四.佇む霊は邪神には敵わない
第8話 幽霊よりもこいつの性格の方が怖いわ!①
桂華は恋愛に興味がない。まだ二十代前半だというのに結婚願望もなければ、もう一生一人でもいいように思っていた。
もちろん、恋人がいなかったわけではない。学生時代はそれなりに恋愛もした、と思う。長くは続かなかったけれど付き合った経験はあるのだ。
興味がないと言うのに何故か気に入られてしまっているけれど、それはそれとしてだ。なぜ、そんなことを考えているのかというと現在、同僚に頼み込まれていた。
「合コン行こうよ、桂華さーん」
明るい茶色の髪をカールさせた可愛らしい女性、
明るく社交的な千歌は職場ではムードメーカーのような存在だ。飲み会なんかを仕切ったりもするし、上司の機嫌を取るのが上手でミスをした同僚や先輩後輩のフォローをしたりもしている。桂華からしたら眩しい存在だ。
そんな彼女は絶賛恋人募集中というだけありとにかく出会いを求めていた。尽くしたい派と自称しているが肉食系女子に分類されるのではないだろうか。
桂華に恋人がいないと知るやいなや「もったいないです!」と頻繁に合コンに誘っていた。それをなんとか断っていた桂華だったが、とうとう千歌に「いい加減、観念しなさい」と捕まってしまったのだ。
「桂華さーん。恋人いないんでしょ! 合コン、行きましょうって!」
千歌は「素敵な出会いが待ってますよ!」とキラキラした瞳で桂華に言う。そんな目で見られても嫌なものは嫌なのだ。桂華は合コンの雰囲気が好きではなかった。
男性陣を気にかけなきゃいけないところや、聞きたくもない話を聞かされるのも、距離が近いことも、とにかくあのノリがついていけない。断固としてお断りしたい。
「私はいいから、千歌さん」
「なんでですかー! 恋人いないんでしょ!」
恋人はいないけど同居相手はいるんだよなぁと桂華は叫びたくなった。ニャルラトホテプと恋人ではいないけれど、気に入られているのは確か。と、いうか化け物なのだ、あいつは。だから、そんな場所に行ったらどうなるのか恐怖がある。
あいつは気に入ったものを手放したくない傾向にある。そんな奴がいる状態で合コンになど行けばどうなるだろうか。集まった男性陣に何かしかねいような気がした。彼らを被害者にするなど申し訳なさすぎるので断りたい。
「ほら、いないとは言ってないじゃん?」
「嘘ですねぇ。断りたいだけの口実でしょう!」
今日に限ってしつこいぞと、桂華はどうにか断りたかった。そこへ追い討ちをかけるように千歌は言う。
「桂華さん、干物女子に磨きかかってどうするんですか。もっと女として生きましょうよ」
桂華は「余計なお世話じゃ!」とそう叫びたかったけれど、ぐっと堪えた。笑みを作って「いいじゃん、別に」と答えるしかない。
暫く攻防戦は続いたものの、合コンには行かなくて済んだ。何とか桂華は勝利をもぎ取ったのだ。そんな千歌とのやりとりを終えてぐったりとしていた桂華の元に先輩がやってくる。
綺麗な黒髪をボブカットにして眼鏡をかけた美人な女性、
「千歌ちゃんに捕まってたんだってねぇ」
「さと姉さん、聞いてくださいよぉ」
もうすごかったのと先ほどの攻防戦の話を桂華はした。話を聞いた紗江莉はそれはまぁと呆れている。「あの子ってちょっと口がねぇ」と眉を下げていた。
「でも、若いんだから恋人作ったら?」
「いや、それはですねー」
同居相手はいるんですよとは言えないので笑って誤魔化せば、紗江莉に「仕方ない子ね」と言われてしまう。
「彼氏に手料理とかさー」
「私、料理全然作らないんですよー」
桂華の返しに「それはそれでどうなのよ」と紗江莉に突っ込まれてしまった。仕方ないじゃないか、今はさらに作らなさに磨きがかかっているのだぞと桂華は内心で叫んだ。
自分で作る料理よりもあの化け物が作る方が数倍も美味しいのだ。そんな美味しいものを食べてしまっては、もう自分の料理など食べられない。あの化け物の侵食がとまらない現実を実感してしまった。
「そういえば、桂華ちゃん聞いた?」
そんなことを考えていると紗江莉が思い出したように言う。
「何がですか?」
「この会社、幽霊出るらしいわよ」
何それ、初耳なんですけどと桂華が驚いた様子を見て、紗江莉は「知らないのね」と話し始めた。
場所は決まっていないらしいのだが、残業で夜まで残っていると水の滴る音がするらしい。なんだろうかと音のする方を確認すると、ずぶ濡れの髪の長い女が立っているのだという。
「私、あんまり残業しないんで知らなかった」
「他部署は残業で残ったりするからねぇ。桂華ちゃんも気をつけてね」
紗江莉に「取り憑かれたら嫌じゃない」と言われて、それもそうだなと桂華は頷いた。
***
そんな話を聞いた日にまさか残業をするとは思わなかった。千歌がどうしても合コンに行きたいからと残った仕事を押し付けてきたのだ。断ろうとしたけれど「なら、合コンに来ます?」と問われてしまっては、黙って仕事を受け取るしかなかった。
ちくしょうとぶつぶつ文句を呟きながら桂華はパソコンに入力していく。これが終われば帰れる、もう少しだ。
桂華は終わりが見えてきたことに気を緩ませて、周囲を見遣ると誰もいない。消灯時間も迫っているを確認して急いで終わらせないとと、桂華が急いでキーボードに指を走らせていた時だ。
ぽた、ぽた。水の滴る音がした。近くに水道などない、給湯室は少し離れた場所にある。水音が聞こえるのはおかしかったので、あれと顔を上げて桂華は固まった。
目の前、デスクの向こう側から水浸しの女が覗いていた。
しんと静まる。短かったような、長かったような、そんな少しの間。桂華は眉を寄せた。
「こっわ」
顔が怖い、青白いし、目は空洞だし、雰囲気が暗すぎると桂華はその女を見て思った。またしても彼女は精神値の賽投げに勝利してしまっていた。
女を観察してみるが何かする気配も感じない。ただ、そうただ見つめてくるだけだ。
暫く眺めていた桂華だったがそのまま入力業務へと戻った。何もしてこないのならば怖くはない。それに幽霊など無視してさっさと仕事を終わらせたかった。
それほど経たずに仕事は全て完了した。終わったと顔を上げればもう水浸しの女はいなかった。周囲を見渡してもそれらしい姿は見えない。諦めてどっかへ行ってくれたかと呑気に考えて桂華は片付けを始めた。
***
「ただいまー」
桂華は玄関を開けてそう言うとリビングへと向かう。ダイニングキッチンの方を見遣れば、いつものように顔の良い人間の姿をしたニャルラトホテプがいた。
桂華が帰ってくるのに合わせて夕飯を温め直してくれていたようだ。ニャルラトホテプが帰宅に気付いて、ダイニングキッチンから顔を覗かせると眉を寄せた。それに気づいたけれど何を言うでもなく、寝室へ行こうとしてそれを止められてしまう。
「キミ、またあったでしょ」
「え?」
振り返るといつの間にかニャルラトホテプが立っていて驚いた。彼は桂華の背中をぽんっと叩いたかと思うと、何かを引き摺り出すような仕草をする。その様子を見て、桂華は固まった。
ニャルラトホテプは長い髪の毛を掴んでいた。その先をたどってみると見覚えのある姿が一つ。先ほど、会社で遭遇した水浸しの女がそこにいた。彼女はにニャルラトホテプに髪を掴まれて暴れている。
「……なんでいるの」
「キミ、本当に幸運だよね」
精神値の賽投げを悉く成功していく桂華にニャルラトホテプは苦笑する。そんなことを言われても、桂華は多少の恐怖はありつつも平気なのだ。暫くもがく女を見て指さした。
「どうするの、これ」
「窓から捨てる」
ニャルラトホテプはそう言ってリビングの窓を開けた。女を持ち上げるとそのまま落とす。ここ、三階なんだけどなと桂華は思ったのだが、幽霊なのだから関係ないかと考えるのをやめた。
捨て終えると窓を閉めてニャルラトホテプは何事もなかったように夕飯の準備を始めた。それを見てもう大丈夫なのだろうと、桂華も着替えるために寝室へと向かった。
部屋着に着替え終えて用意された夕飯をもぐもぐ食べる。今日は海老ドリアとコーンスープにトマトサラダだった。見た目はそう店で出てきても遜色のない出来だ。ドリアを口に運べば、濃厚なチーズの味わいと米が合っていて手が止まらなくなる。
プリップリの海老の食感がよくて、思わずにやけてしまう。本当に美味しいので文句が言えなかった。美味しい料理に罪はないので、桂華は大人しく食べる。そんな様子にニャルラトホテプから「キミは本当に強いね」と言われた。
「誰に鍛えられたんでしょうかね」
「ボクかな。しかし、もう少し怖がってくれてもいいと思うのだけれど」
ニャルラトホテプに「キミの怖がる表情って素敵だと思うんだ」と笑顔で言われて、「黙れ」と思わず言ってしまったのだがそれは許してほしい。他人が恐怖し、絶望し、発狂する様を見て喜ぶ奴なのだ。口調が悪くなるのも許してほしい。
「あれ、幽霊?」
「そうだね、幽霊かな」
ニャルラトホテプは「どうして彷徨っていたのかは分からないけれど、構ってほしくて人前に現れていたのだろう」と話す。また会社に戻ったのではないかと。
憑いてきたのも自分を見て平気そうだったから、受け入れてくれると勘違いしたのではないかと推察していた。なんと迷惑なことだろうかと桂華は呆れる。
「ダメじゃないか。ボク以外に気に入られては」
「そもそもあんたに気に入られたくなかったんだけど?」
「それはもう仕方ないね」
気に入ってしまったのだからとニャルラトホテプは爽やかに笑む。顔は良い、顔は良いので一瞬だけ許してしまいそうになる。だが、こいつは化け物なのだ。桂華は「許されると思うなよ!」と言ってご飯を頬張った。
「キミ、ボクの作ったご飯食べながら言っても説得力ないよ?」
「そんなの私が一番、わかってるわ!」
ちくしょう、どうしてこんなにご飯が美味しいだよ。料理上手とか反則だろ、くそ。桂華はバシバシとテーブルを叩く。行儀が悪いとニャルラトホテプに指摘されるもやめなかった。
「どうせ私は干物女子だよ。恋愛に興味ないし、面倒くさがりだしぃぃ」
別に干物女子でもいいじゃないか。恋愛なんてしなくても生きていけるし、面倒くさがりなのは性格なのだ。誰かに迷惑かけたことはない。
片付けは苦手だけどできなくはない、気力が出るまでに時間がかかるだけだ。料理だってできなくはない、面倒なだけだ。そんなのでもいいじゃないかと桂華はぶつぶつ呟く。
「こんなんで恋愛とかできるかよーー!」
「ボクのこと忘れてない?」
「え、あんた化け物じゃん……」
「酷いことを言うね」
ボクは全てを受け入れる、キミができないと言うのならやってあげよう。どんなキミでも見ていてあげるよ。ニャルラトホテプは当然のように言うその表情が、なんとも邪悪なものだから桂華は眉を寄せた。
「その対価が恐怖と狂気でしょ!」
「もちろん」
ニャルラトホテプに「キミの怖がる姿と狂っていく姿をボクは眺められればそれでいい」と言われ、なんと性格が悪いのだろうかと桂華はますます渋面になった。
どうしてこんな男に気に入られたのだ。いくら顔の良い料理上手な人間の姿をしていても化け物には変わりない。こんな奴に好かれるぐらいならば、他に男を作っておくべきだった。
「合コン行けばよかった」
「そんな場所に行っていたらどうなるかわかるよね?」
にっこりとニャルラトホテプが言う。桂華は予想通りの反応されて、あの時の自身の判断は正解だったのだと安堵する。
この男なら何をしでかすかわかったものではない。行かなくて正解だったな本当にと、自身の恋愛の興味なさに救われた瞬間だった。
「……行かないからそんな目で見ないで」
「分かっているならいいよ」
冷めた青い瞳が細まる。「キミがちゃんと理解しているのなら何もしないさ」とニャルラトホテプは言って、愉快そうに桂華を見つめていた。
この男には敵わない。自身が気をつけねばと桂華は身を引き締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます