典軍校尉

第24話 洛陽・朕(ちん)の考えた最強の軍隊 西園八校尉

 客間の空気が氷のように冷たく固まった。

朝廷の使者から渡された竹簡を紐解いた少女はその唐突な内容に、言葉を失っていた。


 そこには「皇帝陛下が直属の軍隊を編成するにあたって、その一軍を任せたい」

との内容が飾り立てられた文章で記されていたのだ。


 霊帝直属の軍隊……?

少女は眉をひそめる代わりに、視線をわずかに竹簡から外した。


 漢王室皇帝である霊帝は、今は商売人ごっこに夢中と聞いている。

何を売っているかというと「官位」である。

それも、本来は非常に優秀な者、あるいは偉業を成した者に与えられるべき敬意ある最高位まで売官しているのだ。


……父が一億銭で最高位である三公の一つ「太尉」を買えたのも、そのおかげだ。

その霊帝の遊びが、軍事にまで及んできたのだろうか?

もしくは、誰かにそそのかされているのか?


 いぶかしんだ所で皇帝直轄の仕事を断れるわけはなく、また、断る理由もない。

それどころか宮廷からしばし離れていた自分を指揮官として呼び戻そうというのだから、ありがたい話でもある。


 少女は深く頭を下げた。

「お受けいたします」

「おお、それは良かった。中央に復帰される事、心から歓迎いたします」

使者は面倒な答えでなかった事に安堵しつつ答えた。


 こうして、少女の長い休日は終わったのである。



 強い日差しの中、洛陽の街は濁っている。

高い城壁に囲まれ道も石で舗装されているので、黄砂が吹き溜まるからだ。

しかし住人たちはそんな事など気にせず、流行りの着物に身を包み帝都を華やかに彩るのだった。


 この帝が住まう都の城壁の外では、悪政と飢餓に苦しむ農民たちがいまだに黄巾賊の残党として、反乱や混乱を起こし続けている。

しかしその混乱が帝都内に及ぶことはないだろうと、ほとんどの住民たちは根拠なく信じていた。

……畏れ多くもここは帝の住まう都、洛陽なのだ。誰も攻るわけがない、絶対平和の地なのだ。


 だから、ひそかに耳にした話に禁門の守衛兵は驚き、動揺した。


「洛陽を護るために、新しい軍隊を作るのですか。

まさか、ついにここまで危機が迫っているのでしょうか……?」


頭から幾筋もの汗を流す若い守衛兵は神妙な顔で小声で隣に立つ男に尋ねた。


「いや、それが聞いた話では……」

もう一人の守備兵が、小声をさらにひそめる。


「占い師が「近々、都で戦が起こり、宮中でも血が流れる」というお告げをしたらしいんだ。


それを何(か)大将軍が霊帝陛下に上奏した所、陛下自らが宮中を守る近衛軍を作る事になったそうだ。

あくまで、ウワサだがな」


「えぇっ。占い、ですか……」


帝が世の状況を正しく判断するのは難しいと聞く。それにしても、軍隊を新たに作る判断理由が占いだったと聞くと、若い近衛兵の胸には言い知れ不安感が渦巻いた。


「ま、経緯は別として、洛陽や宮廷を護る近衛軍が増えると考えれば、俺たちにとってはありがたい事だ。

しかも、黄巾賊討伐で功績のあった軍人もいるらしい。

なんせ宮廷を護る軍隊だから、いざという時にちゃんと機能するように、賄賂では選ばなかったようだな」

辛口の締めの言葉に、二人は正面を向いたまま小さく笑った。


 宮廷内の一室で、少女は女官たちに正装へと着せ替えられている。

汗と黄砂に汚れては困るので、夏は宮中で着替えるのである。

団扇であおがれていても、湿気と暑さがまとわりつく。


「曹典軍校尉、袁中軍校尉がお会いしたとお部屋の前にいらっしゃるのですが、どういたしましょうか?」


 客人を案内してきたらしい女官が、屏風越しに尋ねた。

新しい官位は、本日正式に任命されるのだが、宮廷内ではすでに通達されており皆、それを使用していた。


「着替えの途中でもよかったらどうぞ、と伝えておくれ」

それを聞き、慌てたのは女官たちで、少女はふふっと笑った。


「裸じゃないし、そう急がなくていいさ。

それともこの容姿らしく恥じらって追い返すべきだったのかな」

などと言ってるうちに、男が一人、あっさりと屏風の横から遠慮なく顏を出した。


「やあ、孟徳殿、いや、曹典軍校尉、久しぶりだな。

おや、これは失礼。容姿が以前とは少し変わったのだったな。

あとでまた、訪ねてやろうか?」

と言いつつも、相手はとくに目をそらさない。


少女はそのじっとりした視線に不快になり、やっぱり待たせれば良かった、と後悔したが、しかし我慢して満面の笑みを浮かべた。


「いえいえ、こちらこそ着替えが遅くて申し訳ありません。

わざわざ袁中軍校尉から面会に来ていただけるとは、光栄ですよ」

「わざとらしい」

袁紹本初は名家らしい端正な顏で冷笑した。

「ところで」

少女を見つめながら、袁中軍校尉は着物にしわがつかないように気を付けながら壁にもたれた。


「キミ、最近私たちの親友を振ったそうじゃないか」


そう言われたとたん、少女の笑顔が固まった。

女官たちは浮いた話を想像してか、目を泳がせつつ作業をする。


「あいつ、かなり参っていたぞ。

その話、ぜひキミから詳しく聞きたいと、ずっーと思っていたのだ。

一体どういう……」


「ありがとう君たち。あとは私一人で着るから、部屋を出ておくれ。すまないね」


 少女は相手の言葉にかぶせるように言うと、女官たちの手から帯を受け取り、そのまま締め始めた。

 袁中軍校尉は、急いで部屋を後にする美しい女官たちを横目で追いつつ言う。


「陛下の前に出るのに、一人で着付けるなんて無謀じゃないか?

正装にシワでも寄ってたら、一大事だぞ。手伝ってやろうか?」


「あいにく、私は毎日自分で着替えておりますので、シワが寄らない着方は心得ているのですよ」


相手は、眉を寄せた。


「私だって、普段着くらいなら一人で着替えられるさ。それに私はあえて、着替えさせてやってるだけだ。

おや。それにしても、女官三人がかりより、キミ一人で着替えた方が早いようじゃないか」


少女はすでに佩玉をつけて、帯刀し、上着を羽織ろうとしていた。


「女官たちは、慎重、丁寧に仕事をしろと言われているから、ゆっくりなのは仕方ないのですよ。

それよりもよくもここで、許攸(きょゆう)の事など、話題にできたものですね」


「おや、子遠(しえん)の事を、許攸と呼ぶとは。

すっかりよそよそしいじゃないか。私たち共通の親友だろう?」


その言葉に、少女は探るように目を細めて口を開いた。


つづく

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