第40話 中牟・捕縛

「そうです。それは、曹操さまの剣です」

いまや立ちすくんで震える男の背後から、少女は突如声を発した。

「精工な複製品を作ってくれと依頼され、運んでいる途中なのです」


役人二人は、今まで男の背中に隠れるように立っていた少女をまじまじと見つめた。


「へえ。僕以外にも、曹操様を慕っている人がいるって事なのかな。

それならとても嬉しい事だ」

若い役人は少女に笑顔を向けた。

年高の役人は、袖から手配書を出し、それを若い役人に渡した。


「これを見てくれ。これはさっき届いたばかりの手配書だ。

名前は、その曹操という人物だ。


確か、お前、西園八校尉の閲兵式やら、何かあると洛陽に行っては曹操様を見物しているよな。

近くで見た事はあるのか?

どうだ?この娘が、その人ではないのか?」


「えぇっ?!」

若い役人は仰天して、手配書を受け取った。


「まさか!曹操さまが、こんな目の前にいるわけないでしょう!

ただの、似てる人ですっ」


 青年は、眉根を寄せて、疑わしいとされる少女を見つめた。

が、やがて、ハッと目を見開き、無言で口元に手を当てた。

その反応に、少女は困ったように口を開く。


「すみません、お役人さま。

たしかに私はその人に似てると言われた事はあります。

世の中にはそっくりな顔が、何人かいるらしいですからね。

ところで、私たち、商談の時間が迫っておりますので、早く先に進みたいのですが、まだここを出られたいのでしょうか?」


「そうですね」

年高の役人は、冷ややかな声でバッサリと答えた。


「申し訳ないが、キミたちには取り調べを受けてもらう事にした」


「ちょっとっ待ってください」

この状況に一番早く反応したのは、若い役人だった。


驚いて上司は部下を見つめる。


青年の瞳は、これまで見た事がないほど真剣だった。

彼はささやくような小声になり鋭く言う。


「真偽をハッキリさせて、その後、どうするおつもりです?」

今まで聞いた事のない、低い、気圧されそうな声だった。


「もしもこの人が本当に曹操だとして、あの董卓に渡すつもりなのですか?」


若い役人がハッキリと反政府的な言葉を言った事に驚き、役人は言葉を失った。

青年は続ける。


「もしそのつもりなら、正気の沙汰と思えません。

曹操様は地道に、世を良くしようと尽くしていた人なのですよ。

平民でも高官でも法律を厳守させて、多くの汚職を取り締まり、黄巾賊討伐もしてくれた人です。


そのような人を董卓に引き渡したら、まるで私たち自身が、世の中を悪くするのに加担するようなものではないですか?


みんな、董卓の悪政にはウンザリしているのに、なぜそんな悪いヤツに協力するのです?


ここは、曖昧なまま、この人たちを通過させるべきです」


 青年の小声の熱弁を聞き終わると、年高の役人は感情を消した目で見つめ返し、口を開いた。


「私たちはこの国の役人だ。国の命令に従うのが仕事なのだ。

そうしないと、我々が処罰対象にされる」


そう即答すると、大きな声で監視たちを呼びつけた。

父役の男は監視たちに強く腕を引っ張られたとたん、腰でも抜けてしまったのか、へたり込んだ。


 少女も腕を掴まれつつ、その様子を見ていたが、すっと背筋を伸ばした。


「諸君。お仕事、ご苦労さま。取り調べではなく、ぜひここで私の名を乗らせていただきたい」


 少女は強く掴まれた腕を、さらに強く振りほどきながら言った。


「初めてまして。私は、曹操、字は孟徳と申します。

先ほど、そこの彼が言われた通り、以前は元西園八校尉典軍校尉を勤めておりました。

昨日、董相国に驍騎将軍の位で出仕の要望がありましたが、傍若無人が目立つ彼の下で働く事は拒否いたしました。


ですので不本意ではありますが、今は官位もなく、ただの逃亡者の身の上です。


しかし、どのような身になろうとも、私は世の平穏が戻るように命を懸けて努力するつもりです。

それはあなた方や、董卓の虜になっても、変わる事はありませんよ」


 背筋を伸ばしているせいか、小さな声だが、やけによく響いた。

そして、わずかに表情を柔らかくして続ける。


「ところで、そこの可哀想な私のお供を、自由にしてやってください。

その人は金で雇われているだけで、ここには命令されているのです。

私の事も、事情もほぼ知らない人間です」


父役の男は解放されると泣きながら謝り続け、その姿に、少女は小さな苦笑いを返した。


 やがてひどく暗い顔をした若い役人が拱手したので、少女も拱手を返した。


「このような場ですが、お会いできて光栄です、曹孟徳様。

私の名前は張久(ちょうきゅう)と申します。

功曹(こうそう)の見習いと手伝いをしています。


すみません、私の力が足りず、とても心苦しくありますが……。

あなたは洛陽に、董卓の元に送らねばなりません。


董相国は苛烈な方です。

あなたを見逃せば、この中牟の関所全体の責任になり、ここに勤めている皆とその家族全員さえ死罪にされるかもしれないと言われて……。

私はどうしたらいいか、わからなくなってしまいました。


……ですので今から身柄は、県令へ引き渡したいと思います……」


「わかったよ。私の為に力を尽くしていただいて、ありがとう」

少女の礼に、青年は何も言わずたた深く頭を下げただけであった。


「ところで、縄にかけられるなんて、今日が初めてなんだよね。

できればきつく縛らないでほしいんだけど」


「は、はい。それは、もちろん」

若い役人はゆるゆると、少女を後ろ手に捕縛した。


つづく

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