ニャルさまは干物女子にお熱中〜一般探索者Aだったはずなのに邪神に気に入られて歪んだ愛情を向けられる干物女子の非日常〜
第23話 どんなに気に入られようとも、他の探索者(ぎせいしゃ)を救うことはできない③
第23話 どんなに気に入られようとも、他の探索者(ぎせいしゃ)を救うことはできない③
桂華の仕事場である会社付近に心霊スポットと呼ばれる場所がある。そこは会社の裏手から程なく歩いた所にある廃ビルだ。すっかりと荒れ果てており、一部の窓ガラスは割られていて、壁にはスプレーで落書きされていた。
三階建てほどの高さの廃ビルはフェンスで囲まれていて入れないようになっていたはずだ。けれど、心霊スポットとして話が広まってしまったからだろうか、金網が破れている。
そんな廃ビルの前を桂華は走っていた。すっかりと月が昇ってしまっている夜の道を、人気のない場所を通っている。
「ほんっと、ミスとかするなよなぁ!」
会社の後輩に当たる新入社員の職員が酷いミスをしてしまった。計算ミスだけならばいい方だったのだが、取引先会社を取り違えての発注計算ミスという面倒極まりないことをしでかしたのだ。
慌てて事務職員全員が彼女に任せていた他の書類を確認すれば、出るわ出るわミスの数々。これには事務職員全員が頭を抱えてしまった。納期前だったのが救いだったけれど、急いで修正しなければならない。
事務員総出でやることになり、桂華が任された書類の量が多く残業をする羽目になったのだ。なんとか終わらせて今、次の電車までの時間に間に合わせるために走っている。
この道を選んだのも駅からの近道だからだ。いつもならば避けて通るのだが、早く帰りたい欲には敵わなかった。さっさと通り抜けしまおうと廃ビルの前を通る。
「うわぁぁぁあ!」
叫び声がした。なんだ、なんだと廃ビルを見遣れば複数人の男女が飛び出してくる。そこで、そういえばここは心霊スポットなんだっけと桂華は思い出した。
きゃあきゃあ叫ぶのは近隣住民には迷惑だと思うのだがと桂華は思う。だが、若者相手に注意して絡まれるのは嫌なので、無視をしようと視線を逸らそうとしてふと廃ビルの窓に目が止まった。
誰かが一人、窓を叩いている。遠目なのと曇りガラスでよく見えないのだが、必死に窓を開けようとしているのではないだろうか。なんだろうかと立ち止まって観察すると、その人物が“何か“に捕まった。
それは人ではなかった。よく見えなかったけれど、歪な身体をしていたように見える。その姿が窓に映ったかと思うとすっと消えた。何も、そう何もなかったかのようにいなくなったのだ。
見間違えか、いやそれにしては鮮明だった気がしなくもない。桂華は急に胸が騒めいた、良からぬものを見てしまったのではないかと。
じんわりと削れた精神によって恐怖がそっと這い寄ってくる。気のせいだ、気のせだと桂華は首を振って歩き出す。
「待って、藤崎くんがいない!」
「嘘だろ、どこ行ったんだよ、あいつ!」
廃ビルから出てきた男女数名が騒ぐ、あいつがいないと。酷く狼狽えたように言う男に、泣き出す女。恐る恐る廃ビルの入口に立って声をかける男、その様子から一人いなくなったのだということは見て取れる。
桂華は再び窓を見た、けれどそこには何も映ってはいない。どっどっどと心臓の鼓動が早くなる、此処にはいてはいけないと身体が脳が警告を出す。
男女たちは未だに騒いでいるけれど、桂華はそれどころではなかった。自分は今、もしかしたら見てしまったのかもしれないと、一人の犠牲者を。
彼らに声をかけるべきなのか、それとも逃げ出すべきなのか。分からなくなっってぐちゃぐちゃになっていく思考に頭を抱える。
あれはなんだったのだ。化け物か、見間違えか。いや、見間違えなんかではない、確かに見たのだ。一人の人間が連れ去れていく瞬間を。そう理解して、桂華の身体が震えた。
慌てる彼らなど見てられない。自分はどうしたらいいのだと頭で考えるけれど、ぐにゃぐにゃと思考が定まらない。足先から這い寄ってくる薄寒さに全身が凍りついたように冷たくなってくる錯覚を覚える。
「桂華、何をしても無駄だ」
ふっと声が降ってきた。抱えていた頭から手を離して振り返ると、ニャルラトホテプが冷めた瞳で見つめていた。
どうしているのか、そんな疑問よりもニャルラトホテプの発した言葉が気になった。「何が」、そう問おうとしてニャルラトホテプに「もう手遅れだ」と返される。それは自分が見たあの光景を肯定する言葉だった。
「どうにも、できないの?」
「できないな。あれに持ち去られたモノは二度と見つかることはない」
邪神であれど、そういうものなのだとニャルラトホテプは冷たく返す。桂華はそれを聞いて、もう助かることはないのだなと理解した。
「……なんで、あんたがいるの」
「そろそろキミを迎えに行ったほうがいいと思ったからだが?」
不安と恐怖、受け止めづらい現実、それらに思考がグチャグチャになっている様子を見て、これ以上は危険だと判断したようだ。まだ、そうまだ壊れてもらっては困ると。
ニャルラトホテプは「行くよ」と言って桂華の手を引いた。腕を引かれるがままに桂華は歩き出す。ちらりと後ろを見遣れば、肝試しに来ていた彼らはまだ騒いでいた。
廃ビルから離れて数分、駅前の華やかな灯りを見て桂華は少し落ち着いた。まだもやもやとしたものが胸にあるけれど、先ほどよりは幾分か楽だ。桂華はニャルラトホテプに手を引かれながら問う。
「あれってさ、なんだったの」
「次元をさまようもの。空鬼ともいう」
彼らは次元を彷徨い、一つの場所に長い間止まっているということはない。彼らが次元を移動する瞬間、何かを持っていくことができるのだが、それに決まりはない。物かもしれないし、生き物かもしれない。それは彼らの好みやその場にあったものによる。
「あの人間は運が悪かっただけだよ」
面白半分で肝試しなどしたのが悪いのだ。運悪く化け物と遭遇し、逃げきれずに持ち去られてしまった。不運な出来事だっただけだとニャルラトホテプは言う。
「別に桂華のせいではないのだから気にする必要はない」
「そうかもしれないけどさ……」
桂華が何かしたわけではない、それは分かっているけれど持ち去られる瞬間を見てしまって、あの時に何かできたのではと思わなくもないのだ。
そんな桂華の感情を察してか、ニャルラトホテプは「死に急ぐようなことはしない方がいい」と言った。
「キミにはどうしようもできないのだから。気にするだけ無駄だ」
「あんたはいいよね、楽しんでいるだけなんだから」
人の様子を覗いて楽しんでいる、けれど被害者に手を差し伸べるわけではない。気に入っていないものに慈悲など与えないのだ。桂華が何を言いたいのか、理解しているようでニャルラトホテプは「そうだね」と答えた。
「神というのはそういうものだよ。だから、神に気に入られているからと言って
ニャルラトホテプにそう問われて、桂華は頷いた。自分がどんなにこの化け物に気に入られようとも、他の誰かを救うことはできない。彼が化け物は他者に興味を持っていないのだから、そこまで慈悲深くないのだからと。
「あれはキミが悪いわけじゃない、彼が不運だっただけだ。肝試しなど興味本位で行くものではない」
「絶対に行かない」
「そうするといい。ボクはキミに慈悲を与えるかもしれないけれど、他はどうでもいいからね」
さらりと他者に手を差し伸べないと言うニャルラトホテプに、桂華は絶対に行くものかと誓った。自分だけならいいが、他者を巻き込むことだけは絶対にしたくないと。
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