第35話 洛陽・終わりと始まりの日
深夜の北邙山の城には、首都洛陽から高位の百官たちが集まりひしめいていた。
そして誰が董卓との会議に出るのか、さらには誰がどの部屋で休むかなど、そんな事で貴重な時間を浪費している。
……天子がお目覚めになるまでに会議どころか、この優位争いさえ終わっていないのでは?
そんな白けた空気が漂う中、少女は青年と石床の講堂のすみで官軍の兵士たちと雑魚寝していた。
宮廷の高官が多数いるせいで、一軍の指揮官である少女でさえこのような扱いなのである。
翌朝、周囲の物音で目を覚まし、二人は寝不足の顏で見合った。
石床はひんやりしているのは良かったが寝心地は最悪で身体の節々が痛んだ。
そして会議の結果を聞いた少女は、かすかに眉をひそめた。
「結局、董卓も宮廷に来るらしい。
軍隊は洛陽の外に待機するというが……その約束は本当に守られるのだろうか」
天子は眠る前に、閔貢(びんこう)と董卓の二人に助けてもらった、と仰ったという。そのため董卓を適当にあしらう事ができなくなってしまったのだ。
「ちょっと心配しすぎではありませんか?
宮廷で董卓にお礼をして、ではさようなら、でしょう?」
元譲は、井戸水を含ませた手ぬぐいで顏を拭きながら言った。
少女と青年は混雑を避け、すみっこの静かな場所で身繕いをしていた。
手ぬぐいを着物の隙間から差し入れて、身体も軽く拭う。
「そうだといいけど。だけど、昨日の董卓の粘り方からしてあっさり帰還するとは、私は思えないな。
万が一、洛陽に戦争慣れした董卓軍が電撃的に侵入したら、それでもう彼の勝ちだ。
洛陽は民間人はもちろん、貴族や大商人、有力者、名士が住んでいる。
彼らが犠牲になるかもしれない市街戦なんて、とてもできない。
さらに朝廷に押し入り天子を人質にしてしまえば、完全に誰も抵抗できなくなる。
そして天子から詔(みことのり)を出させる。
こうなると正式に、官軍は董卓軍に乗っ取られてしまうだろう。
その時になって董卓に抵抗しようものなら、こちらが賊軍扱いとなり、董卓の命令により官軍に討伐される側になってしまう」
元譲殿はすっかり眠気が去ったらしく大きな瞳をさらに見開いた。
「なにそれ怖いのですが。
そうなる前に、さすがに誰かが止めるでしょう?袁紹殿とか袁術殿とか?」
「私も怖いよ。ついでに頼る人物が袁紹や袁術というのも恐ろしい」
青年は二人をあまり知らないせいか、否定も肯定もしなかった。
少女は、小さくため息を吐いた。
「宦官討伐がきっかけで、地方の役人がこの国を乗っ取るかもしれないとは。
世の中何がどう転がるのか、わからないものだね。
ま、とんでもない事になったら、私は洛陽から地方に逃げるだけさ」
「えっ?!洛陽から逃げるですって?
それって、あなたが無職になるという事ですかっ?」
青年は少女に詰め寄った。
「あなた、無職になったら私と結婚するって約束、忘れてないですよね?」
少女はかすかに眉根を寄せて、幼なじみをまじまじと見上げた。
……こいつ、私の無職にめちゃくちゃ敏感だな。
「君ねえ、その時は世の中が大混乱してるんだよ。
そんな時にふわほわ新婚生活なんて、できるわけないだろ。
黄巾賊だってまた増殖して治安も悪くなるだろうし、のんきにしてたら突然惨殺されるかもしれないよ」
しかし青年はご機嫌のまま答えた。
「あ、うちの地元はすでに、そういう場合に備えて自主訓練をしてるのですよ。
黄巾賊が出始めてから、自己防衛できるようにしましょうって、豪族の会合で決まったのです。
それから軍隊を真似て訓練をしたり、個人的な武芸の鍛錬も推奨していて、習いたい人には誰にでも教えているんです。
非常事態になれば、他県の豪族とも連合して防衛できるように約束もしてあります。
なので、がんばってほのぼのと暮らせるかもです」
そして、ぽんと手を打って少女を見つめた。
「そこにあなたもいると、かなり心強いですねっ。
文武両道だし、兵法書も異様に読み込んでるようだし、何より、戦場に出た経験もあるし」
「へぇ……」
とぼけた話から始まったが、意外と抜かりのない話になってきたので驚いた。
そして少女はさらに思う。
……なるほど。
董卓が洛陽、朝廷を占拠しても、それでヤツの勝ちではないかもしれないんだ。
地方は、彼に従わないかもしれない。
それどころか董卓を討伐しようと決起する可能性もあるという事。
そうなれば戦いはひと時で、世が乱れるほどではない。
皆で団結して董卓一人を倒せば、またすぐに元の平穏に戻るんだ。
少女は小さな希望でも探すように、すでに暑い日差しを感じさせる朝の空を遥かに見上げた。
つづく
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