第22話 譙県・休日という名の魔法 友人 その2

 しかし、彼の手元にある竹簡が目に入ると、少女は夢から覚めたような顔で長櫃をふり返った。


「あ、それ、もしかして、あれから取り出したのかい?

それなら、ついでに並べてくれたらよかったのに」

言った後で、自分でも図々しいなと思ったが、相手はとくに顔色を変える事なく答えた。


「え?私が適当に並べて良かったのかい?

君の都合の良いように置いた方がいいと思って、私は何もしなかったんだけどな。

たとえば、よく読むものは近くに置くとか、あるんじゃないの?」


青年の言葉に、少女はキョトンとした。


「そう言われるとそうだね。君の言う通りだ。

私は時々、先の事を考えないから自分でも困るよ」


そして続ける。


「それと、きみは何もしなかったのは、それも当然だった。

だって君はお客さまなのだものね。

あっ。お客さまに歓迎のお茶も出してなかった」


急によそよそしい事を言い出し、立ち上がろうとする少女に青年は慌てて声をかけた。

「いやあ、お茶どころか昼食まで、すでに母屋で頂いたよ。

君の細君たちに賑やかに大歓迎された時にね。


それに、私は引っ越しの手伝いをしようと思ってここに来たんだよね。

でもそう言うと細君たちに「孟徳さまのお客さまに、滅相もありませんっ」と強く止められてしまったんだ。

で、みんなが作業してるのを横目にご飯を食べたけど、とても後ろめたくなってしまって。


そんなわけで、外に出たらここを見つけて、誰か来るのを待ってたのだ」


少女は申し訳なさそうに相手を見た。


「そりゃあ、悪い事をしたね。

私が出かけていたせいで、皆に気まずい思いをさせてしまったようだ。

細君たちも男手がほしかっただろうけど、私の友人に手伝ってもらっていいものか、わからなくて、困っただろうな。


それにしても、わざわざ手伝いに来てくれるとは思わなかったよ。ありがとう。

ねえ、じゃあお言葉に甘えて、棚に書物を並べるのを助けてもらっていいかな?」

「もちろん」


 二人は、暗くなる前に片付けようとテキパキと作業を続けた。

そして半分以上を棚に並べた頃、長櫃の中に入って竹簡を取り出していた少女は嬉しそうに立ち上がった。


「やっと孫子の兵法書が出てきたよ」

「ふうん、良かったね。好きなのかい?」

少女は竹簡を広げた。


「好きっていうか、じつは最近、この本を再編集しているんだ。

孫子は良い本ではあるけど、いろんな人が書いた注釈とか、長い部分が気になっていてね。

兵法書が、読むのに時間がかかるのは、実用性に欠ける気がしてならない。

だから、ほしいものがないなら自分で作ろうと思い、簡潔にまとめ直しているんだ」


突然、語りだす。


「それに、私は一度しか戦争はした事がないけど、それでも実戦で学んだ事や感じた事は多かったよ。

それも一緒に記録として残そうと思って、簡潔な注釈も入れているんだ」


「へー」

相手の熱っぽさに驚き、青年はほとんど話が頭に入らず、そう返した。


「なんだよ、興味なしだね。

ま、君が軍人になる事はないだろうし、学生でもないから知らなくてもいいと思っているんだろうけど」


広げた竹簡を巻きながら、少女は続ける。

「でも私は読めば面白いと思うんだけどな。いろんな解釈ができるし、読むたびに発見があるよ。

それに……」


「え?ちょっと待ってっ」

青年が突然、大きな声を上げたので、少女は嬉しそうに身を乗り出した。


「あっ、もしかして興味が湧いたのかい?

貸出用も持ってるから、今日、貸してあげられるよ。

それにあとで、私の編集した方も読んでもらえると嬉しいんだけどなぁ……」


最後はすこし、もじもじとあざとく言う少女に、青年は、戸惑った。


……うわ。違うそうじゃないって、言えないんだけど、これ……。


「じゃ、じゃあ、一巻だけ、貸して……」

ごにょごにょと言ったあと、相手に先に話させないために、急いで先を続けた。


「で、気になったんだけど。

もう軍人にはならないのは、あなたもでしょう?

役人を辞めて無職なんだし、ずっとここに住むんだろう?」


「えっ!?」

少女は入っている箱が倒れんばかりに、勢いよく前のめりに乗り出した。


「私は、まだ役人は辞めてないんですけどっ!

だから無職じゃないんですけどっ!

病気で休職中ってだけなんですけどっ!」


病気とは思えぬ異様な元気のよさで主張する。


「え、そうだったの?

じゃあまた、いつかは洛陽だかどっかに行って、長く帰ってこないってわけ?」

「そういう事だね。さあ、おしゃべりは終わりだ。これを持ってよ」

そして竹簡の束を渡されたが、青年はどこか上の空でそれを受け取った。


つづく

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