第3話 昨日の私と、今日の私は同一人物なのか その2

 皆の戸惑いは疑心暗鬼へと変わり、重い沈黙が漂い続ける。 


そんな空気の中、少女は袖の下から小箱を取り出した。


「私は寝る時、割符をこの小箱に入れて保管している。

……ま、言ってしまったから、今夜からは変えるけど。


さて、この小箱だが職人に作ってもらった品で、鍵付きの特別製なのだ。開いてみようか」

 

 言いながら襟元からスルスルと紐を引っ張り出すと、先に結びつけている小さな鍵を掴んだ。

それを小箱の鍵穴に差し込み回すと、乾いた金属音と共に蓋が開いた。


「ふむ。曹騎都尉の小箱が小娘の私の持っていた鍵で開いたな。割符もちゃんとある。

  

融(ゆう)歩兵軍団長」


「は、ハッ!」


不意に名を呼ばれた男は、つい反射的に挙手した。

と同時に皆、この正体不明の少女が彼の名前と所属を言い当てた事に衝撃を受けた。



「キミが指名したまえ。この割符が本物か確認する者を」


「えっ私がですかっ?」


戸惑いつつも、左右を見る。


「で、では……左隣の、お一人、いや、お二人を抜かして……」


「厳(げん)弓弩軍団長だね」


少女はまたしても名前と所属を言い当てる。


無作為に選ばれた彼は戸惑いつつも前に出ると、恐る恐る割符を受け取り慎重に調べた。


やがて、本物だと証言すると、皆、小さく驚きの声を上げた。



 だが、当の少女は表情は晴れない。


「割符は偽造ができるし、箱や鍵も奪おうと思えばできる、のかな?」


自分自身で、疑いの可能性をささやく。



「では次だ。


私は昨晩、諸君らに黙って一部の斥候部隊を動かしていた。


だから今ここに斥候部隊長はいないわけだ。

なぜ黙っていたかというと行軍進路を決めるためだけの情報収集だからだ。

進路は私が決めているので、わざわざ報告しなかったのだ。


その調査に出ていた彼らが、そろそろ戻ってくるはずなんだ」


 少女は一息つくと、また説明を続けた。


「つまり昨晩、私と斥候部隊だけで秘密のやり取りがなされている、というわけだね。


その内容を、この竹簡に記す。


そして彼らが帰ってきたら、やり取りの内容を答えてもらう。


私が今から竹簡に記す内容と、彼らの答えが合っていれば、昨晩、青年だった私と、今は小娘の私の記憶は同じ。

同一人物であるという証拠の一つになるのではと思うのだけれど、どうだろうかね?」



 皆、顔を見合わせたが、誰も何も言わなかった。


「ま、その事がなくとも、斥候隊の情報がなければ、進路を決められない。

とりあえず、少々お待ちいただきたい」


そして剣を引きずり簡易な机に移動すると、硯に墨をすり始める。



 一人が、控え目に手を上げた。


「項(こう)副将、兼、騎兵軍団長」

少女が呼ぶと、青年は手を下げた。


「先ほどは一番に駆けつけてくれてありがとう。質問かな?」

 

「は、はい。突然すみません。お聞きしたい事があります。


以前、曹騎都尉は宮廷で学者としてお勤めされていたと聞きました。


具体的には、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?」

 

 少女は意外そうな顔をした。


……私の経歴にやけに詳しいな。

上司、しかも戦場で指揮官になる人間だし、細かく調べたのかな。



「宮廷で、代表的な四つ古学の専門家が一名ずつ必要になったのだ。

その一人として、私が任命された。

歴史学者のようなものだね。上奏もした」

……功は奏さなかったけど。


 即答すると、筆を竹簡に滑らせ始める。


「……私が聞いた経歴と合っています」


青年は小声で両隣につぶやくと、続けて言った。


「それでその、気になっていたのですが。


文官から武官への人事異動は、よくある事なのでしょうか?」


相手の声色はやや低くなったが、少女は気にする様子はなく書き物をしながら答えた。


「私は兵法にも少々詳しいので指揮官ができるかもしれない、と思って任命してみたのかもしれないね」


「へ、兵法ですか?」

 

青年は眉をひそめた。


「兵法書は、文字が読める軍人なら皆、目を通しています。


敵の将軍だって知っているかもしれません。

宴会の余興で一読みして暗記した者もいるとか。


そのような、誰でも読める書物に少々お詳しいだけで、戦争に勝てるものなのでしょうか?」


「キミの疑問はもっともだ。私もそれは気になるんだ」


「え?!」


青年は驚いた。


……否定しなければ、言っている事が矛盾するのでは?


そう思っていると、筆を走らせながら少女は口を開いた。


「ただ、私たちは結論は同じだけど、そこに至るナニかが食い違っているのかもね。


ひとつ言うと。

私は詳しいという言葉を使ったけど、ここでは、覚えている、暗記している、という意味ではないね。


兵法書は誰でも読める書物なのだから、誰が知っていても不思議じゃない。

キミの言う通りだ。


その内容が効くからこそ、軍人は誰もが読むべき、覚えるべきだと言われるわけだ。

しかし読むだけで戦争に勝てるわけじゃない。

これもキミの言う通りだ。


だって読んで勝てるのならば、どうして援軍である私たちがここにいるのだろうね?


兵法を学んだ我々が、なぜ圧されているんだ?


兵法は知っていても勝てない。


その証拠が、負け続けている私たち自身なのさ」



つづく


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