五.夢現に現れるもの
第11話 やはり、邪神というのは恐怖を駆り立てる存在だった①
定時に仕事を終えることができた桂華は帰ろうと支度をしていた。すぐに帰ったからといって何かすることがあるというわけではないのだが、帰ってご飯食べてのんびりうだうだしていたい。
(あの化け物がいるからのんびりはできないんだよなぁ)
家で待っているだろう男、いや化け物のことを考えて桂華は溜息が溢れた。
「何、溜息ついてるんですか、桂華さん」
「あぁ、千歌さん」
桂華は声をかけられて千歌を見遣る。彼女も定時で仕事を終わらせることができたようだ。帰り支度を終えた千歌は不思議そうに首を傾げている。
「お家に帰ったら素敵な彼氏さんがいるじゃないですか。どうして、そんな帰りたくなさげなんですか! 喧嘩ですか!」
「違うよー、ちょっと疲れてるだけだよー」
喧嘩などはしていない。一方的に桂華が怒ることもあるけれど、彼はそれを楽しんでいるだけだ。それがまた腹が立つのだが、別に家に帰りたくないわけではないのだ。
掃除はしてあるし、ご飯は美味しい。コーヒーも淹れてくれるし、酒を飲んで愚痴っても、だらしない格好でも文句は言われない。ただ、そうただ。
(堕落させられている……)
どんどんと堕落させられている感じていた。そう理解してじんわりと削る精神がゆっくりと恐怖を誘う。そんな桂華の気持ちなど知らずに千歌はいいなぁと羨ましがる。
「あんなイケメンを手に入れるなんてぇ」
「まぁ、顔は良いよ、顔は」
「その言い方だと性格悪いみたいじゃないですか」
「悪いもん」
あいつのどこに性格の良さがあるというのだ。思い出すだけで腹が立つし、恐怖が溢れる。千歌に「じゃあ、なんで付き合ってるんですか」と問われて、付き合ってはいないのだけれどと思う。
そもそも、あの化け物からは逃げられないのだ。嫌だと言っても付き纏ってくる。単に諦めただけなのだが、そうは言えないので桂華は苦笑した。
「私の世話をしてくれるからかな」
「それ、ある意味酷くないです?」
千歌は言う、「相手は桂華さんのこと大好きかもしれないのに」と。確かに酷いかもしれないなと思わなくもなかった。好きじゃなければここまでしないだろうけれど、彼の歪んだ愛を桂華は認めたくはなかった。
「性格悪いのとおあいこってことで」
「えー」
千歌は納得いってないようだったが、「性格悪いんだよ、彼」と押す。それを抜きにするにはお世話をしてくれるぐらいしかないのだと。「性格悪そうに見えなかったけどな」と千歌は言うのだが、それは顔の良さに騙されているだけだ。そう言っておく。
本当にあの男は顔が良い。化け物の時とは比べ物にならないぐらい、人間の姿の時は顔が良いのだ。中身が酷いので相殺されてしまっているけれど。あれで化け物でなく性格もまともならば、良物件だっただろうなと桂華もそれは認めた。
千歌は羨ましいと言うが、これが何も知らない普通の人間の反応なのだ。本性を知っている桂華はそう思わない。
「嫉妬深いし、独占欲強いし、いいことないって」
「あー、束縛は嫌ですねぇ」
束縛されるのは確かに嫌だなと千歌はそこに納得したようだ。束縛というよりは近寄ってくる男に容赦がないのだが、そうとは言えないので桂華は黙っておいた。
「そうだ、桂華さん。この前、友達とアンティークショップ行ったんですよ」
千歌は思い出したように話しをした。彼女の行ったアンティークショップは街中の少し外れた場所にあった。レトロな雰囲気で置いてある家具や小物が綺麗だったり、可愛かったりしたらしい。
その店で民族系の小物を取り扱っているコーナーがあった。動物を模した置物とかがあったのだという。
「これその時に買ったんですけど、桂華さんにお土産であげますよ」
そう言って渡されたのは象を模したような動物の小さな置物だった。鼻先が少し違うように見えるが手作りのようなのでその人の手癖だろう。人差し指ほどの高さで、それほど大きくはないその置物を桂華は受け取った。
「いいの?」
「いいですよー」
「私、こういうのすぐ失くしちゃうんだけど……」
「大丈夫ですって。失くしても怒りませんって」
千歌は「お土産なんで好きに使ってください」と言って、すたすたと事務所を出ていった。足が速い子だなと思いながら桂華はその置物を鞄に入れた。
***
帰宅して荷物を寝室に放って部屋着に着替える。先にご飯かなとリビングを覗くとニャルラトホテプがまだ作業をしていた。彼は桂華に目を向けると「もう少しかかるから先にお風呂に入ってくれ」と言われたので入ってくる。
相変わらず何が入っているのか分からないオーダーメイドのシャンプーを使っているのだが、毛質がますます良くなってきている。
どうやって作っているのだと聞きたいが、知ればまた深みに嵌りそうなので絶対に聞かない。これ以上、変なことには巻き込まれたくはないのだ。
さっさと風呂から上がると夕飯ができていた。今日はスペアリブに野菜スープ、シーザーサラダにバケット。うん、ほんとなんでこんな美味しそうなの作るのだ。
桂華が悔しそうに料理を見ながら席に着くと。ニャルラトホテプは隣に座ってくる。いつも思うのだがどうして隣に座りたがるのだろうか。まぁいいかと桂華は深く考えることなくその料理に手をつけた。
「どうして、美味しいのかなぁぁぁ」
スペアリブの肉は柔らかく、しっかり味がついている。しつこくないので食べやすく、スープはじっくり煮込まれた野菜が口に入れるだけでほろほろと崩れる。これがまた美味しくて箸が止まらない。
この男、いや化け物が作る料理は本当に美味しくて文句の付け所がない。それがまた悔しいのだが、桂華はもぐもぐ食べる。そんな様子をニャルラトホテプは可笑しそうに眺めていた。
「上手くできたようで」
「美味しいの作るから嫌になる」
「不味いものを作るわけがないだろう」
「ほんっと、ダメ人間製造機めぇぇ」
「どんどんボクに狂うといいよ」
ニャルラトホテプは爽やかに笑う。そんな彼を桂華はじとりと見遣りながら野菜スープを飲んだ。
彼も一緒に食事をする、化け物だけれど食事はするらしい。「化け物でもご飯は食べるのね」と聞いたところ、「擬態しているのだから食事をしていないと怪しまれるだろう」と言われたので、それには確かになと納得してしまった。
擬態にしては完璧すぎないだろうかとも思う。料理も掃除も、家事全般できて、長身で顔も良い。働いているし、世話もしてくれる。ここまで聞くとそんな人間がいるのかと疑いたくなる。けれど、この男は化け物だ。何の対価もなしにそんなことをしてくれるわけがない。
桂華の恐怖と怒り、困惑、それらの姿を見て、じんわりと削れる精神を感じて愉悦に浸っているのだ。あぁ、恐ろしい。桂華はじわじわと侵食していく感覚に寒気がした。
「桂華」
「何」
「何かあったか?」
探るように問われて桂華は首を傾げた。何かと言われても、何もなかったのだが。会社は普通通りだったし、同僚や後輩とは不仲にもなっていない。先輩や上司にも怒られてはいないし、変な人には絡まれていない。
「何もなかったけど?」
だから、そう答えたのだがニャルラトホテプは目を細めてじっと見つめてきた。本当に何もなかったのだがと首を傾げていると、彼は「そうか」と返事を返すだけでそれ以上は深く聞いてくることはなかった。
「何、どうしたの?」
「いや。少しだけ気配を感じただけだ」
他の奴の気配を感じたとニャルラトホテプは冷めた青い瞳を細める。誰だろうかと桂華は聞こうとしてやめた。どうせ、化け物に関することだろうと思ったのだ。
だから、桂華は「あっそう」とだけ返して野菜を口に運んだ。
*
その日の夜だった、夢を見た。それは洞窟の中で、薄暗いそこをただただ歩いていく。どれぐらい歩いたか分からないぐらい、もう引き返そうかと思った頃だ。ぽっかりと拓いた空間に出た。
暗いそこを松明がゆらりゆらりと淡く照らしている。その奥には台座があって、象に似た何かが鎮座していた。
水掻き状になった耳に長い鼻の先端は大きな朝顔状に開いた円盤のようになっている。一見、象に見えるのだが両足で立って前足は人の掌のようになっていた。見上げるほどの大きさのそれはじっと動かない。
これは何だろうかとぼんやりと桂華は眺めていた。その象のようなものの眼と目が合った瞬間、にやりと笑われたような気がした。
そこで、目が覚めた。
「……何だったんだ、あれ」
桂華は眉を寄せて首を傾げるも、また睡魔がやってきたので再び眠る。彼女は何度目かの精神値の賽投げに勝利していた。
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