第39話 中牟・関所の魔物

 虎牢関、という洛陽の最大の難関と思われた関所をあっさりと通過した時だった。


……あれ私、意外と簡単に逃げ切れるかもしれん。

と、少女はひそかにニヤリとした。

……まさか誇り高き軍人が女の恰好などすると思われていないのだろう。

女装作戦は大成功じゃ。完全に世間に馴染んでおる。


今は小娘の姿なので、女の服装は女装でも作戦でもなんでもないかもしれないのが、とにかく大満足していた。


 そして、中牟(ちゅうぼう)という、田舎の小さな関所にやってきた。

ここも他と変わらず、やる気のない役人たちが旅人たちを流れ作業で通過させている。

その中で、役人はふいに軽い調子で声をかけてきた。


「おや、これは珍しいお品物ですなぁ」

その手荷物検査の役人は、かすかに目を見張っている。

「この二対の剣。これほどの細身は初めて見ました。鞘もよく見ると、細工がとても美しい。特注品ですな」

 

 少女の父親の役をしている、お共の男が、それに愛想よく答える。

「ええ。これは希少な品で、ある高貴な方のご注文の品なのでございます。

申し訳ありませんが丁寧に扱っていただければと思います」


 注目された細身の二対剣は、いつもは袋に入れて持ち運び、そのまま検査へ渡していた。

たいていは中身をちらりと見られるだけ、あるいは確認もない場合もあった。


 しかしこの役人は、違う。

剣など、男なら誰でも佩いでいるもので、なんの珍しさもない。

だが、まるで宝物でも発見したように、剣から目を離さなかった。


「刀身を見せてもらってもいいかい?」

「えっ」

 父役の男は、わずかに眉を寄せた。


「やめて下さい。万が一、刀身に傷がついたら、商談がなくなってしまいます。

私たち一家は生活ができなくなります」

とっさの嘘は悪くない内容だったが、役人は笑みを返しただけだった。

「その時は、私が買わせてもらおう」

そして相手は剣を持ち上げる。


「おお、まるで羽のように軽い。素材からしてとても特殊だ」

うっとりとした目で柄に手をかけると、静かに抜刀した。

愛好家らしく、扱いはとても丁寧ではある。

役人が剣を動かすたび、白銀の残光が空間を煌めかせた。


「すごい……。こんなに明るく鋭い輝きは、今まで見た事がない」


「ありがとうございます。

しかし、それは人様の持ち物なのでございます。

これ以上は、ご勘弁ください。

その代わりにこれを全部差し上げます」


父役の男は財布ごと役人に渡そうとしたが、肩をすくめられただけだった。


「金などいらない。

代わりに、この対になっている剣も見せていただきたい」

「うっ……」

男は強く拒否して妙な騒ぎになる事を恐れ、もはやうめき声でしか返答できなかった。


「ほう、こちらは本当に稀だ。黒鉄の刀身か」

役人は憑かれたような目をして、その漆黒の光に魅入った。

「こちらは、夜戦で使うと目立たず良いな。


なるほど、先ほどの白銀剣は昼に使えば、太陽の光を反射して目をくらますができる。

この二対の剣は、理にかなった造りをしている。

これを注文した高貴な者というのは、高位の軍人、それも、実戦に出るような人物かな?」


やけに鋭い推測に、父役の男は急に身体が震えだすのを止められなかった。


「す、すみません。剣の主の名前は絶対に明かさないようにと、強く言いつけられているのです。どうか、もう、許してください」


男が青ざめた顏で必死で頭を下げる様子に、役人はキョトンとしてから苦笑した。


「わかったよ。まるで私がいじめているみたいじゃないか」

ようやく剣を鞘に戻す。

「その困りようを見ていると、名残惜しいが、返すしかないな」

「ありがとうございます」

父役の男が何度も頭を下げるので、役人は呆れたように笑った。


「それにしても、そんなに震えて、変なヤツだ。

この二本の剣の注文主は、よほどに怖い人物のようだな」

和やかに笑った後、突然「あっ」と鋭く声を上げ、役人は真顔になった。


 そして返そうとしていた二本の剣を乱暴に鷲掴みにすると、音を立てて自分の元に引き寄せる。


その唐突な態度の変化と、剣への雑な扱いに、父役の男は絶句して目を見開いた。


「白銀と黒鉄の剣。聞き覚えがある……」

そうつぶやくと役人はそばの雑用係に耳打ちした。

雑用係は小さくうなずくと、小走りで奥の部屋へ消えていく。


長いのか、短いのかわからない、気味の悪い不安定な時間が流れる。

先ほどの雑用係が、少し迷惑そうな表情をした若い役人を連れて戻ってきた。


「どうなさったのですか?私も忙しいのですよ」


怪訝そうに上司を見たが、その手元の双剣に視線を移すと、彼は興奮した。


「これは曹操様の剣ですね!模造品かな?それにしても、そっくりじゃないですかっ!」

若い役人は喜びが抑えられないといった様子で叫んだ。


つづく

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