第11話 洛陽にて その2

  サッと、髪型も衣服も表情も、一分の乱れもなくきっちりと整えた女性が、真っすぐに手を上げた。

「さっそく、孟徳さまにお聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」

「あら、めえちゃん、どうしたのかしら?」

「はい。まずは孟徳さまにおかれましては戦場からご無事に戻られ、何よりでございました。

きちんとご挨拶ができなかったものですから、ここでさせていただきます」

彼女が一礼をすると、それに続いて、皆も頭を下げた。


「それと、容姿等が変わられました故に、なにか、私に関してお考えが変わっておりましたら……。

どうぞ遠慮なくおっしゃっていただきたいと、思っておりました」

 彼女はあっさりと、しかし曖昧に問うたが、それは運命を左右する、ひどく重い質問だった。


……尋ねられるとは思っていたけど、なんだか複雑な尋ね方をしてきたな……。

そう気後れしているうちに、姉さまも発言した。


「ああ。それならば、あなただけじゃなくて、私たち、と言ってもいいのではないでしょうか」

彼女がそう言うと、残りの四人は静かにうなずいた。


「あなた方には、思いもよらない心遣いをさせる事になってしまい、申し訳ない事です」

 少女はとても重い質問を前に、できるだけ普段と変わらない様子で口を開いた。

細君全員の顏を一巡しながら続ける。


「あなた達の問いは、私の問いでもあります。

はっきり言いましょう。

私はこの容姿になってしまったので、離縁したい人はとても寂しい話ですが遠慮なく申し出ていただきたい。

しかしもし今のまま、私と家族であってもよいというのなら、私は大変嬉しく思います。

これからも変わらず、私の全力の庇護を約束します」


 その言葉に、誰一人顔を見合わせたり、目配せすることもなく、皆同時に、少女に深く礼をした。


 その様子を見ながら、少女は心からホッとし、嬉しく思いながらも、ひそかに思った。


……いや、これは、可哀そうな話なのかもしれない。

彼女たちは簡単に離縁を選択できないだけなのかもしれないのだ。

実家が財産家なのと、芸を持っている女はともかく、手に職がない女がすぐに食っていけるほど、今の世は優しくない……。

……選択肢ないというのは、どれだけ心細く、悔しい事なのだろうか……。


「あのう」

少女の物思いを遮るように、ほんわりとした声色柔らかい女性がにこやかに言った。


「いまの孟徳さまって、ちょうど女の子が結婚するのによいお年頃ですわぁ。

もし良い殿方がいらっしゃれば、そのおつもりはあるのですか?」


 その場の全員が戦慄し、発言をした女性を唖然と一斉に凝視した。


「あれ?わたくし、今、なにか言っちゃいました?」

物腰柔らかに焦りつつ、再度にこやかに続けた。

「だってぇ、考えても見て下さいませ。

今は、孟徳さまはお仕事があるからよろしいですわぁ。

でも、そのお姿ですし、もしも、役人を解雇されて無職になったら?

私たちは、どうなるのでしょうか?


今の世の中、女性は一人では生きてはいけませんわぁ?

おまけに私たちも、養うわけですし」


「あらまあ、らぁちゃんったら、初めは何を言ってるのかしらと思ったけど。

わりと現実的な質問だったわね。

でも、孟徳さまが嫁いだら、家系図がおかしくなるわよ?」


姉さまは褒めつつ、やんわりとまた家系図でたしなめる。


「しかし、これは……あり得ない話ではないかもしれません」

めぇちゃんが突如真顔で割り込んでくる。


「孟徳さま自身がやる気がなくても、お父様は、出世に関しては非常にこだわりのあるお方です。政略結婚させられる可能性もあるのでは?」


さらに続ける。


「それに、容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、お料理、音楽、囲碁から武術まで優秀。お父様からしたら、まさに自慢の娘です。

しかも悪い虫、いや、男性とお付き合いをしたことがないのも希少かと」


真顔でおかしな事を言い続ける。

 さらにそれに相づちを打つように、素朴で愛嬌のある女性が、夢見るように両手合わせて言った。

「宮廷にお勤めでしたから、そのご縁で、後宮入りもあるかもしれませんわね」

「あら、てんちゃん、それは安泰だわね。お金に困らずにすみそう。

もしくは、袁紹殿とも仲が良いんだから、そっちでもいいかもしれないわ」

「お姉様、それなら袁術殿の方が本妻の息子なんだから、袁術殿の方がいいのでは?」

「どちらにしても、私たち全員も一緒に養っていただける方となると相当なお金持ちの方でないといけません。

そうなると、選択肢は意外と少ないです」


 皆がワーワーと盛り上がる中、めぇちゃんがまた無駄に真顔で口を開いた。

「ハッ、皆さま。私、気づいてしまいました。

よく考えると、ご結婚が決まれば、私たちは全員、離縁されるのではないでしょうか?

だって常識的に考えて、五人も妻を持つ奥さんだなんてヘンです。

お姉様がおっしゃる通り、家系図がおかしくなりますもの」


「えっ?!」

 他の四人は同時に仰天すると、猫と遊んでいる少女に詰め寄った。

そしてそれぞれ、口々に、離れるのは寂しいだの、自分たちの将来はどうなるとか、それぞれの思いをワーワーと伝えた。

そして最後に、あぁちゃんはジトっとした目をして低い声で言った。


「っていうか、孟徳さまって、私たちの話、ちゃんと聞いてました?」

「聞いてたよ、だいたい」

少女は、猫を撫でながら答えた。


「まず、役人をクビにならなければ、父上から結婚話は出ないだろう。たぶん」

自分でも、何を言ってるんだろう、と思いつつ、しかし一応真顔で言った。

聞いている五人は真剣にうなずいた。


「では、私が役人をクビになった場合。

まずふつうに私を嫁にしたいなんていう、頭がアレな殿方は基本的におらんと思うけど。

しかし、その常識を置いておいて、君たちが言っていた嫁ぎ先の可能性を考えてみる。


まず、後宮入りの可能性だが、これは絶対にない。

なぜなら、私がまだ働き始めの頃、仕事で高級宦官の親戚を殴り殺したのだ。

だから後宮は出禁だと思うわ。


あと、袁兄弟だけど、名家の箔が落ちる事はしないので、忌むべき宦官の孫の私を嫁になんてする事はない。


ついでに言うと。

あの袁兄弟のド低能とは、政治思想の一部の一致と、あいつらの名家の派閥関係で絡んでるだけで、別に仲良くない。

というか、高貴なあいつらからしたら、宦官の孫の私なんて使いっぱしりの一人ってだけだし、結婚なんてするわけない。

あと、私にも選ぶ権利があるとすれば、あの二人はムリ」

そうきっぱり言うと、少女は眉をひそめてから、また気を取り直して口を開いた。


「まあ、私としては役人をクビになったら」

言いながら、まるで夢を見るように視線を上向けた。


「まずは田舎に家を建てるのだ。

そして皆で自給自足で暮らすのはどうかなと、思ってるんですけど。

それに、あぁちゃんと一緒に歌ったり踊り子に挑戦するのも良いかもね。

隠棲ってやつさ。

みんなでのんびり楽しく暮らせたら、それはそれで幸せだよ。

世の中の混乱なんて知らん顔なのだ」


 皆、顔を見合わせると、安堵したように笑顔を交わした。

少女は、突然、ふふっと思い出し笑いをした。


「それにしても君たちの意見は、私にはない発想だったからとても参考になったよ。

父上が政略結婚させるだなんて!ふふっ。


万が一、その政略結婚後、また私が元のおじ、いや、美青年に戻ったら、一体、どんな大混乱になるんだろうね。想像しただけでも笑っちゃうよ」


 笑い出しかけながら言ったあと、しかし、微妙に真顔になった。

「……ま、でも、確かに、私の父上は私とは違った発想をする方だから。

一応、気に留めておくか」


 こうして家族会議は終わった。

そしていつもと変わらない賑やかで、穏やかな日々が過ぎていった。

 そんなある日。

黄巾賊討伐の功績により、青洲にある済南国の相に任命の沙汰が下った。


つづく 

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