十二.魔術師は潜んでいる

第29話 分かってはいたけれどやることが酷い①


 桂華は疲れていた。それもこれも全部、中途採用された社員のせいだ。九月も終わろうとする中、その男は入社した。


 営業課だろうかと思ったのだが事務として採用されたようで、仕事を教えてあげてくれと桂華は上司に頼まれたのだ。そこまではよかったのだが何故か、男は桂華に懐くようになったのだ。


 見た目は爽やかそうな青年で女性社員からの評判は良かった。モテるだろうなと桂華も思った。ただ、どうしてだか他の女性社員でもいいだろうにこの男は何かにつけては桂華に構ってくる。



「桂華さーん! 今いいっすかぁ?」

「仕事のこと?」

「いや、雑談っすよ!」

「竹中くん、仕事に戻りなさい」



 桂華がそう返せば、竹中悟は不満げに口を尖らせた。そんな顔をされても仕事は仕事だ、しっかりと働いてもらわないと困る。そう言うのだがなかなか離れてはくれない。



「いいじゃないっすかぁ。休憩しましょうよー」

「竹中くんだけしてればいいじゃない」

「そんなこと言わずにー。桂華さんって休みの日とか何してるんですかー?」



 こうやって悟は会話をしてくれるまで話しかけてくる。はっきりと言って迷惑だった。仕事のことでここが分からないなどなら答えるけれど、私生活の質問までされると嫌なわけで。あんまりにしつこくてげんなりとしていたところに紗江莉がやってきた。



「竹名くん、駄目でしょ。桂華ちゃんは仕事中よ」

「いいじゃないっすかー」


「あのねぇ。桂華ちゃんを気に入ったのかもしれないけれど、彼女には素敵な恋人がいるのよ」



 紗江莉が助け舟にとそう言ってくれた。桂華はそれ言わなくてもと思ったが、流石に恋人がいる(実際は違うが)と知ればやめるだろうと思い黙っておく。すると悟はにこっと笑んだ。



「そっちの方が燃えますね!」



 悟の発言に桂華も紗江莉も驚いた。驚かないはずがない、宣戦布告しているのだから。そんな二人など気にすることなく、悟は「俺の方がいいっすよ」とアピールし始めたので、桂華は勘弁してくれと叫びたくなった。



          ***



 お昼のランチを三人で食べながら桂華はまだ午後もあるというのに疲れていた。彼に懐かれてまだ一週間だというのに、その猛アプローチが辛い。「彼氏と俺、どっちが良いです?」なんて聞かれては印象など良くなるわけもない。



「あれはひどい」

「桂華さんには素敵な彼氏さんがいるのにー!」



 二人は桂華の様子に悟への怒りを向けていた。ニャルラトホテプの方が良いかもしれないと少しでも思ってしまったぐらいには悟は酷かった。性格が悪いにも種類があるのだなと実感したほどだ。


 ニャルラトホテプと恋人という関係ではない、というかなるつもりもないのだが、それを抜きにしても酷い。そもそも、彼氏持ちの女性を狙う神経が理解できない。恋人がいる相手から奪い取って何が楽しいのか。優越感にでも浸りたいのか、ゲーム感覚なのか。全く理解ができない、したくはない。


 桂華はいつニャルラトホテプに知られるか分からない恐怖で胸がいっぱいだった。彼はいつでも桂華の様子を覗き見ることができるのだ、今だって観察しているかもしれない。流石に身近で病院送りは聞きたくはないし、桂華の様子がおかしいことに彼も気づき始めている。


 疲れて帰ってきた桂華に「何かあったのか」と毎日問うのだ。適当に誤魔化してはいるけれど、いつ様子を覗かれて知られるかは時間の問題だった。



「てか、気になったんでちょっと調べたんですけど、竹中さん、前の会社でやらかしたらしいですよ」


「え、そうなの?」



 はいと千歌は話す。どうやら前に勤めていた会社でも似たようなことをやって、上司の奥さんと彼氏持ちの先輩女性に手を出したらしい。


 その若さで良くやるなと桂華は呆れた。そんなことができるから恋人がいることになっている桂華にも猛アプローチできるのだ。凄いと思わず感心してしまう。



「何が楽しいのかね」

「あれじゃないですかね。恋人から奪う快感に酔っているとか」

「ありそう」



 千歌の言葉に二人は頷く、それはありそうだと。それはそれで気持ち悪い部類の人間なのだが彼ならありそうだなと思ってしまった。


 桂華はもうどうしたものかと項垂れる。紗江莉も「私も注意するから」と言ってくれているけれど、悟はなかなかおとなしくならない。千歌が「もう上司に言いましょう」と提案した、仕事に支障が出たら困るからだ。



「あんまり、波風立てたくないんだよなぁ」

「そうも言ってられませんって!」

「そうだよ」



 紗江莉に「何かあったら大変でしょう」と言われて、桂華もそれもそうだよなと思う。思うけれどできれば波風は立てたくなくて、諦めてくれないだろうかと願ってしまう。


 私の何処が良いのやらと桂華は溜息をつく。軽そうに見えたのか、押したらいけそうとでも思われたのか。どっちにしろ、嫌だなと愚痴る。



「そもそも、なんでそんなモテるわけ?」



 桂華の様子を知っている事務女子はいる。いるというのに「彼にモテて羨ましい」と言われたのだ、これを見てそう思える神経を疑った。



「さぁ? 魔法でもあるんじゃない?」



 紗江莉の言葉に桂華はなるほどなと頷く。桂華は魔術があるのを知っている、ニャルラトホテプが使っているのを見ているからだ。ならば、人を魅了する魔法があってもおかしくはない。


(聞いてみようかな)


 桂華は興味本位で聞いてみることにした。



         ***



「あぁ、あるにはあるな」



 帰宅した桂華は魅了の魔法ってあるのと聞いてみると、ニャルラトホテプは答える。相手と対話がきちんとできることが条件であるが、魅了することができる魔術は存在すると。


 やっぱりあるのだなと桂華は知る。悟が使えるかは置いておくとしても、魔術というのがあるというのはそれだけでも怖いと感じた。知らず知らずに魔術をかけられてしまうかもしれないからだ。


 魔術によって操られていたとしたらと考えると恐怖がそっと駆け巡る。そんな桂華にニャルラトホテプが「それがどうした」と問う。少しばかり冷めた瞳が鋭くなった気がして、桂華はえっとと言葉を詰まらせた。


 よくよく考えたら、いきなり「人を魅了する魔法ってあるの?」なんて聞いたら何かあったのかと思うものだ。それに今更、気づいてしまい桂華はそろりと視線を逸らした。



「えっと、ちょっと気になっただけで……」

「ほう」



 桂華の返事にニャルラトホテプは目を細めた。瞬時にこれはいけないと桂華の脳が警告を出す。ゆっくりとソファから立ち上がろうとして、腰に腕を回されてしまった。



「何故、逃げる?」

「あんたが怖い目したからだよ!」



 そんな冷めた瞳を細められて、怖いと思わないわけがないだろうと桂華は主張する。本当に怖いのだから嘘ではない。引き寄せられた身体は逃げられないと悟ったので抵抗はやめた。



「素直に話せばいいだけだろう」

「いや、職場に何故かモテる社員が入社したんですよ」



 それでどうしてかなって言ったら「魔法でもあるんじゃないと」言われたので気になった。概ね、嘘はない。省略しているだけで嘘はついていない。桂華の返答にニャルラトホテプは目を細めながらも納得はしたようだ。



「疲れている原因はその男か」



 じろりと見つめられて、どうしてわかるかなと桂華は頬を引き攣らせる。確かにその通りなのだが誤魔化さなければならない、この男を動かすわけにいかないのだ。



「そりゃあ、仕事教えたりとかするから疲れるよ」



 人に教えるのって頭も体力も使うのだと桂華は溜息混じりに言う。暫く見つめられていたが、その目は元に戻った。「ゆっくり休みなさい」と頭を撫でられたので労ってもらっているらしい。どうにか誤魔化すことはできたようだ。


 嘘ではないからだ、きっと。ここで嘘をつけば間違いなくこの化け物は動いた。本当に怖い奴だなと桂華の胸にひやりと風が通り抜けた。



「労ってるくれるなら大人しくしていてくれないかなぁ」


「ボクは大人しくしていると思うよ? キミ以外に構っていない。信者に交信されて仕方なく手を貸すことはあるけれど、怪異に故意に巻き込むようなことはしていない。キミに手も出していないし」



 ニャルラトホテプは「大人しくしているじゃないか」と言う。


 彼の言う通りではあるのだろうけれど、桂華が言いたいのは「私に近づく存在が出ても大人しくしていてほしい」ということだ。力押しで相手を捩じ伏せるようなことをしないでほしいという意味で言っている。全く通じていないけれど。



「私が怖がったりするの楽しんでいるくせにぃ」



 それでもそれを言えばまた何か突いてくるだろうとから言わない。桂華は誤魔化すようにそう嘆いた。ニャルラトホテプは「楽しいからね」と、それはそれは爽やかな笑みを浮かべていた。



「腹立つ笑み〜」

「そういう顔も良いね」



 桂華の眉を寄せる表情をニャルラトホテプは楽しそうに眺めていた。それがまた腹が立ったのでこのやろうと腕から逃げようともがいた。


 もちろん、逃げられるわけもなくて、抱きしめられる形になって身動きが取れなくなったのは言うまでもない。

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