第8話 確信と決断
すると――、
『深織さん……!』
キュウッと胸が締め付けられる。声を聞いた、それだけで。
その声はよく耳に馴染んだ、紛れもなく愛おしい彼のもの。でも、ひどく強張って、いつもと違っていた。ただならぬ緊張が伺えた――。
『あの……僕は……その……深織さんに言わなきゃいけないことがあるんです』
つっかえながらも必死に言葉を紡ぐ、上擦ったその声は、真剣でひたむきで……覚悟に満ちていた。
とてもじゃないが、『白い狼』のものとは思えない。平然と甘い言葉を自分に囁きながら、陰で他の女性と戯れていた人のものとは思えない。全ては嘘で遊びだったんだ、とこれから懺悔を始めるようなものとは思えない。
だからこそ、怖いと思った。
何を言い出すんだろう? また、騙されてしまうのだろうか? どんなふうに言いくるめられてしまうんだろう? 一体どんな甘い
ああ――と深織はぎゅっと唇を噛み締める。
自分はもう二度と、この人の言葉を信じられないのだ、と悟った。
『ずっと……言えなくて……本当のことを言う勇気も、自信もなくて……でも、それじゃだめなんだ、てやっと目が覚めました。僕は本当に深織さんのことが好きだから――だからこそ、本当のことを言わなきゃ、て……!』
「もういいです」
諦めたようなため息と共に、そんな力無い声が漏れていた。
『え……』
「もういいです……」深織は自分に言い聞かせるように繰り返し、「もう……聞きたくない。もう惑わされたくないです」
『は……え……』
「稲見さんのこと……私、ずっと信じていました。――でも……全部、嘘だったんですね」
瞼を閉じれば、走馬灯のように今までの思い出が駆け巡る。稲見との……拙くも甘い日々。どんなに菜乃に忠告されようと、稲見を信じ、稲見を庇ってきた。誰がどこで言い出したかも知れない噂よりも、稲見の言葉を信じようと思った。出会ったときから今までずっと、稲見はいつも優しくて、常に自分を気遣ってくれて、真摯でまっすぐで……
それなのに――。
「稲見さんは……私が思っていたような人ではなかったんですね」
ぽろりと落ちた涙と共に、降参するような言葉が口から零れ出ていた。
『深織さん、なんで……いや、それより……待ってください! せめて、話を……』
「聞きたくありません!」
自分でも驚くほどピシャリと深織は一蹴していた。
「もう二度と、稲見さんと話したくないです。会う気もありません。だから、もう連絡してこないでください!」
息を吸う余裕すらなく、捲し立てるように早口でそう言い切って、深織はプツリと電話を切った。
残ったのは、シンと冷たい静寂。
人気のない、静まり返った橋の上で、自分の荒い息遣いだけが木霊していた。
胸の奥が熱い。全力疾走でもしたみたいに息は上がって、身体中から湯気でも出ているような気さえした。
頭に血が昇る、というのはきっとこの状態を言うのだろう、と深織は思った。しばらく何も考えられなくて、スマホを握る手は震え、手先に痺れさえ感じた。
そうして呆然と佇んで、どれくらい経ってからだろう。やがて呼吸も落ち着くと、ふと我に返って気づく。
今、自分は別れたのだ、と。
初めての彼と、初めてのクリスマスを迎える前に、別れたんだ――。
大学で『女たらし』と有名な年上の彼は、付き合ってみたら紳士で一途な人でした。(と彼女は思ってるけど、本当はそのカレシは年下の超真面目な男子高生です。) 立川マナ @Tachikawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。大学で『女たらし』と有名な年上の彼は、付き合ってみたら紳士で一途な人でした。(と彼女は思ってるけど、本当はそのカレシは年下の超真面目な男子高生です。)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます