第22話 どんなに気に入られようとも、他の探索者(ぎせいしゃ)を救うことはできない②


 仕事から帰った桂華はリビングに入って目を丸くさせた。それはニャルラトホテプの頬にガーゼが貼られていたからだ。困惑した桂華の様子に彼は不思議そうにしていた。



「どうした、桂華」

「え、怪我……」

「あぁ、これか」



 ニャルラトホテプは「ちょっと油断してしまってね」と苦笑う。


 ニャルラトホテプはいつものように喫茶店で働いていた。そこへ二人の男女が来店してきた。彼には分かった、彼らはすでに怪異にあったことがある人間だと。


 そして、今もまた怪異に巻き込まれているのだと知って興味が湧いた。だから、少しばかり彼らを覗いてみることにしたのだ。


 彼らは気の狂った魔術師に狙われているようだった。とち狂った魔術師は神を招来するために生贄を探していたらしい。ニャルラトホテプが見る限り、その魔術師に神を招来するのは無理だろうと分かるほどに不完全な者だった。


 この魔術師も最初はただの怪異に巻き込まれた哀れな人間だったのだろう。けれど、気が触れて落ちた先が邪神信仰だった。もう一度、邪神に会いたいという狂気に囚われたまま、必死にもがいていたのだ。


 それはそれはとても愉快なものだった。男女はその魔術師に立ち向かうべく色々と調査をしていた。そして、対峙した時の危機迫る瞬間、狂気に染まる瞳、恐怖、それらは面白く、見ていた楽しかった。人間がもがく様はなんと愉快なことかとニャルラトホテプはそう思ったのだという。


 長くも短い時だ。魔術師を気絶させることに成功し、男女の勝利は決まった。そのままどうするのだろうかと観察していれば、彼の持っていた魔術書を二人が持ち帰ろうとした。


 何をするつもりかは分からないけれど、それはやめおいた方がいいだろうと忠告するためにニャルラトホテプは登場した。


 もちろん、一部始終を見ていたことを彼らは知り、何者だと警戒してきたのだ。それは仕方ないことではあるのだが、「その魔術書は不完全なものであり、素人が持っていていいものではないことを親切に教えにきてあげたのだ」と答えるしかない。


 ニャルラトホテプ的には楽しませてもらった慈悲で教えたのだ。それを持っていればまた怪異に巻き込まれると。


 けれど、二人は彼を敵だと認識して攻撃を仕掛けてきた。これにはニャルラトホテプは困ったのだという。


 殴りかかってくる男の攻撃を避けながらどうしたものかと思っていたのだが、女の方が呪文を覚えていたのだ。もちろん、ニャルラトホテプに効くはずもないのだが、意外だったことに少しばかり隙ができてしまった。男の攻撃を受けてしまったのだ。


 頬を殴られてそのまま腕を掴まれたのだという。捻り上げらて男はこれで観念しろと言ったふうに勝ち誇ったらしい。それには流石に笑ってしまったのだという、そういう油断が時に命を落とすのだ。


 ニャルラトホテプは仕方ないと配下を呼び出すことにした。忠実な僕である彼ら、〝狩り立てる恐怖〟は男を掴み上げると放り投げた。突然の化け物に男と女は慌て、そして恐怖した。発狂しなかったことだけは褒められたとニャルラトホテプは笑う。


 配下たちの威嚇に女は持っていた魔術書を投げ捨てた、敵わないとそう判断したのだ。それをニャルラトホテプが拾い上げると男女は冷めた青い瞳を注視していた。


 何をしてくるのか、恐怖に怯えながら。それは好都合だと彼は「そのまま大人しくボクのことも忘れてくれ」、そう魔術をかけてその場を去った。



「怪我は明日には治っているよ」



 人の姿だと回復するのが遅くてねとニャルラトホテプは言った。傷跡が見苦しいだろうからと手当てをしたのだという。



「いやー、久々に面白かったね」



 あそこまで攻撃的な人間は久々だったとニャルラトホテプは笑っていた。



「殺されてたらどうすんの」


「人間は殺すという選択をそうしないものさ。ボクのことも魔術師の仲間か何かだと思っていたからね」



 仮に殺されたとしても元の姿に戻るだけで、それを見て人間は発狂する。その後はまた姿を変えればいい。


 千の顔を持つニャルラトホテプにはそれが普通で、同じ姿に戻ることなど簡単なことだ。それに人間に邪神を殺せるわけがないのだから。


 なんでもないように話すニャルラトホテプに桂華は思いっきり腹を殴った。彼は「キミね」と腹を押さえながら見てくる。



「他の人には手を出すなって言ったでしょ!」

「手は出してないだろう。ボクは忠告をしただけだし、配下を呼んで脅かしただけだ」

「他にやりようがあったんじゃないの!」

「そこまでボクは優しくないけど?」



 ニャルラトホテプは「キミ以外にはね」と言う。そう、この化け物は気に入った存在以外に興味などない。楽しませてもらうだけもらってあとは見捨てるのだ。


 桂華は何とも言えない表情を見せる。どんなに頼んだとしても、邪神を止めることはできないのだろうと理解して。



「何、ボクのことを忘れただけだから問題はない」

「……私に飽きたら同じことするの」


「飽きることはないだろうけれど。まぁ、そうなったら狂ってもらうかもしれないね」



 忘れさせるなどしない、覚えてもらった上で狂ってもらう。そうすればずっと苦しみもがく姿が見れるだろう。ニャルラトホテプは言う、玩具ニンゲンは最後まで楽しまないといけないと。


 表情一つ変えることなく答えるニャルラトホテプに桂華は顔を顰めた。やはり、そうやはりこいつは性格が悪い。けれど、何故だか安心している自分もいた。


 忘れてしまった方が幸せだろうに、忘れたくはないと思ってしまったのだ。あぁ、自身は少しずつ狂ってきているのだなと桂華は自覚した。そんな様子を知ってか、ニャルラトホテプは愉快そうに殴られた頬を撫でていた。





 

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