第12話 やはり、邪神というのは恐怖を駆り立てる存在だった②



 夢がだんだんと長くなっていった。洞窟の中へと入って歩くまでは同じで、ぽっかりと拓いた空間に出ては象のようなものを眺める。ただ、それだけなのが、日に日に眺める時間が長くなっているのだ。


 巨体な姿のそれを見上げるもぴくりとも動かない。けれど目と目は合っていて、ほくそ笑んでいるのを感じる。気味の悪さと少しばかりの恐怖が襲ってきた。それがだんだんと強くなっていく。


 いつか、そういつか動き出すのではないかと。動いたらどうなるのだろうか、そこで食べられると脳内に過る。血を吸われて、潰されて、グチャクチャと咀嚼されて喰われる。


 背筋を悪寒が走った。早く、早く目を覚ましてほしいと願うけれど、日に日に長くなるその感覚にもう目覚めないかもしれないと不安が押し寄せてくる。


 じわり、じわりと精神が削られていく。目覚めもあまり良くなくて、睡眠も取れていないようだった。仕事に支障が出ているわけではないけれど、寝た気がしないというのは疲れる。


 ニャルラトホテプの仕業かとも思ったが、その気を見せていないので違うのだろう。じゃあ、やっぱりただの夢なのか。それにしては現実的なのだ、あの夢は。


 夜になると眠りたくなくて、ついつい夜更かしをしてしまう。ニャルラトホテプとはベッドが別であるのだが隣同士に並んで置いてあるので距離は近かった。なので、夜更かしをしようとすると彼に「早く寝ろ」と言われるのだが、「うるさい」と毎回返している。


 うつらうつら眠気がやってくる。寝たくない、寝たくないと思っている時ほど睡魔というのはやってくる。嫌だ、嫌だとうわ言のように呟いて桂華は眠りについた。

 

          *

 

 今日もまたそれと対峙していた。相変わらず象のような見た目をした巨体を見上げて視線を合わせる。それはやはり笑っているようだった。


 脳裏には食べられる瞬間の映像が流れてくる。その長い長い鼻で血を吸われて、その人のような手で潰されて、グチャグチャと咀嚼される瞬間が何度も何度も頭に。


 怖かった。じんわりと、じんわりと胸が締め付けられていく。冷や汗が背筋を通り抜けていく感覚に身体が震えた。


 早く目覚めてくれと願いながら視線を逸らさずにいれば、今日は変化があった。ぐらりとその巨体が動いたのだ。瞬きをして、ほくそ笑みながら長い鼻を動かす。


 台座からゆっくりと降りて一歩、前に出る。逃げ出したいというのに桂華の身体は動かなかった。氷漬けにされたかのように固まった身体に動揺する。


 象のような巨体な存在はゆっくりとゆっくりと足を踏みしめて、身体を突き出す。長い長い鼻が伸びて匂いを嗅ぐように息をした。


 そして、長い長い鼻が桂華を捉えんと巻きつこうとした瞬間、ぴたりと止まった。



「やめてくれるか、チャウグナー」



 低い声だった。少し怒っているような、声音が洞窟内に響く。



「彼女はボクの玩具ニンゲンだ」



 低い低い声に象のような巨体な存在はじろりと声の主を見つめている。桂華の身体は全く動けなくて、けれど声の主には覚えがあった。


 かつり、かつりと靴の音を鳴らす。その人物が隣までやってきたかとおもうと肩に腕を回された。動く眼で見遣るとニャルラトホテプで、彼は笑みを崩さずに長い鼻を指さす。



「諦めろ、チャウグナー」



 低く怒りを含む声音が洞窟に響く。じろりと見遣る眼と冷めた青い瞳がぶつかり合った。


 暫くそうしていたけれど象のような巨体な存在がゆっくりと台座に戻っていく。長い長い鼻がぬるりと引いて、名残惜しそうに桂華を嗅いでから台座の方へと戻っていった。


 再び動かなくなったその存在に桂華の身体はゆっくりと動きを取り戻していく。ニャルラトホテプの方を振り向くと、彼は冷たい瞳を細めて桂華の頬をそっと撫でた。


 その瞬間、目が覚めた。はっと瞼を上げるとニャルラトホテプの顔が目の前にあった。じっと彼は眠そうな瞳を桂華に向けている。


 どうして目の前にあるのだ。少しの間、彼が桂華のベッドの中に入っているのだと気づく。はぁっと声を上げそうになったのだが、ニャルラトホテプの手が口元にあてがわれた。



「……とりあえず、今は寝なさい」



 ちゃんと寝ていないだろうと言われてここ最近、全く寝れていないことを思い出す。彼はどうやらそれに気づいていたらしい。隠していたわけではないけれど、言っていなかったのによく気付いたなと思った。



「話は起きてから聞いてあげるし、質問も受け付ける」



 ニャルラトホテプはそう言って桂華を抱きしめると頭を撫でた。まるで子供を寝かしつけるような仕草に桂華は動揺したけれど、だんだんと睡魔がやってきてまた夢の中へと落ちた。


 

          ***


 

 朝、目が覚めて時計を見る。十時過ぎと表示されたそれに、今日は仕事休みだっけとスマートフォンを確認する。ちゃんと休みだったことに安堵してベッドに倒れ込む。


 久方ぶりによく寝た気がした。前のように寝た気がしないということはなくて、眠さもだるさも残っていない最高の日だった。



「起きたのなら着替えてきなさい」



 寝室のドアが開けられてニャルラトホテプが顔を出す。なんでこうも察しがいいのだと思いながらもベッドから起き上がった。


 ダイニングテーブルにはもう昼が近いからと軽食が置かれていた。席についてトーストにジャムを塗りながら桂華は問う。



「あれ、何」

「チャウグナー・フォーン。神格……私とは違う神だ」



 あれは夜になると動き出して近くにいる人間を誰でも構わずに喰らってしまう。人間を遊び相手に選ぶこともあり、選ばれた相手は精神をすり減らされて体力を吸われて弄ばれるのだという。


 面倒なのは念波を送って対象の夢の中に介入できるところにある。その念波に捕まった人間が感受性豊かだったりすると、チャウグナー・フォーンの信者になってしまう場合もあった。



「桂華はその念波によって夢に介入されていた」

「あぁ、なるほど」



 それであの夢を見ていたのかと桂華は納得する。


 ニャルラトホテプは桂華の異変に気づいていた。何かの被害に遭っているのはわかっていたけれど、それが何なのか視えない。自分以外の何かだけが楽しんでいることに腹が立ったらしい。


 どうにか介入できないかと考えていた時、桂華が魘されていることに気づいた。夢に原因があると思い、介入するために一緒に眠ったのだという。



「ベッドは違えど隣で寝ているというのに介入できないから距離が足りないのだと思った」



 だから、一緒のベッドに入って距離を縮めたのだという。そういう理由であの状況だったのかと桂華は理解した。


 ニャルラトホテプに「原因があるはずだ」と問われて桂華は考える。象、象と考えてそういえば、千歌に貰った置物が象だったなと思い出した。席を立って寝室へと向かい、鞄を開くと底の方にその置物はあった。それを持って彼に見せれば眉を寄せられる。



「どこで手に入れた、それ」

「同僚にお土産で貰ったの」

「それはチャウグナーを模したものだ」



 信者がそれに祈りを捧げるのだとニャルラトホテプは説明してくれた。アンティークショップの民族系コーナーにあったらしいことを伝えると、「中古品が流れてきたのだろう」と返ってくる。


 それは持っているだけでも干渉しやすいものだと、ニャルラトホテプは桂華からその置物を取った。どうするのだろうかと桂華が見ていれば、彼はそれをぎゅっと握りしめる。そっと開くと置物はなくなっていた。


 えっと目を瞬かせると「捨ててきた」と言われる。どうやってと問いたかったけれど、知れば深みに嵌りそうなのでやめておく。



「随分と怖かったようで」

「……うるさい」



 確かに続く夢に恐怖を感じていた。精神がじわじわと削れていくのを感じて、このままどうなるのだろうかという不安に。ニャルラトホテプはそれを分かっていながら聞いてきている。それが不愉快だったので桂華はじろりと瞳を向けた。


 そんな視線などニャルラトホテプには通用しない。なんでもないように、「助けただろうに」と言う。



「キミの恐怖する姿はそれはそれは良かったけれど、ボク抜きでされたのは不快だったね」



 ニャルラトホテプは「危うくキミを奪られるところだった」と、寄せていた眉を戻してから目を細める。



「とても可愛らしかったというのに」



 ぞっと鳥肌が立った。この男はチャウグナーに怒りを覚えながらも、恐怖する桂華の姿を見て楽しんでいたのだ。


 あぁ、本当に嫌なやつだと桂華は嫌そうに表情を歪めながらトーストを齧る。こいつに優しさというのはないのだ、きっと。



「ボクにも優しさはあるさ、ひと匙程度にはね」



 桂華の考えを察したようにニャルラトホテプは「キミにだけはそれを与えているじゃないか」と言う。桂華は何となくそれは本当のことなのだろうなと思った。


 夢から覚めた時のあの言動は彼の優しさだったのかもしれない、そう思いはしたけれどそれを認めたくなかった。だから桂華は「あっそう」と返した。


 それが桂華なりの強がりだったのだが、そんなこともニャルラトホテプは見抜いているようで笑っていた。



「また一緒に寝てあげようか」

「お断りだね」

「まぁ、また夢に介入する時はそうなるのだが」

「……くっそう」



 また似たようなやつに何かされたとして、助けてくれるのはこの化け物しかいない。そもそも、助けてくれないかもしれないのだが、その時はその時だ。


 頼りたくないというのにこの男は勝手にやってきて、助けられているので文句も言えない。ぐぬぬと桂華はトーストを齧るしかなかった。


 やはり、邪神というのは恐怖を駆り立てる存在だとこの時、桂華は理解した。





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