第34話 洛陽・董卓と全裸校尉(自主規制付き)
一瞬、夏の暑さが凍結したかのように完全な静寂が流れた。
だがそれはすぐに周囲から沸き上がった大きなどよめきで吹き飛んだ。
少女はうつむき、唇が怒りで揺れた。
……脱がす理由が雑すぎだろうがっ!手元に天子がいるから調子に乗って、適当な事ばかり言いおってっ!
よくわからない部分に激怒して顔を真っ赤にしていると、となりの閔貢(びんこう)殿が声をかけてきた。
「曹典軍校尉、すっかり赤面されて……あなたの大変お恥ずかしいというお気持ち、私もよくわかります。
私が身代わりになれれば良いのですが、ここはそうもできますまい。
おつらいのはわかりますが、これはあなたにしかできない事です。
これもまた、世を救う立派なお働きの一つになると、私は思いますぞっ」
「……」
こやつ、あっさり董卓に寝返りおって……。
そして悔しさに涙を溜めた瞳で助けを求めるように周囲を見たが、袁紹が到着している様子はない。
……あのノロマ野郎がよっ!ふえぇっ!
と、心の中で嘆いていると、もう一人の自分の声がする。
……おいおい落ち着くのだ、私よ。
裸になってなにが悪いのだ?
そりゃあ恥ずかしいけど、それだけじゃないか。
なにより、この身体は、今でも借り物みたいな感じだし?
たかが借り物を見せるだけで、本体のおじ、いや、美青年は無事ではないか。
少女は、ハッとした。
……そ、そう言われたら、そうかもしれん?
そもそも、借物だろうがなんだろうが、人の身体なんて、魂の器、呪縛の象徴、重い荷物のようなもの。
そんな外側を見せた所で、どうってことないのかもしれん。
一番大切なのはその中身なのじゃから……。
と、うっかり悟ってしまった少女は、やけに涼し気な表情になった。
そして背筋を伸ばして堂々と答える。
「わかりました。
本当は断りたい所ですが、これも世のためです。
獣の生け贄になるというわけでもなし、裸をちょこっと見せるくらいなら構いませんよ」
董卓を含め、敵も味方も一体になり、歓声をあげた。
その中で、少女は跪いたまま、細腰に帯びた二本の佩刀を鞘ごと抜くと自分の左右の地面に突き刺す。
それから上位の軍人だけが羽織る袖無しの上着に腕を入れると一度だけ強く下へ振った。
とたん、乾いた音を立て抜き身の短刀が数本、乱雑に地面に刺さる。
松明の炎を受けて妖しく輝く刀身たちを見ながら、董卓は軽く身を引いた。
「待たんか。なにをしとる?百人斬りの準備じゃないだろうな?
ちゃんと普通に脱ぐんだろうな?」
少女はムスッとして答えた。
「ここで陛下がお怪我するような事をするわけないでしょ。
脱ぐのに邪魔だから武器を置いてるだけです。
それに、本来なら帝の前で武器の所有は許されない事なのですよ。
あなたも私に習って、今すぐ武装解除するべきなんですけどね?!」
少女の怒りに、董卓はすっとぼけた表情をした。
「え?だって今は緊急事態中じゃろ?
帝の前だが、我らは仕方なく、武装しているだけだ。
閔貢殿をはじめ官軍だって、そうであろう?」
その適当な言い訳を無言で聞きつつ、まるで湯浴みでもするようにスルスルと帯を解いていく。
暑い季節で薄着のせいもあるが、あっという間にほぼ上半身の布地がなくなった。
しかし、まだ膝をついているので胸元の影は濃く、肝心な部分が董卓からは見えない。
董卓は太い眉を逆立てて、厳重に注意した。
「曹典軍校尉、もう少し恥じらい持って脱いでいただきたかった。
あと、よく見えんから、立って脱いでいただきたい。
陛下より頭が高くなるが、今は非常事態だし仕方あるまい」
「はあ」
少女は投げやりに返答すると、天子には丁寧に無礼を詫びてから立ち上がった。
すると耳の前に出している髪の束がちょうど胸の上にかかった。
やはり肝心な部分が見えない。
董卓は苛立ちを感じ始めた。
……なんじゃあの髪?邪魔すぎるんだが?ま、動いてたら見えるだろ、さすがに。
少女は前かがみになり、左右の太ももに装着していた皮製の短刀入れを外し始めた。
董卓はふたたび、イライラした。
……ちょっと待てよ。動いてもやっぱり髪やら腕やら影で、肝心な所が見えそうで見えないのだがなんじゃこれ?不自然すぎだろ。
あとついでにこいつ武器を隠し持ちすぎる。
モヤモヤしているうちに、すでに少女は袴を解いて降ろそうとしていた。
「!!!」
董卓は全力集中して目を凝らした。
しかしそこに、本来、女性は履いていないはずの下穿きを見た。心の底が抜けるほどガッカリして肩を落とす。
それも、布地の少ない系ならまだしも、袴の短いような中途半端な下穿きであった。
……な、なんと無粋なもんを履いとるんだ。
こやつ全然、男心のさきっちょもわかっとらん……。
失望しているうちに少女は冴えない下履きの紐を解いた。あっさりと、地に落ちる。
そのとたん、星の位置が変わったのか。
地面に刺さった刀身が妖しく白く発光を始めた。
そして下半身の肝心な部分が、眩しすぎて見えなくなった。
「さあ全裸になりましたぞっ!これで話し合いをしていただけますな」
しかし董卓にその声は届かなかった。
董卓は激怒した。
……胸の前の髪!黒すぎる影!白すぎる光!それらで重要な部分がなんも見えんではないかっ!
これなら裸を想像してた方が何倍も楽しかったっ!まったくもって不愉快じゃ!
董卓は憎々し気に答えた。
「なんかわからんが、肝心な所がよく見えんのじゃ!
これでは、得したのはお前のそばにいる閔貢殿だけではないかっ!
わしゃスッキリするどころか、逆にモヤモヤイライラしただけじゃっ。
わしの、貴重な時間と、労力と、勇気を、今すぐ返せっ!!
はあ、一瞬でも、期待に胸を高鳴らせてしまった自分が恥ずかしいし、悔しいよ。
あー、こりゃあ話し合いの件は、もっと条件が厳しくなるかもしれんわ……」
「はあっ?!見えにくいって、一体、なんの事です?
全くもってどこも隠してないのにっ。
話し合いをしていただけなかったら、私は恥をかいだだけになってしまいますっ!
お願いですから、ちゃんと見てくださいよっ!」
「こらっ!お前は昼に続いて、また破廉恥な事をしおって!」
と、すぐ背後で怒られて、少女はギクッとした。
「袁司隷校尉っ!」
少女は瞬間で怒りが大沸騰した。
「あなたって、いっつも肝心な時に遅いんですよっ!
そのせいで私がこのありさまですっ!一体、どうしてくれるんですかっ!」
怒り狂う少女の後ろから、元譲殿はそっと上着を羽織らせてやった。
「おおっ!あなたが袁司隷校尉ですか。
私は并州牧を務めております董卓、字仲穎と申す者ですっ」
董卓はまるでこの場に彼しかいないかのように、ただ一人袁司隷校尉を一心に見つめ、呼びかけた。
「このような事でもなければ、あなたのような高貴な方とこのように言葉を交わすこともなかったでしょう。心から光栄に思います」
それは本心のようで、彼に会えて感激しているのか、緊張して声が少し上ずっている。
「あなた様が援護を求めて下さり、はるばる三百里を越えてここまでやって来ました。
宦官討伐には間に合いませんでしたが、幸い、天子は私どもが無事に保護いたしました。
ぜひ、あなたの高貴な軍と共に送り届ける事を許していただけませんか?」
袁紹は彼を一瞥してから、まずは陛下に跪いて深く拝礼し挨拶をした。
昼間のとは違う新しい鎧をつけており、真夜中にも関わらず動くたびに小さな光がまたたくように輝く。
そして董卓と向き合うと、やけに凛々しい表情を浮かべた。
その鋭い視線に董卓は一瞬で心を射抜かれ、思わずうっとりとため息を吐いた。
……音に聞く袁紹殿、まるで昔話に出てくる伝説の王のような高貴な佇まい。
このような立派な人と共に世を立て直し、私も英雄として後世に名を残せたら夢のようなのだが!
「お待たせをした、董并州牧。
私も自己紹介をしよう。
袁紹、字は本初。司隷校尉を務めている。よろしく。
あなたと曹典軍校尉の話はほとんど聞かせていただいた。
ぜひ、ゆっくり北邙山で話し合おうではないか」
彼がそう言うと、董卓を始め、皆一斉に同意の声を上げた。
帝たちを馬に乗せると、テキパキと移動を始める。
「ほ、ほとんど?じゃあ私が困ってる時もあいつは様子見してたって事っ?!ひどすぎないかっ?!」
周囲が大移動する中、まだ怒り続ける少女は軍服一式と共に荷物のように青年に抱えられ邪魔にならない所に置かれた。
そして脱いだ服を与えられてはそそくさと着始める。
「元譲殿も元譲殿だよねえっ!なんでさっさと助けてくれなかったのさっ」
「それは本当に申し訳ありませんでした。
脱がれるのが思いのほか早くて、気づいたら取り返しのつかない状態だったのです」
衣類や装備品を次々に渡しながら青年は謝り、そして話を続ける。
「それに曹典軍校尉なら上手く誤魔化して、袁司隷校尉が来るのを待たれるかと思っておりました。
それがまさか、董卓の武装解除をしようとして、逆にあなたが武装解除されるとは思いもよりませんで」
「え?」
「しかし、結局、話し合いの流れになりましたし、脱ぎ損にならなくて良かったと思いますよ」
「んっ?あれ?そうだっけ?袁紹が結局、全部持ってた気がしたけど……」
ムッとしつつも、少し、話に乗ってくる。
「まあまあ、もう細かく考えずに。
多少失敗したと思う所があっても、最終的には上手くいったのですから、それでいいのではないですか?」
少女は怪訝そうに相手を見ていたが、ふうっとひと息つくと、力を抜いた。
「ま、そう言われるとそうかも。
怒っても不機嫌になっても過去には戻れないし、これからは簡単に脱がされないように気を付けよう。
今日の悪かった点を反省して、明日はもっと良い日にするのじゃ」
そう言い終わった頃には、すっかり元の完璧な軍服姿にもどっていた。
つづく
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