茲は三十路半ばに入っているが、その瞳にはまだ少年のような輝きが宿る。

至近距離で優しく微笑まれると、少女は頬を赤くした。 


「お褒めいただき、痛み入ります」

「ところで、この先、どうしようと思っていらっしゃいますか?」


少女は、ドキッとした。

この雑談に紛れた質問には、人生を左右する大きな選択肢が潜んでいる。


……はいっ実はとある豪族の方と結婚して隠棲しよかと思っておりました。

とは、即答できなかった……。


 少女は気を取り直すように、居住まいを正し、応える。

「私としては、董卓は遠からず失脚すると思っており、それをどこかで待つつもりでした。

お恥ずかしい話ですが、今の私は完全に無力で、それしか手段がなかったというのも理由です」


「なるほど。では、もしも今、あなたにお力があれば、どうしたいと思いますか?」


少女は唐突な、もしもの話を想像して、苦笑いを浮かべた。

「もちろん、また、世の中が穏やかになるなら、そのために働きたいですよ……」


「その為には、命をも賭けられるものでしょうか?」


少女は白い歯をみせて、困ったような、切ないような笑顔になった。

「私は役人になった時からずっと、自分なりにそれを賭けていたつもりです」


衛茲殿は唐突に、深く頭を下げた。

「大変失礼な事を言いましたね。今さら、あなた様に尋ねる質問ではありませんでした。

これは極秘ですが…」


衛茲殿は、さらに膝を詰めると、耳元に口を寄せた。


「実は今、董卓を討つため、地方各地で決起しようとする動きがあるのです。

私の主人、陳留太守の張邈ちょうばくも、その予定です」

それは、消え入るかのようなささやきで告げられた。


「私も当然、参加する予定です。

この屋敷も処分して、お金に変え、そして、武器や兵士に変えます。

しかし正直言って私は自分が、上手く軍隊を指揮したり、戦場で戦えるのか、わかりません。


兵士や武器が宝の持ち腐れになるのではないかと心配しています。


なので私は、あなたのように才能や実力のある人に投資して、助ける方が良いではないかと、考えていたのです」


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る