第25話 洛陽・袁紹殿と淳于瓊(じゅんうけい)殿
「彼は今、あなたの元にいるそうですね。
帝を廃する反乱を画策した人物を匿うなんて……。
一体、どういうおつもりなのですか?」
その少女の言葉に、袁紹は目を細めてゆっくりと近づき、真正面に立つと素早く身を屈めた。
「どういうおつもり?とは、一体、どういう意味だね?」
その声はさっきまでの軽薄で陽気なものとはガラリと変わり、静かで穏やかではあるが、猛烈な威圧感があった。
「まさか。お前はあいつを匿った私も同じく、帝を廃したいと考えているなどと、疑ったのじゃないだろうな?」
そして耳のそばに口を寄せると、鋭く言った。
「もしそうならば、最大の侮辱だ。今ここで斬り殺されても文句は言えないぞ」
少女はあわてて、深く頭を下げた。
「すみません。誤解させてしまうような事を言いました」
「顏を上げろ」
言われて顏を上げると、指で額を弾かれた。
その瞬間、激痛と頭の中が揺れるような衝撃に見舞われて、少女はキャンと鳴きかけたのをなんとか我慢し、思わず両手で額を押さえる。
「お前は時々、調子に乗りすぎるのだよ。
その悪い癖は早く治せ。よーく反省したまえ」
痛みに耐える少女に、返事を返す余裕はなかった。
「ところで、お前が許攸(きょゆう)に送った、宮中反乱の断りの手紙を読ませてもらったが、なかなか面白い内容だったな。
ひそかに、少し含みがあるように思ったのだが、それは私の深読みだったのかな?
なあ、お前の正直な気持ちを教えてくれないかね?
秘密にしておいてやるから」
まだ額を押えたまま、少女は相手を非難するような目で相手を見た。
「あはは。わかったわかった。そう睨んでくれるなって。
私も、疑って悪かったよ。でもこれで、お互い様だ」
彼は一人、楽しげに言う。
「これで私たちは、あらぬ疑いがすっかり解けたというわけだな。
つまり、私たちは漢王室のために身を捧げる同志なのだと、改めて確認しあえたわけだ。
ま、この国に産まれた者として、至極当たり前の事だけどね。
これからも、キミとは仲良くしたいものだよ」
相手の声はいつしか囁きになり、肩にねっとりと手を回してくる。
少女はまだ額を両手で押さえていたが、その下でひそかに強く眉根を寄せた。
「ところでお前、噂に聞いたより器量の良い娘じゃないか。
私はわりと、驚いてしまったよ。
どうかな、ひそかに私の妾の一人になってみないかね?
もしも男子でもできれば栄華ある人生が約束されたも同然だぞ」
……こ、この流れで口説いてくるとは予想外だった。どんな精神構造しとるんじゃ。
しかも定型文的な内容なのがまた、むかつく……。
そう思いながら、おでこを赤くした少女は、できるだけ申し訳ないという顔を作り、答えた。
「すみません私、すでに結婚の約束をした者がいるのです。非常に残念ですが妾にはなれないのです」
わしゃ何を言ってんだ……と自分の中のおじ、いや、美青年がささやくの聞きながら言う。
「ふええ~?!?」
肩を抱いた手を放した上、さらに軽く突き飛ばして距離を開けると、雑な断わり方をした少女を蔑んだ目で見下げた。
「お前、それは血痕(けっこん)とかじゃなくて、本当に結婚(けっこん)なのか?
ちゃんと確認しといた方がいいぞ。
で、もしそうなら、とんだ物好きがいるもんだな。わしゃビックリしたよっ!」
「そうですね。わりと変わってます」
「私も、ついつい遊び心で、お前なんかを誘ってしまったが。
危うく世間の笑いものになる所だったわ。
お前だって身の丈に合う変人と一緒になる方が気楽で、幸せになれるだろう」
「おっしゃる通りです」
「……でもまあ。
変わった相手に苦労して、つらくなったら、いつでも私を頼りにしてくれていいぞ。
お前は私の大事な友達だからな」
「はあっ?!あ、いや、はい。ありがとうございます……」
少女は、相手の怒涛の心境変化に翻弄され、思わず心のままに驚き、そして、この危険に満ちた会話に疲れてしまった。
この話を早々と終わらせるために、彼に対してよく使う型通りの台詞を口にして一礼する。
「私などにはもったいないお言葉の数々、感謝いたします」
「いやいや、気にするな。これからも仲良くしよう」
そう言うと先ほどのねっとりした触り方ではなく、気さくにポンと肩を叩いて笑った。
「失礼いたします。袁中軍校尉、こちらにいらっしゃいますか?」
「おお、淳于右校尉か。そろそろ時間かな。君も入りたまえ」
「はっ。お邪魔いたします」
一拍置いてから入ってきたのは、立派な体格を持つ、鼻筋の通った爽やかな青年だった。
袁紹は彼を迎えると、少女と向かい合わせた。
「淳于右校尉、こちらは曹典軍校尉だ。
今は女学生のような容姿だが、中身は三十路のおじさんだ。
ちなみに、すでに結婚相手がいるらしい」
青年は若干動揺しつつ、思った。
……へ、へえ?この人が曹操殿か。
確か、わりとすごい経歴の持ち主のはずだが、いらない情報ばかりで紹介されたな。
とりあえず青年は、微笑を浮かべて少女を見ていた。
「こちらは、淳于右校尉だ。黄巾賊討伐で素晴らしい手腕を見せた男だ。
まだまだ若いし、将来が楽しみだ」
「あ、ありがとうございますっ。袁中軍校尉にそう言っていただけるなんて、大変な光栄でありますっ!」
少女からあっさり目を離すと、青年は瞳を輝かせて、袁紹に頭を下げた。
少女はその青年に向かって、拱手し頭を下げた。
「初めまして。淳于右校尉。私は曹操孟徳と申します。
同じ軍隊に所属されて、光栄に思います。これからも何卒、よろしくお願いいたします」
青年も、慌てて正面の相手に向き直ると、拱手と礼を返した。
「初めまして、曹典軍校尉。
私は淳于瓊(じゅんうけい)、字は仲簡と申します。
あなたのご活躍は、私たち若輩者の間でもよく話題に上がります。
政治だけでなく軍事の功績も素晴らしく、文武両道とは、まさにあなたの事です。
同じ軍隊所属となれました事、身に余る幸運です。
こちらこそ、よろしくお願いいたします」
曹操と淳于瓊は、改めて微笑みあった。
この三人が所属した「西園八校尉」は、稀(まれ)な軍隊である。
帝が「無上将軍」と称し、一軍隊の頂点として所属している、それだけでも特例だった。
その下には大宦官の蹇碩(けんせき)が「上軍校尉」
その下に四世三公の最高の名家、袁紹が「中軍校尉」に任命された。
片や、賄賂や汚職で私腹を肥やし、漢王室と国を腐敗させた濁流派代表の大宦官。
片や、彼らを取り締まろうと躍起になっている清流派の代表の名家。
いわば宿敵同士が、同じ軍隊に所属していたのだ。
しかし、この「西園八軍」の軍事記録に、彼らの行動は残っていない。
なぜなら、その後すぐに霊帝は崩御され、西園八校尉どころか国全体が方向性を失い、混乱し始めてしまうからである。
つづく
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