第44話 中牟・再会
突如、甲高い乾いた音が響いた。
青年が連れている馬が、枯れ枝を踏んでしまったのだ。
つい両目を固く閉じて、顔を伏せる。
禍々しい何者かに、完全に自分の位置を把握されたのを感じた。
……人はいつか死ぬものだ。どうせここで死ぬなら……。
意を決して、大きな声で言った。
「私は、夏侯惇元譲という者です。
人を探していて、ここには、迷って……あっ。いや、来ただけです。
敵意はありません。大人しく去ります。
どうも、お邪魔いたしまし……」
言い終わる前に、左斜め下から強い衝撃があった。
まずい事に、その方向から迫られると、抜刀できない。
異様に冷たい腕が、いとも簡単に首まで伸びていて、ゾッとした。
首を引っかかれる、と焦り、相手の胴体を強く掴んで引き離した。
が、その体格と重さには、なんだか覚えがあった。
青年は相手を確認するように胴体を掴んだまま、夜目を凝らす。
「あははっ!まさか、元譲殿がここに来るとは思わなかったよっ!」
子供のように抱えられた少女は、喜びで手足を動かし、元気に言った。
「あらまあ!こっちこそ、まさか?!ですよっ。それとも、イタズラな物の怪が、私を化かしてるんじゃないだろうね?」
地面に降ろして、改めてきつく抱きしめると、少女はもがきながらも器用に青年の着物をまさぐった。
そして鋭く肋骨の間に指を突き入れると、青年は突然の激痛に腹を抱えて倒れた。
……さ、さっきは自分から抱きついてきたくせに、なんで……。
苦悶しながらも、こんな適切に急所を突いてくるのは物の怪や幻覚はなく、それこそ探していた人物だと確信し、再会を喜んだ。
青年に焚火を大きくしてもらい携帯食の餅を焼いてもらうと、少女はがつがつと貪った。
そしてようやく落ち着いたのか、突如異様に笑い出した。
「ねえ、君が来たという事は、私はよほどおかしな所にいたという事かな?あははっ!」
とにかく機嫌がいいらしい。
「それってどういう意味?私が来るのが、おかしな所って、もしかして失礼な事を言っているんじゃないだろうね?
ま、とにかくあなたが無事で本当に良かった。
このまま、あなたに会えなくなったら、私は彷徨い人になっていたかもしれません」
「だからといって、こんな時間にこんな所まで追ってくるなんて。
君はつくづくへんなヤツだよ。
あなたにかかったら、まるで時空を超えて私を追ってきそうだね」
「時空ってなんですか?」
「時間と空間の事じゃ」
「へえ?まあ、あなたに嫌われない程度に、私は追いますよ。
それと、あなたもどちらかというと変人の部類だと思いますから、私ばかり変人扱いしないでください」
そう言われて、少女は心から愉快そうに笑った。
そして笑い終わると、笑顔のまま姿勢を少し正して青年を見つめた。
「ねえ。ところで、君はもう帰りなよ。あとは私一人でも大丈夫だからさ」
「えっ?」
青年は目を丸くして、相手を見返した。
「君だから話すけど、私はもう、行先を決めたんだ」
少女は器を両手で揺らし、白湯が波打つのを見ていた。
「最初は、実家まで帰ろうと思っていたんだ。
でももうきっと、そこまで行くのは、無理だ。
だから、この近くの知り合いを、頼る事にしたんだ。
ただ、その人が私をかくまってくれるかは、わからないけど。
いや、ハッキリ言って、かくまってもらえる確率は低い気がする。
もしも私をかくまったのがバレたら、董卓はその人だけでなく、家族全員を死罪にするだろうからね」
相手が何も言わないので、少女は続けた。
「そんなわけで、君だって私と一緒にいたら巻き添えを食ってしまうよ。
君だけじゃなく、一族全員、死罪になる。
だから、私とはここで別れないといけないのさ」
そう言うと、少女は急に元気が切れたようにガックリと頭を下げて、大きなため息をついた。
「まったく董卓たった一人のせいで、私の人生は台無しだ」
「ねえ、君。大事な事を一つ、忘れてない?逃亡先の候補だけど」
青年の思いがけない一言に、少女は驚いて顔を上げた。
「えっ?!」
……な、何だ?そんな、頼れる人が他にいたっけ?
「君、今、官位はどうなったの?」
問われて、少女はキョトンとして答える。
「は?官位なんて、さっぱり無くなったけど。
董卓からは驍騎将軍を頼まれたけど、それがイヤで逃げ出してここにいるのだから」
「無職だね」
「そうだね無職だよ」
その答えを聞き、焚火の炎越しの青年は淡々と言った。
「君、無職になったら私と結婚するって約束、忘れてるの?」
つづく
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