第7話 潁川・黄巾の乱討伐 偵察

 目的地周辺に到着したのは夕刻前であった。

本隊を隠し、少女は数名の騎馬や兵士を連れて小高い丘へ登った。


 遠目から見下ろした景色に、皆、息を呑んだ。

一目でこれほど多くの人間を見たのは初めてだったからだ。

 

 城壁の周囲には、まるで熟れ落ちた果物に集まる無数の昆虫のように黄巾賊が群れていた。

とくに城門への人盛りはすさまじい。


混雑の中で、切り出した大木の幹を抱えて扉にぶつけている連中もいる。

そのたびに人が掻き分けられて、波のようにさざめいた。

まるで祭のような狂乱ぶりである。


「斥候部隊長」

「はい」

 少女に呼ばれて、年高の兵士が一歩前に出る。


 ちなみに、少女は今まで使用していた鎧や大剣は重くて装備不可となっていた。

現在は冠と軍服、軽めの剣を一本背中に背負っているだけ、という、ほぼ無防備である。


「この敵の数は大体どれくらいなのだ?」

「約十万人ほどでしょうか」

 

 十万人と聞いた護衛の兵士たちはざわついた。

当然、自分たちより敵の方が多い事はわかっているが、具体的な数を聞いて改めて恐怖心が沸いたのである。


「これが十万人か。参考によく覚えておくよ」

少女は、今さら恐れても強がっても意味がないというような、どこか冷めた声色で答えた。


「ところで、なぜ皇甫嵩殿と朱儁殿は籠城する結果になったのだと思う?」

 斥候部隊長は、あまりに無遠慮で直球すぎる質問に、ポカンと馬上の少女を見上げた。


……ま、まさか、上司批判をしたいのか?


 相手がどんな言葉を自分に求めているのかわからず、斥候部隊長はつい無言で相手を見つめ続けた。


 その沈黙に、少女は苦笑いを浮かべる。


「すみません。

単純に、あなたの考えを聞きたかっただけなのですが聞き方がよくなかったですね。

いろんな意味に取れて。


あなたは私よりの戦いを知っているし、敵もよく観察しています。

いろんなものが見えているでしょう。


そのあなたの考えを、ぜひ教えていただきたいのです」


「は。はぁ……」

 斥候部隊長は驚きと戸惑いで、気の抜けた返事をした。


……これまで多くの指揮官についたが、考えを教えてほしいとお願いしてきた人は初めてだ。


曹騎都尉は変わった人だ。と思いながら、部隊長は口を開いた。


「二将軍がこの状況に追い込まれた原因……は難しくてわからないのですが。

しかし、私の考えというか、思う所などでしたら、いくらでもお話します。


まず、黄巾賊の指揮者は、波才という者です。

私は、あなどれない人物だと思っています。


彼は十万人をまとめて戦力にする事ができる。

官軍の将軍二名を籠城させ、援軍である我々を必要とさせるほど追い詰める事ができるのは、敵ながら見事なものだと思いました。


黄巾賊たちも、もはや農民なのか、それとも……」


相手が言葉を探して口をつぐんだので、少女は適当に継いだ。


「兵士に進化していると?」


「ああ、いやあ、そこまで秩序あるものではないかもしれません。

ただ、とにかく手に負えない集団に進化しつつあるのは、間違いありません。

このまま放っておくのは確実にマズイ、そんな気がします。


それに、近頃は黄巾の連中も、戦いの流れというものさえわかってきているのかもしれない、と思う時が多くなりました。


今回など、特にそうです。


元農民の寄せ集め、烏合の衆、しかし今やそれだけではない面も確実に持ちつつあると、私は思います」


 斥候部隊長は太い眉を憂いでひそめて口を閉じた。


「なるほどとても参考になったよ。


私は相手を哀れな農民たちだと思わず油断せずに戦うよ。

ありがとう」

少女が礼を言うと、斥候部隊長は拱手して一礼を返した。


 少女は再び、視線を黄巾たちへ向けて、心の中で思う。

……とは言え、狂暴な黄巾「賊」は、元は素朴な「農民」たちだったことは、忘れようにも忘れられない事実だ。


彼らは、今の腐敗した政治を作った漢王室を廃し、自分たちが信じる新興宗教の教祖を皇帝にすれば、世が正されると純朴に信じているだけなのだ。


しかし彼らの中で一体何人がこの反乱の裏では、宮廷の関係者と黄巾の幹部が絡んでいた事を知っているだろう。


太平道の教祖たちは、政府高官である宦官中常侍たちと共謀し、国家転覆を企んだ形跡があった。


実際に戦っている元農民の彼らは、世の為、人の為、正義のために戦っていると信じているのだろう。


だが、結局は、権力の奪い合いの駒に利用されているだけかもしれないんだ。


 少女は、わずかに瞳を細めた。


……だが、どのような理由であれ、彼らのせいで大きく世が乱されているのは事実。容赦は無用だ。

 

 そして、顔を上げた。


 「伝令隊長」

今度は若い兵士が慌てて前に出てきた。

「は、はいっ」

「私は今すぐこの城に入って、直接、皇甫嵩殿と朱儁殿と話しをしたいのだが、やはり無理だと思うかね?」

「えぇっ?」と、思わず驚いてしまい、若い兵士は自分で口を押えると、急いで謝った。

その様子に少女は声を出して笑ったので、兵士はホッとして答えた。


「それはもちろん、今はとても無理ですよっ」

兵士は元気にハッキリと答えた。


「たとえば、黄巾賊のふりをして門前まで行けたとしても、門が少しでも開いたら、堤防が破れたように奴らも乱入するでしょう。

なので夕暮れ、あるいは夜まで待つべきです。

やつらも夕食と睡眠をとるでしょう。その時に隙ができると思います。

大きな城ですし、完全包囲を続けるのは難しいものです」

 

少女は笑顔でうなずいた。

「まったくその通りだね。ありがとう」

若い伝令隊長は、どちらかというと年頃の娘に笑顔でお礼を言われた事に満面の笑みを返し、拱手した。   


 そして少女は後ろを振り返ると、馬を連れている兵士に命令した。

「本隊に伝えてきておくれ。夜間になるまで休憩だ。ここでは火は使わず食事を取るように」

「わかりました」

一人、即座に馬で丘を駆け下りていった。

その様子を見届けると、少女は一息ついた。


「では、やっと私たちも休憩の時間だね。

のんびり、敵の動きを待つとしよう」


 食事をする者、馬や武器の手入れをする者、眠る者、それぞれ、戦いの前の大切な時間を有意義に、のんびりと過ごしていた。


少女は一人ぽつんと、丘の隅にいた。

若い伝令隊長は様子が気になり、芋の干物をかじりながら、座ったままそっと近づき、横目で観察した。

少女は黙々と、小さな紙に筆を滑らせていた。


伝令隊長は眉をひそめた。

……わりとカワイイのに、こんな所でもお勉強かな?ヘンなヤツだな。

そして話しかけることなく、座ったまま遠ざかった。 


 やがて、深く藍い夕暮れの帳が、銀朱に輝く空を徐々に地平の奥へ沈み込ませてゆく。

金鼓の音が響くと、黄巾賊たちはどこかへ移動を始めた。


「あっ。やつらもご飯の時間のようですね。どれくらい留守番が残るのだろう」


丘の上の兵士たちは薄暗い中で目を凝らし、黄巾賊の動きを見物する。


「おおっ見てください騎都尉!裏門がほとんどガラ空きです!

皆、腹が減って居残りなんてできんのですねっ」


「おい、早くっ、下に行くのだ」


背後で声がして、皆が振り返ると、すでに少女は馬上の人で駆けだしていた。

「は、早いっ、いつの間にっ」

皆、急いでその後を追った。


 つづく

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