第29話 洛陽・残業

 いつしか黄昏は過ぎ、空は濃紺に染まりつつある。月はか細く、薄雲の隙間で浮かぶ。

少女の焦りは、陽が沈むと共に消えた。

その代わりに疲れと開き直り、何より、疑問が大きくなる。


……帝が行方不明となって半日近く経っている。

捜索しているのは自分たちだけではない。

首都で動員できる兵士や末端の役人までもが血眼で探して、見つからないのだ。


帝はまだ少年である。

しかも宮廷の外にもほぼ出た事がなく、一人で郊外を逃げ続けるなど不可能に近い。

数名の宦官に囲われ、馬車か馬で移動しているはずだ。

首都郊外は草原地帯が多く、集団や馬車は遠目からでも見つけやすいのだが。


しかし発見はならず、ついに日が暮れてしまったのだ。

これは一体、どういう事だろう?


他にも、疑問というか、不自然に思う事があった。

やけに情報が飛び交い、それで大いに混乱したのだ。


いくつかの村の名前や人物が報告されて、何度か翻弄された。

焦る中、皆、その情報に飛びつくが、結局それらはガセネタだった。


……まさかあれは、誰かが嘘を流して、捜索隊をかく乱していたのだろうか?

しかし逃亡中の宦官たちが冷静にそんな情報操作ができるものだろうか?


まさか情報戦ができるような第三者が、天子争奪戦に介入してないわけ……ないだろうな?


 しかし少女はそういう考えや想像を、袁紹にする気はなかった。

一笑に付されるか、あるいは、そう言うなら自分で調べて報告しろなど言われて、ひどく面倒な事になりかねないからである。


「おい、私は、疲れてしまったよ」

即席の松明が灯され始めた中、血で汚れたままの袁紹は大きなため息をついた。

少女は物思いから顔を上げて、上司の顏を見た。

相手の疲労困憊の表情に、それもそうだろう、と思う。


 本日の袁紹殿のお仕事は、力仕事ばかりだった。


昼は広い宮中を逃げ惑う宦官を約二千人殺戮を指揮し、自らも剣を振るい、さらに夜は当てなく帝探し、なのである。

その上今は、腹が減る時間帯だ。


 袁紹と袁術の二人と、彼らを護る精鋭隊、さらに二個中隊も立ち止まり、集合し始めていた。


休憩というより、皆、途方に暮れて、この状況を打破するような指示をもらうために集まっているのだ。


しかしこのような空気感にも関わらず、袁紹も袁術も、休憩、食事、帰還などの号令を、なにも出さない。


ダラダラと居心地の悪い、半端な時間が流れる。


少女自身、ひどく腹が減っていたこともあり、面倒にならないようにと祈りながら二人に声をかけた。


「すみません、袁司隷校尉、袁虎賁中郎将。

皆も疲れていますし、一旦、洛陽に帰りませんか?


今夜は月も薄く暗いですし、このまま闇雲に探すのは無理があります。

一旦帰還して食事を摂り、他の部隊や集団と情報交換して、夜間準備を整えてから再開するべきではないでしょうか」


「うむ。そうだな。洛陽に戻って、仕切り直すか」

袁紹は素直にうなずいた。


少女は「よしっ」と心の中で拳を握って、暖かい夕食に想いを馳せた。


「私たちは帰る。お前は門番でポケーっとしてただけで、疲れとらんだろ?

手勢を分けてやるから、お前は引き続き探索をしていなさい」

「えっ?!」

少女は素直に驚きと不満の声を上げた。


「何が「えっ?!」だ。また反抗的な事を言う気じゃないだろうな。

曹典軍校尉。これは命令だ」

「ふふっ、袁司隷校尉」

横から、なぜか余裕の笑みを浮かべた袁術が、義兄に声をかけた。


「曹典軍校尉をよーく見てくださいよ。

今はこんなにか弱い女の子なのです。門番だけでも、疲れちゃったのでしょうよ。


それにこの郊外は、飢えた野犬などのケダモノがうろつく危険な場所です。

女の子にケガでもさせたら、袁家が過酷な黒い仕事をさせたように思われます。


曹典軍校尉も、洛陽に連れて帰ってやりましょうよ」


……やった!袁術殿って時々、良い人になるから助かる!

少女は目を輝かせ、彼を見つめて何度かうなずいた。


「で、どうでしょう兄上。洛陽に戻ったらこの娘も交えて晩酌し、宿舎で休むというのは?ちょっとは、我々を癒してくれるかもしれません」

義弟のねちっこく光る視線の意味を、義兄はすぐに察した。

「ふむ、こんなやつでも息抜き程度には悪くないかもな」


 二人の値踏みをするような視線から逃げるように、少女は一歩引いて拱手した。

「私はやはり残って捜索いたしますっ!お二人は、お早くご帰還くださいっ」

その慌てぶりに、袁兄弟はくすくすと笑い合った。


 袁術は少女に目もくれず、さっさと馬首を返し、洛陽へ引き返した。

袁紹はいかにも恩着せがましく自分の隊から五名を貸し出すと、自軍を仰々しく整列させて去っていった。


彼らの二個中隊も土煙を上げて闇に消えつつある中、少女はひそかにホッとした。

疲れと空腹より、何を言い出すかわからない袁兄弟から解放された喜びの方が勝っていた。


 しかし、数百人の兵士も去ってしまうと、とたんに静寂の圧迫感が強烈になる。

即席の松明の火も心細くて震えているかのように見えた。

さらに一段落ついたからか、お腹が大きな音で鳴りだす。


「まずは何か食べようっ」

少女の言葉に、残された兵士たちは悲壮な顏でうなずいた。


つづく

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