第33話 どう足掻いても化け物から逃げられない②



 猫は少し歩いては後ろを振り返りを繰り返して桂華の歩く歩幅に合わせてくれていた。猫がいることで少し安心した桂華は周囲をよく見てみることにする。


 住宅地を抜けるとそこは林のようになっていた。ぽつぽつと家も見えるけれどどう見ても街とはかけ離れていた。街からそれほど歩いてはいないはずなので、これはまた何処かに迷い込んでしまったなと桂華は理解する。


 異界のように誰もいないわけではないけれど不気味な雰囲気は漂っていた。昼間だからなのか押し寄せてくる恐怖は少ないけれど、それでも怖さはある。


 茶トラの猫はてこてこと前を歩いていく。今はこの子を頼るしかないので桂華は大人しく着いていった。猫はちらちらと桂華の様子を窺いながら歩いている。


 長い林の道を抜けるかといった時だった。ガサガサガサと茂みが大きく揺れた。何だと振り向いて桂華は目を見開く。


 無数の蟲と蛆の塊がそこにいた。蟲は絶えず蠢いていて全体は何処か人間の形をしているように見える。うっと桂華は口元を押さえた。醜悪なそれは精神値の賽投げに勝利しても幾ばくかの精神を削った。


 その蠢く蟲の塊は桂華に向かって歩いてくる。



「ニャーーー!」



 猫の鳴き声にはっと我に返る。猫を見遣れば駆け出していたので、慌てて逃げるように桂華も走り出した。


 背後を見遣れば蠢く蟲はずんずんと追いかけてくる。なんだ、あの化け物は。猫に着いていきながら走る。猫が飛び駆けるように階段を駆け上がっていったので、それに続くように上っていく。


 朱色の鳥居をくぐり抜けたのが見えて、神社へと続く石段を上っているのだと桂華は気づいた。上り切った先に猫は座っていた。じっと何かを見つめている。走りながら上ったこともあって息を切らした桂華は何だと顔を上げた。



「キミ、頼るならボクを頼ってほしいのだけれど」



 ニャルラトホテプが茶トラの猫を見つめながら言う。眉間に少しばかり皺が寄っていたので、頼られなかったことが不満なようだ。桂華ははーっと息を吐いて呼吸を整えると彼の元へと歩む。


 人の姿のニャルラトホテプは立っているだけで様になる。黒のテーラードジャケットにグレーの七分袖のTシャツに黒のパンツ、ラフなように見えてきっちりとした服装の顔の良い男が立っているのだ。


 腕を組んでいればそれだけで人の目を惹きつけられる。様にならないわけがない。この異様な空間ですらそうなのだから。けれど、桂華にとってその姿が安心できた。何も変わらない、この化け物の格好の良さが。



「ただ迷っただけだと思ったんだもん」

「少しはおかしいと気付こうね」

「そうします」



 桂華はその通りなのでおとなしく返事をしておく。ニャルラトホテプは「またやりそうだね」と小さく呟いて彼女の手を握った。



「帰るよ」

「あ、猫」



 桂華が思い出したように見て、目を瞬かせる。側で座っていたはずの猫がいつの間にかいなくなっていた。どうしてだとニャルラトホテプを見遣ると彼は「バーストが連れ帰った」と答えた。



「此処は数少ない猫を祀っている場所だ。バーストの手が届く」



 危険な場所へと迷い込んだ猫はバーストに助けられる。心配することはないと言われたので桂華はほっと息をついた。


 本当に何処にもいないのだ。ニャルラトホテプが何かした様子はないのでバーストが助けたのだろう。そこであ、あの化け物と思い出す。振り返ってみるもそこにはいなかった。



「入れないようになっているから大丈夫」



 ニャルラトホテプはそう言って帰るよと桂華の手を引いた。


 

          ***


 

 神社を出た途端、景色ががらりと変わった。立ち並ぶビルに交通量の多い道路、騒がしく行き交う人々。元いた場所へと桂華は戻ってきていた。


 本当に元の世界だろうかと桂華はきょろきょろと見る。その様子が可笑しかったのか、ニャルラトホテプがくすくすと笑っていた。



「何!」

「いや、キミの行動が面白くて」

「笑うな!」



 桂華は少し恥ずかしげにしながらばしっとニャルラトホテプの肩を叩く。彼は思ってもいないように「すまない」と謝りながらまだ笑っていた。それに腹が立って歩いていってしまおうかとすれば、手を強く握られて腕を引かれてしまう。



「何」

「いや? たまにはこうするのもいいかと思っただけだ」



 デートみたいだろうとニャルラトホテプは笑む。何だそれは桂華は思ったけれど、手を繋いで歩いているというのは確かにデートのように見える気がした。



「キミは一人で出かけてしまうからね。こうやって歩いてみたいと思っていた」

「え、嘘じゃん」

「キミね、失礼だよ」



 見た目、顔の良い男でも中身は化け物だ。恐怖と狂気にもだえ苦しむ様を眺めて楽しみたいだけで、そういった感情がないと思っている。とは口に出さなかったけれど、ニャルラトホテプは察したらしい。信用ないねと苦笑していた。


 何処に信用する要素があるのか教えてほしい。桂華の突っ込みに彼はまた笑った。



「まぁ、そういうところが好きなのだけれど」

「また言うか」

「本心なんだけどなぁ」



 ニャルラトホテプの言葉に桂華は眉を寄せるも溜息を吐いた。何を考えているのだろうかと桂華が訝しげれば、警戒しているのを知ってかニャルラトホテプは愉快そうに微笑んだ。



「せっかく可愛らしい姿をしているのだから、デートぐらい良いだろう?」

「うわぁ、思ってもないこと言ってる」

「本当に信用ないね」

「あると思うほうがおかしいからね?」

「まぁ、キミに拒否権はないのだけれど」



 さらりと言われて「だろうね!」と桂華は突っ込んだ。こいつのことだから拒否権などないのだろうと薄々は思っていた。いたけれど、こうもはっきりと言われるといっそ清々しい気もする。


 何がしたいのか分からないといった表情をされたからなのか、ニャルラトホテプに「楽しそうだろう?」と言った。それに桂華は「あんたがな!」とすかさず返す。それが彼のツボをついたのか、くすくすと笑われてしまった。



「ボクは楽しいよ」

「私が楽しくないんだよ!」

「いいじゃないか。たまには人間らしいことをしたって」

「化け物が人間らしいことしたら怖いわ!」

「帰りにケーキでも買ってあげるよ」



 ケーキと聞いて桂華は一瞬だけ悩んだ。すぐに「子供か!」と突っ込んだけれど、ニャルラトホテプには気づかれてしまったようで、彼はまた笑っている。楽しんでいる彼に苛立ったので、桂華は無言で彼の肩を叩いた。





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