第34話 どう足掻いても化け物から逃げられない③
「あの化け物ってなんだったの?」
夕飯のデザートにショートケーキを食べながら桂華は問う。「どうせ、覗き見てたんでしょ」と言えば、ニャルラトホテプは「這うもの」と教えてくれた。
死んだ魔術師の成れの果て。あの空間は獲物を誘い込むもので這うものはそれを捉える役目を担っていたらしい。猫がいたのはたまたまだったようだ。だから、「キミって本当に幸運だよね」とニャルラトホテプに感心されてしまった。
「バーストさまにお礼言おう」
「ボクの前で他の神の名前出すのやめてくれないかね」
ニャルラトホテプはむすっとした表情を見せた。そんなことを言われても助けてもらったのだからお礼は言わねばならない。
とは言うけれど、この男は独占欲が強いのだ。それでいて嫉妬もする。面倒だなと思いながら桂華はケーキを頬張った。
「そんなに不満? 私はあんたから逃げられないじゃん」
「他の神に気に入られたことが不満」
バーストのやつは面白がっている節があるのが特にとニャルラトホテプは不満げだ。お前もだろうと桂華は突っ込みたかった。私を気に入った理由を思い出してみなと。
きっと自分は良くて、他人は嫌なのだ。何と自己中心的な考えだろうか。神というのはよく分からないものだなと桂華は思った。
「どう足掻いてもあんたから逃げられないのに何が不満なのさ」
そう言うとニャルラトホテプは目を瞬かせた。何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げる。
どう考えても化け物、邪神から人間が逃げることなどできない。どこで何をしているのか見ることができ、魔術が使えて、化け物を従えている。殺しても死なないというのだからこれの何処に逃げられる要素があるのだろうか。
それならば疲れて終わるような面倒なことはしたくない。どうせ、捕まって終わるのだからと言えば、ニャルラトホテプは納得したようだ。
「まぁ、その通りだね。キミは逃げられない」
「でしょうよ。だったらそんな面倒なことしないよ。飽きるまで待つ」
「飽きることはないだろうけれど。着実に堕落していけているようで」
「その自覚があるから困る」
「いいじゃないか、ちゃんと面倒みてあげるさ」
にこにこと機嫌を良くしたように言うニャルラトホテプに桂華は眉を下げた。この男ならやりかねないなと。このまま付き合いが続けばそうなるのだろう、彼が飽きて捨てない限りは。
捨てられても困らない、そう桂華は思ったけれどもうだいぶ侵食されてきている自覚があった。食事だけでない、生活習慣の全てをこの化け物に管理されてきたからだ。
それが無くなった時のことを考えてひやりと寒気がした。また、前のように戻れるのだろうかと。
「キミはね、だいぶ堕落してきているからもう戻れないと思うよ」
察したのかニャルラトホテプは言った。桂華がじとりと睨めば、彼は愉快げに目を細めるだけだ。
「ちゃんと、堕落させてあげるさ」
「嫌なんだけど」
「なら、逃げないと」
「逃げられないの知ってて言ってるな?」
「もちろん」
それはそれは綺麗に笑みを見せて言ったニャルラトホテプに桂華は渋面を作る。
飽きてくれないだろうかと淡い希望を打ち砕いていくような返しに桂華はもう駄目だと溜息を吐いた。どう足掻いてもこの化け物からは逃げられないのだと。
堕落させられる中で恐怖と困惑と、狂気をこの化け物に見せることになるのだ。自身の幸運さと無知がそれを助けるように発動して、狂ってしまったほうが楽だというのにそうはさせてくれないのだろう。
果たして、これは幸運だと言えるのだろうか。不運なようにも思えてならず、桂華は眉を寄せた。
「大丈夫さ、死ぬ時までちゃんと看取ってあげるから」
「それが嫌なんだけど?」
「嫌でもボクはやるけどね」
死への恐怖、苦しみ、それらをちゃんと看取ってあげると言われて、楽しみたいだけなのだと桂華は理解する。だから、嫌なのだとあからさまに表情に出すけれど、ニャルラトホテプは笑みを見せるだけだ。
本当に逃げ場がない。桂華は自身の運命が決まったのだと実感した。この化け物を楽しませるだけ楽しませて、自分はそう長くない人生を終えるのだと。
「
「そーでしょうね!」
桂華はもう考えるのも嫌になってつんっとそっぽを向いた。ケーキを食べ進める様子に機嫌を損ねたのをニャルラトホテプは気づく。気づいたけれど、それがまた可笑しく愛らしく感じているのか、目を細めながら眺めていた。
桂華は段々と堕落していく感覚に恐怖を覚えながら、それを表には出さないようにしていた。けれど、ニャルラトホテプには通用しない。気づかれているし、もっと落とそうと相手は行動している。
あぁ、どうしてこんな化け物に好かれてしまったのだろうか。嫌だというのに甘やかされている自身の身体は堕落していくのを感じる。
桂華はケーキを食べながらそう考えてひやりと胸を冷やした。少しばかり恐怖が這い寄ってきて、それを隠すようにコーヒーを飲むとニャルラトホテプと目が合う。
彼は何もかも分かっているようだった。それに腹が立ってけれど、それと同じくらいに恐怖が押し寄せてきて桂華は黙ってしまった。
彼女が落ちるまでそう遠くはない。
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