第30話 分かってはいたけれどやることが酷い②


 あぁ、どうしたものか。桂華は困っていた。悟の歓迎会をすることになり、流石にそれには参加せざるおえなくて桂華は渋々、了承した。


 紗江莉と千歌もなるべく悟と隣にならないように両脇に座って守ってくれたので、なんとかその場は凌ぎ切ったのだが、二次会への参加を誘われたのだ。


 これは断った。これ以上は疲れたくはないし、ニャルラトホテプもあまり良い顔をしない。縛ることはしないけれどそういったことは気にするのだ。だが、悟は引かない、「いいじゃないですか、もう少し飲みましょうよ」と絡んでくる。


 嫌なものは嫌なのだ。紗江莉も嫌がってる人を無理矢理誘うのは良くないと叱ってくれているのだが効果はない。


 なんとか駅前まで行けたのだが、悟はひっついてきていいじゃないですかとまだ絡んできていた。どうしてこういうときに限って駅の近くに飲み屋街があるかなと桂華は運のなさを嘆いた。



「桂華さん、行きましょうよー」

「嫌です」

「いいじゃないですかー」



 本当に勘弁してくださいと桂華は断固拒否の姿勢をする。それでも引かず、手を掴まれそうになって慌てて離れた。



「やめてください。しつこいですよ!」



 桂華は「何を考えているかわかりませんけど、私は貴方に興味はありません」とはっきりと言う。もう我慢の限界だったので、申し訳ないけれど言わせてもらう。



「いい加減にしてください」



 桂華の言葉を後押しするように千歌が「彼氏さんいるんですから!」と声を上げる。彼氏ではないのだが、今はそのほうが便利なのでそうしておく。それでも悟は「大丈夫ですって」と笑った。



「彼氏さんより、俺の方が良いですって!」

「そういう問題じゃあない!」



 なんだ、この男はと桂華は苛立った。これには紗江莉も怒ったのか、「いい加減にしないさいよ!」と叱る。他の同僚はどうしたどうしたとその様子を眺めてはいるが、助けてはくれないようだ。



「最低な発言している自覚あるの、竹中くん」

「さと姉さん、どうして怒ってるんすかー。俺が誰を狙おうと勝手でしょ」

「相手が嫌がってるの分かってるのかって言ってんのよ!」



 竹中の反応に紗江莉はとうとう怒鳴った。それには周囲も驚いて固まる、紗江莉が怒ることなどそうないからだ。千歌も桂華も見るのは初めてで目を瞬かせている。


 だが、この男は引かなかった。別に良いじゃないですかとまた言ったのだ。この神経は酷いなと桂華は呆れてしまった。話を聞いていた他の女子も「ないわー」と呟いている。



「とにかく、やめてください」



 桂華はもう一度、言った。そんな彼女に悟はニヤッと笑みを浮かべる。じっと桂華の瞳を見つめながら企んでいた。


 嫌な予感がする——瞬間、身体中を何かが走った。寒気のような、冷たい感覚がぞぞぞっと。今、何かされている、それは確信だった。


 恐怖が押し寄せてくる、本当は魔術を使えるのもしれないと桂華は思った。魔術に負けてしまったらと考えてさらに怖くなる。咄嗟にネックレスを握りしめた。


 少し経つも平気そうにしている桂華の様子に悟は眉を寄せた。彼自身も反応が変わらないことを不審に思ったようだ。


(このネックレスが守ってくれている?)


 桂華はわずかに熱を持つネックレスにそう感じた。今はこれに頼るしかないとぎゅっと握りしめる。悟がそれに気づいてか、「何、してるんですか」と見つめてきた。



「何もしてないけど?」

「そんなはずない、だって……」



 悟は何かを言いかけて、固まった。そして、目を見開いたかとおもうと頭を抱えて叫び出した。突然のことに近くにいた同僚たちが慌てて駆け寄ってくる。


 悟は恐怖に顔を歪めながら震えていた。ガクガクと身体を揺らし、何かに怯えるように周囲を見渡しながら。


 桂華は悟の様子に「巻き込んでしまった」と思った。きっと彼は見つかってしまったのだ、あの邪神ばけものに。ひやりと心臓がぎゅっと縮む、このままどうなってしまうのだろうかと。


 頭を抱える悟に同僚たちは体調を崩したと思ったのか、「今日はもう休め」と言って彼の身体を支えて立たせた。「飲み過ぎたんだよ」と上司が背中をバシバシと叩いている。


 悟はきょろきょろと周囲を見渡していたが、桂華を視界に移すと恐怖に引き攣った表情を見せた。すぐに視線は逸らされて、彼は上司にしがみつきながら駅の方へと連れられていってしまう。


 その背を見送った桂華は不安だった、彼はどうなってしまうのだろうかと。



「桂華さん、どうかしましたか?」

「……な、何でもないよ、何でも」



 千歌が心配げに見つめてくるのを桂華は笑みを作って誤魔化した。紗江莉は悟のことで気分を害したのかもしれないと思ったらしく、「竹中くんのことは気にしなくていいからね」と声をかけてくれた。


 その優しさは嬉しかった。嬉しかったけれど、今はそれどころではない。悟があの後、どうなるのか、それだけが気になって仕方がなかった。だから、桂華は「電車来ちゃうから、私は帰るね!」と話を切り上げて駅まで駆け出した。


          ***


 帰宅してリビングへと繋がるドアを開ければ、ニャルラトホテプが何とも冷めた瞳を桂華に向けていた。少しばかり不機嫌そうな様子だけで、彼がしたことなのだと確信する。



「何したの、あんた!」

「何とは?」

「全部、見ていたんでしょ!」

「あぁ、見ていたな」



 ニャルラトホテプは「キミが男に付き纏われているのも見ていたな」と不愉快そうに言った。それはもう彼が何かをしたという答えのようなものだった。



「……何があったのさ」

「あの男は魅了の魔術を使おうとしていた」



 桂華はひとまず話を聞こうとニャルラトホテプに質問した。彼は「魔術だよ」と話す。どこで覚えてきたのかは分からないけれど、それを悪用していたのは間違いない。今回もそれを使って自身の虜にしようとしたのだという。


 桂華はニャルラトホテプからアーティファクトであるルビーのネックレスを身につけていたので効果を跳ね返すことができた。



「本当に覚えてたんだ」



 まさか、本当に知っているとは思わなかったと桂華は驚く。そんな彼女に「人間が魔術を覚えていることというのはあるものだ」とニャルラトホテプは言った。


 それは魔術書から覚えたのかもしれないし、言伝で知ったかもしれない。誰かに教えを乞うたかもしれないし、怪異に巻き込まれた先で覚えたかもしれない。きっかけはさまざまだ。だから、人間だとしても安心してはいけないと忠告された。



「怪異を経験している人間というのは多いものだ。魔術を覚えている存在もね。だから、人間だろうと油断しないことだ」


「そうかもしないけど……。あんた、何やったの」



 桂華は何をやったのかが気になっていた。全てを覗き見ていたのだから、何かしら手を下したはずだ。現に悟は急におかしくなっていた。じっと睨むように見つめれば、ニャルラトホテプは「恐怖を植え付けただけだが?」と何でもないように答えた。


 遠隔からでもニャルラトホテプは人間に干渉することができる。彼は悟の脳内に邪神の真の姿を見せて、襲われる恐怖を植え付けたのだという。桂華に近づけば現実になるぞというように。



「あの人間は精神がそれほど強くなかった」



 たったあの程度であそこまで怯えるのだから。ニャルラトホテプは「明日には会社を辞めているかもしれないな」とさらりと言う。


 それに「そこまでする必要があるの!」と、思わず桂華は言ってしまった。桂華の反応にニャルラトホテプは眉を寄せて「それだけで済んだと言ってほしい」と低い声で返してきた。



「あのまま廃人にしてもよかったのだが?」

「だからって、やりすぎ……」

「だいたい、被害を受けておいてどうして心配する?」

「それはあんたが酷いことするからでしょ!」



 桂華は「私は誰かが犠牲になるのを眺める趣味はない」ときっぱりと言った。


 悟は魔術を悪用していたのは間違いないが、桂華は彼が廃人になる姿などは見たくはなかった。桂華の主張にニャルラトホテプは理解できないようで、「キミは被害者だろう」と返す。



「何故、相手を心配する必要がある?」

「それはあんたが怖いからだよ!」



 目の前で知った人間が狂っておかしくなるのを見届けるなど、恐怖でしかない。人間を簡単に壊せるのだといった現実を突きつけられて、それがいつか自分にも起こるのだというのを感じたくはない。


 自分のせいで誰かの人生が終わる瞬間など、見たくはないのだ。考えれば考えるほどに桂華の心は騒めき、恐怖が襲う。きっと、表情にも出ているのだろう。ニャルラトホテプは機嫌が悪そうだったのに、今では愉快げに目を細めていた。


 それに腹が立って桂華は「もういい!」と、寝室へと向かいドアを思いっきり閉めた。


 そのまま勢いよくベッドへと倒れ込む。暫くベッドに寝そべって丸まってからうごごと唸る。



「……どうしよう」



 つい、もういいなどと言って話を切り上げて逃げてしまった。やり方は酷かったが、助けられたのは事実だ。けれど、そのやり方はやはり受け入れ難い、でも助けられた。桂華はうごごごと頭を悩ませる。


 このままでは気まずい。明日、どうやって顔を合わせればいいのだ。桂華は呻きながら枕元に置いてある猫の置物をみた。


 それはバーストからお礼にもらったもので、これをもらってから安眠できている。暫く見つめてか桂華はそれに触れた。



「バーストさま、助けて」



 そう言って桂華は眠りに落ちた。

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