第12話 ブラックコーヒー

「コーヒー。ブラックで」

「はい。コーヒー、ブラックですね。ホットですか? アイスですか?」


 ニコリと微笑み訊ねると、「ホットで」と男性はにこやかに答え、支払いを済ませてコーヒーを受け取った。

 店の端の席に座り、コーヒーを手に本を読み出したその客を横目で見送ってから、深織はひっそりと息をつく。


 菜乃と別れ、夕方からカフェのバイトに向かった。


 断っておいて……と我ながら思うが。会いたい、と伝えてきた稲見の真意がやはり気になった。話したいこととはなんだったのか? 会ってどうしたかったのだろうか? 今になってコンタクトを取ってきたのはなぜ? ――そんなことを一人になってからも、ぐるぐると考えてしまった。

 だから、今日はバイトがあってよかったと心底思った。きっと一人で家にいたら、また悶々と塞ぎ込んでしまっていただろうから。

 忙しい時間帯も過ぎ、閉店の時間が迫ってくると、客足はまばらになって店内にはチラホラと数人ほどの客が残っているだけになっていた。

 そんなとき――レジを離れ、お客さんの去ったテーブルを拭いていたときだった。


「すみません」


 落ち着いた低い声だった。

 ハッとして振り返ると、先刻、ブラックコーヒーを頼んだ男性だった。黒縁眼鏡に、さっぱりと短く切り揃えられた黒髪。際立った印象はないものの――当たり障りのない、とでも言えばいいのか――人当たりの良さそうな顔立ちで、余裕の窺える笑みがコーヒーの香り漂うカフェの雰囲気によく合っている気がした。


「どうかされました?」


 クレームを入れよう、という雰囲気ではないが、深織はサッと彼のテーブルに身体を向けると姿勢を正した。

 すると、彼は笑みを崩さず、冷静な眼差しで深織を見上げながら、


「美作さん……ですよね?」

「え……なんで、名前……」


 すると、男性はちらりと深織の胸元へと視線をやった。

 つられたように見やれば、『美作』と書かれた名札が。


「あ……」と深織はバツが悪いように苦笑した。「書いてありますね。失礼しました」

「いえいえ。こちらこそ、突然、お声かけしてしまってすみません」


 はは、と軽やかに笑って、男性は「このあと、お時間ありますか?」と気さくに言った。

 

「は……」


 思わず、ポカンとしてしまった。

 一瞬、何を訊かれたのかも分からなかった。それほどに、あまりに自然で……。


「えっと……時間……?」と目をパチクリと瞬かせてから、「営業時間……のことですか? もうすぐ閉店になりますが……」

「それは知ってます。だから、待ってたんで」

「待ってた……?」


 開いていた英字の本をぱたんと閉じると、男性は居住まいを直すようにしてから、両手を組み、改まって深織を見つめてきた。


「美作さんのご都合がよければ――今からデートにお誘いしようと思いまして」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大学で『女たらし』と有名な年上の彼は、付き合ってみたら紳士で一途な人でした。(と彼女は思ってるけど、本当はそのカレシは年下の超真面目な男子高生です。) 立川マナ @Tachikawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画