第20話 たった一人の世界という状況が怖かった②
「あれ、なんだったの」
帰宅した桂華はニャルラトホテプの用意した夕飯を食べながらあの異界について聞いた。彼は「神がたまに作り出す」と答えた。
それは信者と会うためだったり、生贄を貰うためだったり、生贄を呼び込むためだったり、或いは新たな信者を勧誘するためだったりと様々な用途があるのだという。それを聞いてあの神社に異界を生み出した神が祀っていたのだろうなと桂華は思った。
ニャルラトホテプが言うには今回の異界は生贄を呼び込むためのもので、桂華はそれに選ばれてしまったらしい。怪異に巻き込まれやすい体質になってしまっていたからだろうと言っていた。
誰のせいでこんな体質になったのだと文句を言いたかったけれど、当の本人に悪気がこれっぽっちもないので言っても無駄だ。
「あのままいれば、信者に捕まってシュブ=ニグラスに喰われていただろう」
「何それ」
「邪悪な神だ」
「あんたと同類じゃん」
ニャルラトホテプが眉を下げて「失礼だね」言う。それに「本当のことじゃん」と返せば、「否定はしない」と笑われたので自覚はあるようだ。
シュブ=ニグラスは崇拝者でないものには容赦なく襲いかかる。彼女に捕まれば無惨な姿で殺されて喰われてしまうだろう。あまり姿を見せることはないが、気まぐれに出てくるかもしれない。話を聞いて、だから祀られているだろうあの神社から離れるように言ったのかと納得した。
「嫌だよ、あの女神と戦うなんてボクは」
ニャルラトホテプは「あれはなかなかに硬いからね」と面倒げに言った。神同士の争いというのは見たらきっと発狂ものなのだろうかと、桂華は想像しかけてやめた。そんなものを自身も見たくはないので回避できてよかったなと安堵する。
「配下の黒い仔山羊がいなくてよかったかな」
「黒い仔山羊?」
「シュブ=ニグラスの配下」
これもまた見た目がグロテスクらしい。出会えば生贄として弄ばれて神に献上されていただろうと教えられた。
もう怖すぎるのだが、まともな神を一度しか見たことがない。このシュブ=ニグラスに関しては姿は拝んでいなけれど、きっと本来のニャルラトホテプの姿と同じくらい邪悪なのだろう。バーストがこんなにも良い神に見えるとは思わなかった。
「キミ、失礼なこと考えていたでしょ」
「ろくな神がいないなって思っただけ、バーストさまを除いて」
「あの神が特殊なだけだ」
大抵の神というのはろくでもないし、人間などどうとも思っていない。生贄とよく動く働き蟻程度の認識だ。だから、容赦なく殺すことができる。稀に人間に友好的だったり、慈悲を与える神がいるだけなのだ。ニャルラトホテプはそう言って桂華を見た。
「ボクのように気に入った人間を可愛がるのだっている」
「楽しんでいたくせに」
「まぁ、楽しかったけれど」
「そうですか」
桂華は気にするでもなくご飯を口に入れた。その反応が少し意外だったのか、ニャルラトホテプは目を瞬かせる。
いつもなら毒づく言葉が返ってくるというのに今日はないのだ。それが気になって桂華の顔を見ようと覗き込むと彼女はすぐに顔を隠した。
「見るな、変態」
「キミ、泣いてるのかい?」
どうやら桂華は余程、あの異界が怖かったようだ。化け物よりも神よりも誰もいない空間というのが怖かったらしい。
恐怖に泣く桂華の表情はそれはそれは可愛らしく、美しかった。ニャルラトホテプは愉快そうに目を細める、彼はそんな顔を見たかったのだ。
それを分かっているのか、桂華は「このやろう」と小さく呟いていた。いつものように夕飯を食べて気が抜けたようで、それで涙が溢れたらしい。人間というのは面白いなとニャルラトホテプは笑う。
「くっそう……。楽しんでる……」
「今、ボクは楽しいね」
桂華は涙を拭うとご飯を頬張った、こんなやつなんて知るかといったふうに。それがまた可笑しかったのか、ニャルラトホテプは口角を上げている。
「助けてあげたのだからいいだろう?」
「…………」
「そこ、拗ねない」
桂華はむすっとした表情を向けてきたけれど、もぐもぐとご飯を食べ進めた。ニャルラトホテプは愉快げに笑みながら涙に濡れる頬を拭ってやった。普段ならば触れられて嫌な顔をする桂華だったが、目線を向けてくるだけだ。
その反応がまたニャルラトホテプを楽しませているようで、桂華は「楽しむな」と睨む。けれど、彼は「こうやって人間らしく恐怖する姿を眺めたかった」となんでもないように返す。
「ほんっと、性格が悪い……」
「キミが恐怖する姿は可愛らしいよ?」
「その発想が怖い」
「どんどん、ボクを恐れて堕落して狂ってくれ」
そう言ってにっこりと微笑めば、桂華は嫌そうに眉を寄せてた。その表情にいつもの調子に戻ってきているなと、名残惜しそうにしているニャルラトホテプに桂華は何も言わなかった。
少しでも、ほんの少しでもこの化け物がいて良かったと思ってしまったのが嫌だったから。
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