第33話 洛陽・董卓の条件

  天子と陳留王を抱え込むように座る怪人物、董卓并州牧を見つめながら、少女は深呼吸を一つして口を開いた。


「董并州牧、初めまして。

私は、典軍校尉の曹操、字は孟徳と申します。今後ともよろしくお願いいたします」


警戒心と緊張とは裏腹に、普段の落ち着い様子で自己紹介をした。


「先ほどの軍勢の話なのですが、言葉が足りていませんでした。

今は、私だけという意味です。今は、です。


すぐにもここに、袁紹、司隷校尉がきます」


 世に名高い名家、そして最高位に近い官位に、地方辺境の兵士達は動揺してざわついた。


「大将軍が亡き今、今は彼こそ朝廷で最高位の人物です。

我々は皆、袁司隷校尉の到着を大人しく待ち、その指揮下に入るべきでしょう」


「初めてお目にかかります、曹典軍校尉。

私は、并州牧を務める董卓(とうたく)字は仲穎(ちゅうえい)と申します。よろしくお願いいたします」


 礼儀正しく自己紹介されたせいなのか。

それとも袁紹司隷校尉という高位の人間がここに来ると聞いたせいなのか。


董卓は、先ほどまでの横暴な態度と威圧的な気配は消え、物腰柔らかに言った。


「曹典軍校尉、あなたのお噂は、私の辺境の管理地、ド田舎の并州でも聞いた事がありますよ。お話ができる事、大変光栄に思います。


あなたは黄巾賊討伐では抜群のご活躍されたそうですね。

初の戦いであったにもかかわらず、先に戦っていた皇甫嵩将軍と朱儁将軍に負けず劣らずの戦果を上げたのだとか。


それにくらべて私は、黄巾賊には数で圧倒され、降格を食らうほど手酷い負けを食らいました。


私はあなたに、戦いに強い者には敬服いたします。

結局この世は、それが一番大事ですからね……。


ところで、話は変わりますが。

私がここに来たのは、今は亡き何(か)大将軍の願いからでした。

大将軍からは、袁司隷校尉に頼まれて、私を呼び出したのだと聞いております。

つまり、私が苦労して三百里も越え洛陽に来たのは、その袁司隷校尉の招きで、というわけなのです」


 少女は間髪入れず返答する。


「司隷校尉からは、宦官討伐の件で招いた、と聞いております。

そして、それは終了しております。

ですので、心苦しい話ではありますが、あとは我らに任せていただきたい」


董卓も即答する。


「いや、今もまだ、宦官討伐の混乱は続いております。

現在の混乱は、それが発端ではありませんか。


この村から帝を洛陽の宮殿にお届けできた時に、初めて宦官殺戮は成功して終わった、と言えるでしょう。


どうか、私の軍勢に、陛下の守護との許可をお申し付け下さい。

必ずや、洛陽の宮殿までお守りいたします」

 

 一斉に、他州の兵士が強く少女を見つめた。

その威圧感を受け流すように、少女は笑みを浮かべた。


「それは誠に素晴らしいご忠義のお心です。董并州牧」

そしてすぐに真顔に戻る。


「ですが、あなたがこじつけようと、実際に宦官討伐は終了しているのです。


つまり、洛陽は平常時のように、あなた方他州の軍隊を入れる事は絶対にできない。

あなただって、それをわかっているのでしょう?


あなた方が本当に、ただ天子を護るためだけに洛陽や宮廷に入りたいならば、まず今すぐ武装解除をするべきです。


そして、袁司隷校尉が来たら改めて洛陽や宮廷に入りたい理由を述べて、頼むのが筋ではないでしょうか」


 少女の話に、閔貢(びんこう)は何度も頷きながら董卓をにらんだ。

董卓は唐突に、その太い腕を動かした。


皆、ハッとして、もしや董卓が天子を本当に抱えて、まさしく人質にしてしまうのではないかと固唾を飲んだ。

その気配を敏感に感じた天子も、ギクリと身体を大きく震わせる。


だが、董卓は皆の注目の中、片膝に腕を乗せただけだった。

そして天子を覆うように前のめりになる。 


「私だってね、そうしたかったのですよ、曹典軍校尉」

わざとらしく、ため息まじりに言う。 


「あなた方、誉れの高い帝直属の軍人を信用したいし、指揮下に入るつもりだったのです。

しかし、この状況では、申し訳ないが、あなた方を信用しきれないのが本音です。


だいたい、あなた方洛陽の軍人は、この混乱を作り出した張本人だ。

そして今も混乱を作り続けている。


今だって私の軍隊を使えばすぐにでも陛下にはご帰還いただけるというのに、それをしようとしない。


ましてや、武装解除しろ、と?

陛下をお守りするのに、なぜ丸腰にならねばならないのですか?

万が一の時、それで全力でお守りできると思うのですか?

ご自分で、おかしな事を言っていると気づきませんか?


どうなのです?この場の混乱を長引かせているのは、自己中心的で疑心暗鬼な、あなたたち、官軍の指揮官だと、自覚できましたか?


何よりも私に指摘されるまで、自分のやっている事、言っている事がおかしいと気づいていないのが、致命的だ。


私には、あなた方に問題があるというのが、よくわかった気がします。


陛下を護るべき軍人に、武装解除せよと、意味不明な命令を言うあなた方に、陛下をお任せするのは、絶対にできない。


どうか、私たちの軍隊に宮廷まで、陛下の護衛を任せていただきたい。

戦いの経験も豊富で、統率もしっかり取れております。

万が一、どのような軍勢が来ても、陛下を絶対に奪わせたりしません。


力の限り死闘して、護りきる絶対の自信があります」


 少女は思わず、軽く息を吐いた。


……お互い、まるで引く気がない。というか、引けないのだが。

これでは延々と言い合いが続くだけになる。


……それにしても武力行使を匂わせてくる董卓は、よくわかっている。

異民族と戦い続けてきた自軍に、経験値の少ない官軍が勝てない事を、よくわかっているのだ。

私には、戦闘力の差さえ、想像できない……。


 少女は話の風向きの悪さに、目を細めた。

これ以上、相手に刺激を加えるのはよくないと、理性も本能も警告してくる。


……悔しいけど、ここは退こう。


そう決めた少女は、しかし萎縮する事なく、話しかけた。


「いやはや、お話は平行線ですね。

ここは袁司隷校尉とその軍勢を待って、我々はその指揮下に入りましょう」

……おや、曹典軍校尉?いつも心の底でバカにしてる袁紹殿を頼ろうってわけだ?みっともない。

と、心の中でもう一人の自分が意地悪くささやくが、今は聞こえないふりをする。


「ふ。む……」


董卓は小さく返事をしたが、何かを良い思いついたように目玉をぐるりと回し、ニッコリとした。


「たとえ、袁司隷校尉が来たとしても、私の意見は変わりませんよ、曹典軍校尉。

つまり、この堂々巡りが、また繰り返すだけ。


何か大きな「キッカケ」でもない限り、我らはここから一歩も動けないでしょう」


 少女は何も言わず、眉を寄せた。

董卓は異様に優しい笑みを浮かべ続ける。


「そう、キッカケ、糸口です。たとえば、あなたが私のために一肌脱いでくれたら。

袁司隷校尉を交えて、皆でどこかで落ち着いて話し合いをしてもいい。

そこで私が報酬や待遇に納得すれば、并州へそのまま引き返してもいいかもしれません」


突然の激甘妥協案に、少女は思わず大きく身を乗り出した。 


「私が一肌脱ぐというのは?!

あなたが袁紹と交渉する際に私があなた側につくという事ですかっ?

それくらいなら、いくらでもやりますよっ」


「ふふっ。いやぁ」

嬉しそうな少女に、董卓は悩まし気に眉を寄せた。


「そんな難しい話ではありませんよ。言葉のまんまです。

実はさっきからあなたのその、上位軍服の中身がどうなっているのか気になって話に集中できなかったのですよね。


ちょこっとここで脱いで、全部、見せていただけませんか?

そうしたら気分もスッキリして、前向きな意見が出せるような気がしますよ」


つづく

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