第41話 中牟・投獄
捕縛されて関所の役人たちと共に外へ出ると、夕暮れの冷えた風に煽られた。
少女は思わず身をこわばらせる。
中牟の県令庁へ連行されると、次はそこの役人に引き渡された。
縄を引かれて、薄暗い建物の奥へ連れられ、県令の執務室へ通される。
やや太り気味の紳士である県令が人払いをしたので、部屋には捕縛された少女と彼の二人きりだった。
火鉢の炭は静かに熱を発し、灯りからはほのかな香油の匂いが漂う。
少女は思わず人心地がついて、安堵の息までついた。
「暗くなってきたので、わたくしは、帰宅しようしていた所でした」
県令は柔和な笑みを浮かべつつ言った。
罪人の少女は、あまり言葉を発したい気分ではなく、ただ黙って彼を見つめていた。
県令は続ける。
「ですが大変めずらしい方がいらっしゃると聞いて、ぜひお会いしたいと思いまして、残っていました」
そして、柔らかく微笑む。
「あなたのお名前と経歴は、よく知っております。
このような状況ですが、お目にかかれて大変光栄です。
……それでは、一枚、書類を作ってから、わたくしは帰るとします。
あなたを洛陽の官史に引き渡すまで、厳重に監獄に収容するという内容です。
それまで、立ったままで申し訳ないですが待っていて下さい」
そして彼はやけに時間をかけて作業をした。
少女は無言で、しかしひそかにありがたく生涯最後かもしれない穏やかな時間を過ごした。
やがて書類ができると、息が凍るような夜空の下を歩き、獄のある建物へと連れられた。
次は、小さな松明を持った看守に引き渡される。
彼に案内された先は、地面にぽかんと空いた入り口で、奥は真っ黒である。
促され、つま先を差し入れると階段がある。
看守は明かりを持っているが、それはほとんど彼の周りしか照らさず、少女の足元は暗い。
慎重に一段すつ降りるたびに、周囲の気配が重くなるのを感じる。
そして獄が並ぶ空間は、まるで腐った墨汁のようにドロリと淀んでいた。
看守の松明に照らされ、束の間、いくつかの鉄格子の箱と、その中に入れられた先客たちが垣間見える。
……鉄格子とは珍しい。この街には鉄細工の良い職人がいるのだろうか。
と、少女は他人事のように思いつつ歩いていく。
先客たちは色々と喚いているが、動物の声のように聞き流した。
そして誰もいない鉄格子の部屋の扉が開かれ、そろりと中に入ると、やっと縄を解かれた。
礼を言おうしたとたん、強く突き飛ばされて倒れ込む。
そして大きな金属を立てて扉が閉められた。
隣の牢から大きな手が伸びて掴まれかけたが、逆に相手の指を掴んで反り返させて逃げ出し、中央に座り込んだ。
両側からまだ捕まえようとする手や、罵倒が聞こえるが、少女の頭には洛陽に連行された後の事ばかりが巡っていた。
……家族連座で一族皆殺しにされるのだろうか。
そして、一体、どんな拷問を受けるのだろう。
自分だけならいいが、家族まで酷い目にあうかもしれない。
……董卓は宴会で、自分に反抗的な人間を死刑にする際、手足や目を生きたまま潰し、その悲鳴を聞きながら酒を飲むという。
圧倒的な権力を手に入れてやる事が、そんな事だなんて、悲しい話だ……。
とはいえ、今は残虐なだけの董卓も、始めは自分なりに理想の政治を執り行うつもりで頑張っていたとも聞く。
その名残は、今でもささやかながら感じられる。
たとえば、逃亡した袁紹を罰するどころか、官位を与えている事だ。
できるなら今からでも、権威ある血筋である彼を、自分の臣下に加えたいのだろう。
だが、袁紹は逃げたままだし、彼以外にも絶え間なく人材が流出し続けたのだろう。
……私のような下っ端役人の自分にまで声をかけてきたのだから、相当な人不足に陥った事は明白だ。
さらに言うと、下っ端役人の私でさえ、彼から逃げ出しているんだ……。
董卓は圧倒的軍事力と政治的権力、伝説級の官位まで持っている。
だが、それだけで人はまったく従わない、という事を教えてくれた。
それを、忘れてはいけない……。
ふと、冷気が頬を撫ぜ、我に返った。
どれほど物思いに耽っていたかわからないが、手足の指先はほとんど感覚がない。
じっとしていると体温を失い、寒さも余計に身に染みる。
少女は檻によじ登ると、そのまま天井にぶらさがり、真ん中あたりまで移動すると腕の力だけで身体を持ち上げ始めた。
あわよくば自分の重みで格子が壊れないかと思ったが、びくともしない。
……おお、これは!木の枝でやるより、鉄格子の方が持ちやすくて、やりやすい。
もしも無事に家に帰れたら、こうやってぶらさがる棒を作ろうかな?
現実逃避するように、何度も自分の身体を上げ下ろしを続け、体力の限界に挑戦し始めた。
「……さま」
声が聞こえた気がしたが、極限の中の幻聴かと思った。
歯を食いしばり必死な形相で足をおっぴろげ、ギリギリと身体を持ち上げる。
「孟徳さまっ?!」
明らかな呼びかけに、少女は、ひどい有様のまま、振り返った。
小さな灯りに照らされた若い役人の顏を見ると、ハッとして手を離して飛び降りる。
素早く彼のそばに駆け寄った。
「も、孟徳さま、眠っていると思っていましたが、まさかぶら下がって運動されてるとは思いもよりませんでした」
そんな事どうでもいいよっ!と思いながら、少女は答えた。
「君、どうしてここに!?助けてくれないかっ」
「もちろんですっ」
青年は力強く答えた。
つづく
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