第5話 彼の部屋

 自己責任とは言われたものの。初めての場所で、しかも男子寮だ。ここまで易々と通されてしまっても戸惑う。

 しんと静まり返った玄関で、深織は一人、しばらく逡巡してから、覚悟を決めるように息を吸い、スリッパに履き替え、寮に上がった。

 靴箱の前を通り過ぎ、言われた通り、廊下の角を右に曲がると、左にはトイレが。つまり――と、右をチラリと見やるとドアがあった。いくつも並んだ扉の一つ。何の変哲もない扉。

 ここが……と、つい、ごくりと生唾を飲み込んでしまう。

 初めて訪れた恋人の部屋。それなのに、会える喜びよりも、会えるのだろうか? という不安を覚える。胸が締め付けられるような寂しさを覚えながら、チラリと下に視線をやれば……。


「あ……」


 息を呑む。

 そこには一足のスリッパが置かれていた。

 つまり……中にいる、ということ。稲見がそこにいる。部屋にいる――。

 ようやく、すうっと息が喉を通っていくような感覚を覚えた。


 ホッとしたのだ。


 ここにきて、どれほど自分が稲見を疑っていたのかを自覚するようだった。部屋に彼が帰ってきていた……それだけでここまで安心するなんて。どこか別の――、誰か他の――、深織の知らない場所にいるんじゃないか、とどこかで密かに心配していたのだ、と気付かされる。


 ずっと既読がつかなかったのは、単に疲れて休んでいたから? もしかして、稲見の気づかぬうちにバッテリーが切れていたのかも。


 いずれにせよ、謝らなければ、と思った。

 メガネを返して、疑っていたことを白状して謝罪して……そして、明かそう。深織も自覚しないようにしていた本音。ずっと深織の中で巣食っていた疑念。あの噂の真相を――、『白い狼』の真偽を――、稲見本人に訊こう。

 やはりクリスマスだからか。人気もなく、寒々しい廊下で、どこからかテレビの音が漏れ聞こえていた。そんな中、深織はドアに歩み寄り、コンコン、と静かにノックの音を辺りに響かせる。

 緊張に上擦った呼吸を一つ、二つ……と繰り返し、しばらく待ってから、ガチャリ、と扉が開いて、


「何? 鍵、閉めてないけど」


 稲見さん――と言いかけた口があんぐり開いたまま固まった。

 出てきたその人物に、深織は文字通り言葉が出なかった。

 見覚えがない。稲見ではない。それどころか……。


「……誰?」


 まるで深織の心の声を代弁するかのように、は訝しげに呟いた。

 赤く焼けたような茶色いロングヘアに、キャミソールにショートパンツという真夏かのような格好。そんな出立ちもしっくりくる、モデルを彷彿とさせるスタイルの女性だった。

 キリッとした眼元を薄め、彼女は値踏みでもするかのように深織を見つめ、


「あの……なんですか?」


 敵意にも近い警戒も露わに訊かれ、深織はハッと我に返る。


「すみません……!」と反射的に謝ってから、「部屋を……間違えてしまったみたいで……」


 咄嗟に口にした言葉を、そうだ――と自分自身にも言い聞かせる。部屋を間違えたのだ。そうに決まっている。

 受付にいたあの男性にもう一度確認しよう、と踵を返そうとしたのだが、


「間違えた?」と女性は腕を組み、どこか疑るように眉を顰めてから、「誰の部屋探してんの?」

「……稲見……稲見……恭也……さん」


 おずおずと深織がそう答えるなり、女性はカッと眼を見開き、「あいつ……!」と怒号のようなものを廊下に響かせた。


「ここにきてダブルブッキングかよ!? 何を初歩的ミスやってんだ!?」

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