第31話 洛陽・不穏の兵士たち
小平津は黄河沿いにある船着き町の一つであり、関所でもある。
夜空を見上げ、星座の斗(北斗七星)で方角を確認して急ぐ。
黄河のそばの草むらでは、時に多くの蛍が飛び交っていた。
蛍たちは地上に舞い降りた星々のように、深い闇を照らしてくれる。
その中を情緒なく、急ぎ進む。
「洛陽に戻ったら食事代とお礼を渡すよ」
ふいに思い出したように、馬上の少女は同じく乗馬で並ぶ青年に声をかけた。
「大丈夫だよ、大した金額じゃないし気にしないで」
こういう時の元譲は絶対譲らないのが常だった。
「じゃあ、貸りとくけど。いつか、何かで返すよ」
「おや。気にしないでほしいな」
「いや、返さない方が気になって、私が困るよ」
そのような呑気な話をしていると、背後からガシャガシャという不吉な金属音が聞こえて二人は振り返った。
闇の中から小さな松明を持つ完全武装した小隊が現れて、か細い光の残して消えていく。
少女は彼らをしつこく目で追った。
その装いが、官軍のそれとは違う見慣れない鎧だったからだ。
他州の軍隊も、天子を探しているのだ……!
その事実は、衝撃だった。そして神妙な顔で思い出す。
……そういえば袁紹が言っていた。何進大将軍は殺される前、宦官皆殺しの援軍で、并州牧の董卓、という武人を呼んだ、と……。
董卓は、国境の堺で異民族とよく戦ったと聞く。
……万が一、戦場経験を多く積んでいる人物に帝を武力で奪われたら?
私たちは天子を取り戻せるのだろうか?
不安で、眉根が強く寄った。
なぜにこんな面倒な事になったのかと、若干八つ当たり気味に考える。
……そもそも宦官皆殺しなど、派手なだけで中身のない事だったんだ。
不正や悪徳を止めさせるなら、その犯人を法律にのっとって捕らえ、処刑するだけでよかったはず。
処刑人が一人いれば、終わる話だったのに……。
それを袁紹たちが、宮廷で馬鹿騒ぎをした上、さらに他州から戦い慣れた武人まで呼び込んだのだ。
無駄に、事を大きくしたとしか思えない。
そして帝が行方不明となり、大混乱に陥った時点で、宦官誅殺は失態で失敗だ。
考えるうちに手綱を持つ手を強く握り、皮の手袋越しにも深く指が平に食い込んだ。
……やはり、あの袁兄弟と一緒に行動するのは危険だ。
理屈ではなく、本能的に感じる。
……あいつらは、本質を捉えていない。だから肝心な所でおかしくなる。
勝負所に弱いってことだ。
そんなのと一緒にいたら、いつか私まで、致命的な巻き添えを食うかもしれない。
とはいえ、自分の無力もよくわかっていた。
だから今は彼らから完全に離れることはできない。
小さく、ため息を吐く。
……情けないけど、今は袁兄弟についていくしかないのだ……。
やがて目的地、小平津に到着した。
夜中にも関わらず、この小さな船着き町は、すでに馬車や人々が集まり行き交っている。
兵士の姿はもちろん、数人のお供を引き連れた小奇麗な役人までいる。
この非常事態でなければ、この町を高級官僚が歩く事などないだろう。
時々、明かりの消えた家屋から人が外をのぞいているが、目が合えばすぐに隠れた。
彼らはここでなにが起こっているのか、きっと知らないのだろう。
村を通り抜けて、宦官が殺されたという現場まで来た。
目ぼしい場所は念入りに捜索が行われたようだ。
川辺一帯の草はすっかり刈り取られている。
落とし物や、足跡でもないかと調べたのだろうか。
「なのに、まだ見つからないとは……。帝たちは伝説の傭兵並みに隠れるのが上手いのかな?」
「不思議ですね。しかも、この暗闇です。子供なら尚更、恐ろしいでしょうに。
それに疲れてお腹だって空いてるはずです。
出てこない方が不思議な状況だと思います」
「そうさ。そもそも帝は逃げ隠れる必要なんてないし。
軍人が怖いなら、見慣れた文官だって探してるんだから、彼らに助けを求めればいい。
どうして、出てこないのだろう?」
元譲は少女を見た。
「すでに誰かに保護されて、どこかの家で眠っているのではないですか?」
少女は大きなため息をついた。
「そうかもしれない。
閔貢(びんこう)が宦官を斬った時、少年の二人は恐怖で反射的に草むらに逃げ込み、そのまま逃げ切ってしまった。
しかしそのうち腹も減るし、日が暮れれば心細くなり、助けてくれそうな人に声をかけたのかもしれないね。
あるいはその逆で、優しい人に声をかけられたのかも。
そしてそのまま、今は休んでいる……」
「では、この町の家に隠れているかもしれないと?」
「だとしても、私たち七人だけでこの村全部の家探しするなんて、物理的に無理だ」
小平津は船着き場と関所があり、それなりに家屋や店も多い。
「それに家探しに気づけば、帝を匿っている人たちは罪に問われるかもしれないと、暗がりに紛れて、帝たちをまたどこかへ逃がすかもしれない。
少なくとも、見つけやすい明るい時間にするべきだ」
そう言ったあと、また、例の見慣れぬ鎧を着た兵士たちが数人、目の前を移動してどこかへいそいそと消えていった。
「あるいは、家探しはすでにどこかの集団がやったかもしれない。
たとえばさっきの、見慣れぬ軍人たちとか。
もしそうだったら、帝はすでにどこか遠くへ避難させられたかもしれないな。
天子を、官軍以外の兵士に渡そうとは、誰も思わないだろうからね。
子供なら、荷物にまぎれさせたりして、どうとでも逃がせる」
「まるで鬼ごっこみたいに果てが無くなってきましたね……」
「そうだね、困った話だ」
……最新だと思っていた情報が、あっという間に古くなる。
緊急事態はとくに、刻一刻と状況が変わってしまう。
情報収集を上手くしないと、これからも翻弄されているだけになる。
ひどく憂鬱な気分に襲われている時であった。
にわかに大きな声が聞こえて、そちらへ皆で駆け寄った。
松明と人々が群がっている。
役人に聞くと、帝が北邙山(ほくぼうざん)そばの村の住人に保護されたという。
少女と青年は、顔を見合わせた。
……すでに、そんな所まで逃げていたとは!
これが本当ならば、帝が生きていたのは一安心だが、自分たちの後手が決定した事になる。罪を問われ、処罰されるかどうか、一抹の不安がよぎり始める。
しかしそんな事は、考えても仕方がない。
少女は気持ちを切り替えた。
とにかく今からでも、できるだけ早く駆けつけた方がいいだろう。
「私は一人で先に北邙山へ向かう」
少女はすでに騎乗して、馬首を北邙山の方向にめぐらす。
「元譲殿は急いで洛陽に戻り、袁紹を呼んできておくれ。官位の高いヤツが必要だ。
あとの者はここまでご苦労だった。洛陽に戻って休むがいい」
全員、拱手して応えると、それぞれ夜の闇に消えた。
つづく
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