第8話 潁川・黄巾の乱討伐 城内

 闇が深くなると、見張りに残る黄巾賊も極端に少なくなった。

もっとも手薄の門を選んで、彼らを手早く始末する。

少女と部下の兵士たちは門前に立った。


伝令隊長が物見の兵士に軍隊同士の合図を送ると、金属製の門が軋み音を立て、門番が目をのぞかせる。

扉がすんなり開かなかったのは彼が持つ曹騎都尉の想像の姿と、目の前の本人とのズレが激しかったためである。

官軍の出撃許可である割符を見せたとたん、大慌てで城内へと通された。


 迷路のように通路を何度も曲がった末に、案内の兵は立ち止まった。

一際大きな扉の前には、武装した見張りの兵士が石像のように身動きせず、左右を固めている。


 案内の兵は振り向き、少女に言う。

「こちらのお部屋で、皇甫嵩左中郎将と朱儁右中郎将がお待ちです。

入室は、曹騎都尉と護衛一名をつけてお入りくださいませ。

あとの皆さまは、お疲れでしょうから、休憩室にご案内いたします」


部屋に通されると、大きな机を挟んだ向かい側に、皇甫嵩左中郎将と朱儁右中郎将がいた。彼らの両脇にも、それぞれ護衛が立っている。


少女と副将の二人は、机越しに彼らの前に立つと拱手し、深々と礼をした。


「朝、起きたらこのような姿になっておりましたが曹操孟徳です。官位は騎都尉です。

隣は、副将の項と申します。よろしくお願いいたします」


「よく来てくれたね。顔をあげたまえ」

「は」

皇甫嵩か朱儁か、どちらに声をかけられたかわからないまま顔を上げる。


 少々、沈黙が流れる。

それは、疑い、戸惑い、苦笑い、が混じった複雑な気持ちが消化されるためには必要な時間だった。


「曹騎都尉、私は皇甫嵩だ。位は左中郎将。道中は、まあその、大変だったね」

「お気遣い、ありがとうございます」

少女は再び一礼した。


「私は朱儁右中郎将だ、よろしく。実は我々は、すでに反撃の作戦を考えていてね。

君たちも参加していただけると、大変助かるよ」


「はいっ、もちろんです」

少女はさっそく仕事の話になった事が嬉しく、軍議には似合わない明るい笑顔で頷いた。


「ぜひ、私どもにも、どのような作戦か聞かせて下さいっ」


「火計さ」

皇甫嵩左中郎将は言った。


「援軍が来たら、決行しようと考えていたのだ。よって、今晩実行しようと思う。

急な話だが、大丈夫かな?」


「ええ、もちろん大丈夫ですっ」

少女は興奮気味に答える。


「ふふ、良い返事だな。

火計は絶対に失敗できない作戦だ。燃やす物は一回で無くなってしまうからね。

だから、心して聞いておくれ。


この近辺に住む兵士たちの話によると、今の季節、真夜中になると強風になるのが常なのだという。

確かに近頃は強風だ。この風は、きっと今夜も吹くはずだ。


新緑の季節ではあるが、枯草もまだまだ残っている。

ここ数日は晴れが続いて空気も乾燥しているし、きっとよく燃えてくれると思う」


そして、にっこりと笑った。


「黄巾賊は十万ほどだが、最近はここから近くの、寝心地のいいふかふかの草原で寝起きしている者がほとんどなのだ。

まさに火の海となる場所で寝るとは、兵法を知らないというのは恐ろしい事だ」


言いながら皇甫嵩は地図を広げてその草原の場所を指をさした。

朱儁右中郎将が続ける。


「火をつけてからは、敵を囲んで、できるだけ多く仕留めたい。

ここは帝都からも近い。残酷でもいいから、見せしめにしたい」


「よくわかりました!完璧な作戦ですねっ」

少女はキラキラと瞳を輝かせ笑顔で前のめりになる。

勢いあまり寸法の合わない男物の上着が肩からずれた。


「ふむふむ。曹騎都尉殿は、どこか陣取りたい場所はありますかな?」

急に朱儁殿が澄ました声て言ったので、皇甫嵩は驚いて彼を見た。


「わっ、わ、私が勝手に、選んでいいのですか?」と、少女も驚く。


「私は、この度が初陣ですので、ヘンな場所を選ぶかもしれないのですが……」

少しもじもじして言う。

皇甫嵩と朱儁はその様子に、二人はなんだかんだで満足そうに頷いた。


「そうですね。我々は、作戦時の一番後方に陣取りたいのですがいいでしょうか?」

「え?後方だって?風下という事かね?」

一拍置いてから、皇甫嵩は少女のヘンな場所を確認をした。


「そこが一番危険な所だと思うのだが、なぜわざわざ、そんな所を希望するのだ?」

彼は少々真顔になり、質問した。


「は。その……。

危険に関しては、今回は乱戦になるでしょうから両将軍の方が大きいのではと思っております。


それと、後方を希望する理由ですが。


第一に、戦闘に不慣れな我々は出張りたくない。

お二人が敵の大将を討つ邪魔にならないよう、雑兵を多く始末しようと思っております。


第二に、私自身は、今は戦闘に参加できませんので、できるだけ激戦区から離れた安全圏で指揮したい為です」


……安全圏で指揮したい、とはハッキリ言ったなぁ、と思いつつ、朱儁はしかし、スッキリとしない。


「曹騎都尉、キミの希望と理由は、普通の作戦ならば問題ない。

しかし、今回は火計なのだ。

この最も重要な部分を忘れて、そこを選んでしまったのかな?

それとも兵法書は、読んだことない?」


「趣味の範囲でなら、読んでおります」


「ならば、火計の際の風下についての記述を言えるかな?」


軍服姿でなければ、まるで教師が生徒に授業をしているようだった。


「風下からは攻めるな、です。

炎より先に煙にまかれて前後不覚になる恐れがあります。

さらに、もしも敵が、風下にいる私たちのそばで火をつけたら、私たちこそ、丸焼けになります」


少女が即答したので、二人は顔を見合わせた。


「その危険性を知っているのに、やはりまだ、風下がいいのかな?」


「は。その……ご警告の親切はわかっています。

しかし今回はその、後方が気になるのです……」


 自信なさげに、さらに子供のような言い方をしたので、皇甫嵩と朱儁は、つい吹き出した。

少女は頬を赤くして、慌て気味に口を開いた。 

「す、すみません。つまり……」

……勘ですっ。


そう率直に言えたらラクなのだが、そんな曖昧な事は言えず勘の中身を解いて、急いで説明していく。

 

「その、今回は例外というか、教科書通りではなくてもいいような気がしてまして」


……そう、兵法書は戦争の基本であり、必勝本ではない。

たとえば、高い場所は有利とされるが、では山頂に陣取れば常に勝てるのかというと、そうはならんはずだ。

戦場、戦況は、水のように常に変化するもの。

それにに合わせて、兵法も自在に変形させ、臨機応変に使うべきもの、のはず……。


そして戦争初心者の少女は、自分自身を励ますように小さくうなずいた。

地図を細い指で示しながら、話し出した。


「相手は十万もの大軍です。

その陣地だけでも風上の着火地点から、大変な距離があります。


私たちが陣取る位置は、さらにそこから後方となります。

私たちの陣にはきっと、煙や炎よりも先に、それらから逃げる大量の黄巾賊が殺到するはずです。

敵の大半は、奇襲と火攻めで混乱して、武器など持つ余裕もないと想像します。


たとえ武器を持っていたとしても、全速力で走ってくるのです。

ヘトヘトに疲れている、もしくは倒れ込むような状態になっているでしょう。


疲れている黄巾賊たちをできるだけ始末し、濃い煙や炎が来る前に私たちは安全な場所に退避する、という考えです」


 変則的な自分の考えを、今や開き直って堂々と説明する。

緊張と高揚した気持ちとは裏腹に、感情を抑えた、小さな声が続く。


「それと火計の懸念として、敵が火種を持ち、風下の私たちに反撃する可能性についてですが。


今回は、そのように冷静な対応をする者は極めて少ないと思っています。

深夜、しかも奇襲では、戦い慣れた軍人でも慌てると聞きます。

万が一、冷静な者がいたとしても火を持てば目立ち、逆に恰好の的になるのではないでしょうか」


両将軍はうなずきもせず聞いているので、少女の小さな声だけが響き続ける。


「それに、兵法では、正と奇の両方を組み合わせて戦うとあります。

火計と両将軍の軍勢が正攻法だとすれば、本来、陣取るべきではない後方にいる私たちは、奇、そのものではないでしょうか。


もしも敵に兵法を知る者がいれば、後方には誰もいないはずだと逃げてくるかもしれません。


ですが、その知識のせいで逆に、私たちの罠にかかるのです」


 両将軍は無言で相手を見つめ続けた。

少女はその沈黙に圧され、一度、乾いた唇を軽く舐め、付け加える。


「しかし、ここで言った私の考えが的外れで、失敗した場合。

その場ですぐに、違う対処方法を考えるつもりです」


それまで真顔だった皇甫嵩と朱儁の両将軍は、この最後の一言で、とたんにどこか気の抜けた顔になってしまった。


少女はその反応に、余計な一言を付け加えてしまったんだな、と今さら口を固く閉じた。


「……ふむ。なるほど、ね……」

皇甫嵩は、どこかスッキリしないような声色で呟いた。


「曹騎都尉、私はなかなか、感心してしまったよ」

場の雰囲気を変えたいためか、朱儁は逆に明るい声で言った。


「もしかして陣立てなども、もう思いついているのかな?

参考までに、今ここで考えている事はなんでも話してくれないか?」


少女は、気づかってくれている彼を申し訳なく思い、やや頬を赤くして見上げた。


「ありがとうございます、朱右中郎将。

陣立てまでは、まだ、具体的には、考えていませんでした。


ただ、乱戦は確実です。

火計の炎と煙も、どうなるかわかりません。


いざとなれば、火と煙からすぐに逃げられるように、移動しやすく配置するつもりです。


弓は、当然使えません。

夜間ですし、黄巾賊を追う両将軍の兵士に当たってしまうかもしれません。

彼らは四散する黄巾賊誘導のために盾を持たせて、隙間を空けて配置しようかと思います。

囲みを頑丈にすると、敵は逆に追い詰められて死に物狂いになる可能性があると兵法にはありますので、勇気があるものは逃げられる程度の配置がいいと思うのです。

……今は、ただの思い付きで、それくらいです」


「ふふっ。陣立ては、兵法通りにするつもりなんだね」

皇甫嵩は苦笑いしつつ言った。


「ええ、そうですね。私も不良になったり、優等生になったり、変幻自在なのです」

少女も笑みを返し、答えた。


「まあその、君の発想は、なかなか個性的で、おもしろかったよ。

時おり自信のなさも見えたけど、それは戦争が初めてなのだから当然の事だ。

私も、まあ、キミの枠にとらわれない自由な考えには、感心した」


皇甫嵩が言うと、朱儁も頷いた。


「援軍を率いる指揮官がどんな人かと思っていたが、想像以上だった。

キミが、乱世の奸雄、あ、いや、英雄と称されたのは伊達じゃないのかもしれない」


少女は急に二人から褒められて、顔を赤くすると素直に照れた笑顔を浮かべた。


「お気遣いをありがとうございます。その評は、私にはもったいないものです。

私は自分が英雄のような性格ではないと、十分自覚しております。

乱世の奸雄、という評の方が、自分には似合いで、そして気に入っています」



 その後、決行の時間など細かい事を取り決めると、三人の話し合いは終わった。

自軍へ帰ると、各軍団長だけを呼び出し、深夜に行われる作戦の打ち合わせを行った。


その後、食事を少しだけ摂り、水で口をゆすぐと、こんな場所にまで持ってきた古典の竹簡を適当に広げた。

しかし読書に集中できるわけはなく、すぐにそれを置いた。

そして大きすぎる軍靴を投げやりに脱ぐと、眠れるわけがないと思いながら寝床に潜り込み、今では重すぎる剣を抱えて目を固く閉じた。


 つづく

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