第6話 その答え

……さてと、身の安全が確保できるなら、もうなんでもいいや……。


 少女は軍団長たちの密やかな声を聞かないようにしつつ思った。 

すっかり気分は、投げやりである。



 それにしても、本当に面倒な事になってしまった。


……万が一、ここで騎都尉の任を解かれなかったとしても、面倒は続く。


 少女は地図に大体の行軍進路を見直しながら考える。


いつもならそれが終わると地図は袖の下の入れていたが、今は、解任になれば誰かに全てを託すことになる。

割符とともに、そのまま机の上に置いておいていた。


 洛陽に帰ったあと、この姿で役人を続けられるとは到底、思えない。

……儒教を重んじる者からは、宦官の親族というだけでも視線は厳しかったのに、さらに冷たくなるだろう。


そう思うと、胸の内に嫌な痛みを感じて、瞳を細めた。


 役人になって約十年。

自分なりに漢王室と社会秩序の崩壊を止めるべく、時には無茶をして頑張ってきたつもりだった。


だが、その全ては中途半端で終わるらしい。

つまり、挫折が決定的となるわけだ。


一瞬、目眩がした。

とっさに目を閉じると、嫌な考えを止める。


……逆に考えよう。


役人たちの間では、血筋や賄賂が優先され、無能のくせに地位が高く、権力がやたらに強い奴が多くいる。

そういう不正や賄賂を取り締まろうとすると、そいつらから逆恨みされて、逆襲までされる始末。

そんな理不尽で、危険で、ムカつく職場とは、これでサヨナラできるって事じゃないか。


なにしろ今や、私は正体不明の女の子なんだからな……。


 そう考えて、ハッと目を見開き、かすかに眉をひそませる。

……そうだ、この正体不明の姿で、家に帰宅したら、どうなるのだろう?

もしかしたら、家を追い出されかも?


うちは奥さんが五人もいるから、その場の勢いでワーワー言われて叩き出されるような気もする……。

その上、仕事もクビになったら……?


 少女は眉間に深いシワを一つ寄せた。

……そうなったら、もう一生一人で田舎のすみっこでのんびり暮らそう……。

残った家族は、父上に保護してもらえるように、手紙を書けば、なんとかしてくれるだろう、たぶん。

筆跡は変わっていなかったから、父上なら、私からの手紙だと信じてくれるのではないかな……。


 でも、もしも、家族が私の事を信じてくれて、一緒に暮らしてくれる時はどうしよう。

それで役人をクビになってしまうと、家族全員と一生、隠棲するには貯金が足りないな。

まあ、その場合も田舎に引っ越して自給自足の生活をすればいいか。

実家に戻れば、金は唸るほどあるけど父上の世話になる事は、したくないし……。


 少女は頬杖をついて、小さくため息をついた。


……なんにしても仕事をクビになったら、世の中や漢王室がどうなろうと知らんふりして生きていくんだ。

実家の父上の世話は、兄弟たちがしてくれるだろう。

我が家の跡継ぎだって、子どもが十人くらいいるから、心配いらないし。


そして少女は、ハッとした。


……つまり私は今すぐこの世界からいなくなっても、なんの問題ないって事だ……!


「曹騎都尉、大丈夫ですか?」

 項騎兵軍団長に声をかけられて、少女はギクリとした。


「さきほどから無言で泣いてらっしゃいますけど……」

「ふぇっ!?」

少女はあわてて男物のやたら長い袖で顔を拭いながら鼻をすすり、最後にかんだ。

項騎兵軍団長はわずかに眉をひそめたが、しかし基本的には心配そうに、その様子を見ていた。


「うーっ!正直に言うと」

少女はまだメソメソと、こぼれ落ちる大粒の涙を袖で押さながらつぶやく。 

「私はとても心残りなのだよ。

私は今までも、役人として、多くの人が平穏に暮らせる世を目指して、私なりに頑張ってきたつもりだったんだ。


今だってそうだ。

戦場の最前線で、大規模な反乱軍を討伐して、少しでも元の世界に戻したかったのに。

しかしそれが唐突に、できなくなってしまったのだ。


私は君たちが、心底、羨ましいよ。

だって君たちはこれからもずっと、自分の力と能力の限り尽くし、何かの為に、戦い続けていけるのだろうから。


私はもう、戦う力も、権利すら無くなるかもしれないんだ」


 項騎兵軍団長は、急に、口元に手をあてた。


それが、笑みを隠すためだと気づくと、少女は急速に耳まで赤くなった。

そしてムッとしつつ、瞳を涙で揺らしたまま、目をそらした。


「す、すみません、大変、失礼をいたしました……」

彼は慌てて真剣な表情になり謝った。


「私はすっかり、あなたが弱気になって泣いているのかと思って、慰めの言葉まで、考えていたのです。

それがまさか、戦えないから泣いているとは、思いもよりませんでっ」


「あ、そ」

眉を寄せ、赤い頬をして鼻をすすり、少女はムスッと拗ねたように答える。 



「それで、先ほど、こちらで相談しろと言われたお話なのですが」


少女はやや腫れぼったくなった目を、反射的に大きく見開いて青年を見た。

その強い視線を受け止めつつ、言葉を続けた。


「その、騎都尉の外見を気にする者もおりました。

ですが結局、騎都尉に職務を続行してほしいという結論になったのです」


 その言葉に、少女は息を呑んで、相手をさらに強く見つめた。


相手もその視線に負けずに見つめ返し、そして少し言いにくそうに言葉を続けた。


「その、私たちはハッキリ言いますと、無駄死にしたくないのです。

戦争は武力だけでは勝つものではないと、歴史が証明しております。


それに、あなたはこの奇妙な逆境の中、一人きりで状況を覆そうと苦心されていました。


乱暴な事を言いますとあなたが誰であろうと、私たちは、あなたの発想やら勇気に感服してしまったのです。


それに、もしもあなたを騎都尉から解任すれば、私が繰り上がってこの軍の指揮者となってしまいます……」


 青年の瞳の奥に不安が揺れているのを少女は感じた。


「私はあなたと話をして、指揮者の素質はあなたの方があると、強く感じてしまったのです。

あなたを解任するのはマズイと、一番強く反対したのは私です」


少女は腫れた目のまま小さく頷くと、青年も頷き返した。


「あなたは私たちの最大の武器になるだろうと、皆、納得しております。


なので、外見、などという中身のない事で、騎都尉を解任するのは愚だという結論に、我々は至ったわけです」


 そして彼は姿勢を正すと拱手した。


「曹騎都尉、改めてお願いいたします。ぜひ、私たちと一緒に戦ってください」


そして深く頭を下げると、他の者も、一斉にそれにならった。


「……ありがとう、諸君。顔を上げてくれたまえ」

声をかけられて、全員が直立に戻る。


 目の淵が薄赤い少女は姿勢を正し、長い袖をずらして両手がよく見えるようにすると拱手した。

そして、深い礼を返す。

その一連の動作は宮廷仕込みのため、勇ましいというより、優雅なものであった。


 少女は顔を上げると、一人ひとりの顔を見ながら応えた。


「ありがとう。私を再び戦いの場に戻してくれたこと、心の底から感謝いたします。

そしてこの非常時の貴重な時間を浪費させた事と、無防備な姿でここに集合させた事を、心からお詫びします」


 そして拱手を解くと、微笑みを浮かべて静かに言った。


「それでは、私の兵士諸君、できるだけ早く出発の準備をするとしよう。

遅れて、潁川が落城したら、私たち全員が処罰対象になってしまうからね。


行軍行程は、すでに私の頭の中にある」


 つづく

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