第4話 兵法と虚言 ~昨日の私と、今日の私は同一人物なのか その3~

 青年は困惑しつつ、ひそかに思った。


……おかしい。明らかに話が重くなってきた。


その、なんだ。

副官の私を、戦争初心者の指揮官がキューンと頼ってくれたら嬉しい!と思いちょっとした出来心で指摘というか反発してみただけだったのに。

どうしてこうなった?

やっぱり女の子ってムズカシイ。


しかしこれはこれで、気になる話かもしれない。


実際、兵法を知っているはずの官軍は黄巾賊に勝つどころか、逆に圧されている。

だから私たち援軍が、ここにいる。


……兵法を知っているのに勝てない、その証拠が私たち自身……。

今さらながらその事実に、青年はぞくりと身震いした。

……いや、まさか本当に、兵法ってつっかえ……いや、まさかまさか?



「兵法を学んだ我々が、なぜ圧されているのか?

それは、兵法書は必勝本や攻略本ではないという事さ」


青年が長く無言なので、竹簡に書き物をしながら少女が答えた。


「もしも兵法書が必勝、攻略本ならば国家を揺るがす黄巾賊の大反乱など、とっくに鎮圧されているはずだ。


あるいは私たちが戦うにしても、負ける不安などないはずだ。


そもそも兵法の上策は、戦わずに勝つ、だ。

反乱は起きる前に潰され、外面だけでも平和な状態が続いているはずだ。


それに、読んだら勝てる究極最終奥義のような本なら、そんな危険なものは帝によって厳重に封印されて、誰もが読めないはずだ。


だが、現実はすべてその逆ではないか。


孫子の兵法など、約七百年以上経った今でも新解釈、新注釈、新解説をつけては新作が発表され続けている。

みんながその内容を理解してもらおうと、広め続けているんだ」


 少女はふと筆を止めてくるりと目玉を一回転させた。


「おかげで孫子はいまや、肝心の原文よりも解説や注釈を読む方が時間がかかる。


私の夢はね、いつか孫子の兵法を簡潔にまとめて、私一人だけの注釈を入れて発表することなのだ。

あ。話が横道にそれてしまったな。


つまり、私も含めて多くの人が、兵法を知らない者にもその内容を知ってもらおうと苦心しているんだ。

まるで誰もが知る、一般知識にしようとしているかのようにね。


このような本を、世間ではなんというのかな?」


「きょ、教科書、でしょうか……」


青年はうめくようにつぶやいた。


「だからといって、戦場でそこに書いてある正攻法の答えを繰り返していては危ないかもしれないけどね。


宴会で兵法書を丸暗記した酔っ払いが、もしも戦場にいたら?


行動を簡単に先読みされ酔っ払いのワナにひっかかって全滅するかもしれないって事さ」



 青ざめた青年は、再び筆を動かし話す少女を強く見つめた。


……た、たしかに。

もしも私はここで、曹騎都尉になんとなく突っかかってなかったら。

私は簡単に戦場で罠にかけられて死んでいたかもしれない。


「で、では、曹騎都尉は兵法書には従わない兵法使いなのですか?」


自分でも、ちょっと何言ってるかわからない、と思いつつ青年は少女に尋ねた。


だが相手は理解したらしい。

とくに妙な顔をするわけでもなく書き終えた竹簡を眺めつつ答えた。



「兵法は軍人の知っておくべき基本知識だが、それが戦場での答えではない」


少女はきっぱりと言い切った。


「世の中には、数学のように唯一の答えしかない問題と、そうではない問題がある。

兵法は後者だろう。


勝てるなら従う。

勝てないなら従わない。


それでいいのでは?


ただ使うにしても最上策の、戦わずして勝つ、を使いたいものだけどね。


百戦百勝する兵法家はまだまだだと思っている。


戦争はたとえ勝ったとしても、人は死に、土地が荒らされ国にとって大損害しかない。

その凶事を止められない時点で、兵法家としてはまだまだなのさ。


そして兵法は騙し合いをするという事だ。


だから戦場では、最初から最後まで先が読み切れる事はない。

日常や、遊びで規則のある碁でさえ、そんな神業はできない。


だからどこで何が起きてもあわてず、対処していくしかない。


戦場は表面に見えていなくても、目まぐるしく、まるで水のように変化するものだ。

だから私たちもその変化に合わせて、陣形や作戦を自在に変形させて対応していくしかない。


さらにいえば、無いのに、有るというのが理想だ。

敵が認識できる情報は、全て偽りになるなら最高だ。

陣形など、見せた瞬間に攻略法が考えられてしまうものなのだから、困ったものだ。


ときには教科書をこえて、それは不良のやり方だと思われるかもしれないね。

しかし兵法というのは、剣や槍と違って、この自由自在に変形できる所が最大の長所だと、私は思っているんだ」


「あハイ……」


青年はいつしか早口で話す少女に圧倒されて、わかったようなわからないような声を出すしかできなかった。


「ついでにちょっと言っておくけど。

さっき私はキミに意地悪な事を言っていたんだ。


先読みされるかもしれない問題の解決策は、兵法書自体にすでに書いてあるのさ。

そしてそれが、戦いの基本だ。


なんとなく興味本位でキミがなんと答えるのか試すような事をしてしまって申し訳なかったよ」


「え?!」


青年は驚いたが、怒らなかった。代わりに、ある閃きが頭蓋の中に一つ落ちてきた。


……この人が敵じゃなくてよかった。この人と戦う事になったら、きっと面倒だ……。


この閃きが、どこから沸き上がってきたモノなのかわからなかったが、青年は全面的に肯定した。


そして、安堵と気持ち悪さが混在するような、座りの悪い気持ちがした。


……とにかくこの人とこれ以上、敵対するような事はよくない。とにかく、面倒だ。



 相手は結局、具体的に、どう兵法に少々詳しいのか、語る事はなかった。

しかし青年は、それらを聞く気が失せていた。


……兵法が今までとは違うものに見える気がする……。


それだけで十分だった。



「私も、あなたに何度か失礼な態度をしました。

だから、おあいこです。私も、申し訳ありませんでした。


それで、最後にその、正攻法が先読みされる問題の解決法を具体的に教えていただけませんか?」


 少女はやっと竹簡から顏を上げると、棘の無くなった青年を見た。


「それはまた別の機会があれば、話をしよう。


それに私は上から目線で色々と言ったけど、全ては所詮、戦争初心者の戯れ言と思って聞き流してほしいものだ。


なにより、兵法書を読めば書いてある事さ。

気が向いたら読んでみればいい」


「わかりました。またあなたとお話できる日まで、読んで待っています」


少女は白い歯を見せて無邪気に笑ってしまい、あわてて口元を隠した。


「キミってほんとうに素直な人だね。あなたが私の副官で良かったと思うよ。


私はキミのような、兵法が苦手そうな人が大好きだ。


キミのような人は、この殺伐とした世界でも懸命に咲く花のように見える。


その美しい花が増えれば、世界もきっと変わるのだろうね……」


「えっ?!本当ですかっ?!私も曹騎都尉の副官で良かったですっ!」


「だけど、ここで私が指揮官を降ろされたら、キミがなるのだろう。

その時はキミが苦手な事も考えなきゃいけなくなるかもしれないな」


「えぇっ?!」


刹那のうちに気分が上下したので、青年は軽いめまいを感じたほどだった。


それに、一軍の指揮官をするだなんて考えたとん、その重い責任に鬱にもなってきた。



「べつに難しく考える必要はないよ。


戦争はできるだけ早く勝てばいい、それだけだ。


兵法はその方法の一つで、あくまで自分の補助に使うだけさ。振り回されないことだね」


「わ、わかりました……」


青年は仄暗い顔で、うなずいた。



 少女はふと何かを思い出したように、話をつづけた。


「そういえばキミは最初に、文官が武官になれるのか、という質問をしていたな」


青年は大きくギクッとした。


「それも、気になるから言っておくよ。

キミが指揮官になった時に、注意しなければいけない点になるかもしれないからね。


キミは大将や将軍は勇敢に戦ったり、先頭に立って敵陣に突っ込むものだと思っていたんじゃないかな?


だから、私のような文官上がりに、そんな命知らずな事ができるのか気になったから、尋ねたのでは?」



 青年はそれを尋ねた時の勢いはどこへやら、怒られる寸前の少年のようにそわそわと視線をそらせた。


「もしそうなら、それは将軍や指揮官として一番ダメな戦い方だと覚えておいた方がいい。


それは時代遅れの将軍のやり方だ。

指揮官がそんな事をしてケガや討ち死にしたら、その軍隊は大混乱に陥るだろう。


いわいる白地将軍の行動さ。 ※←下記にネタバレあります


この事については周の軍師、呂尚つまり太公望も……」



「曹騎都尉、斥候が帰ってまいりました!」


 見張りの声に、少女は言葉をピタリと止めた。


幕舎の中の全員が入り口へと振り返った。


青年はひとり、悪夢から覚めたような顏で振り返る。



「入りたまえ」


少女はつぶやくような小声で言うと、雑用係がそれを大声で復唱する。


「はい!」


 若い斥候兵は元気に返事をして、入り口を開いた瞬間、動きを止めた。


……えっなにここ?!寝間着のおっさんだらけなんだけどっ!?



つづく



※ネタバレ

言ってる本人も最前線でよく戦って、ぼちぼちケガをしています。

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