三章

第1話 なぜ?

 まさか、このまま独りでクリスマスを迎えることになるのだろうか……。

 恋人になって初めて迎えるクリスマス。今まで誰とも付き合ったことのない深織にとって、初めて恋人と過ごすクリスマス――特別な日になる、と密かに期待していた。

 とはいえ……全てを今夜、望んでいたわけではない。想いが昂って、つい、大胆なこともしてしまったが。決して、今夜、稲見と結ばれたい、とか……そこまで欲張りな希望を抱いていたわけではないのだ。

 ただ、一緒に過ごせればよかった。聖夜と呼ばれる、一年にたった一度のこの特別な夜を――せめて今夜だけは――稲見と一緒に過ごしたかった。ただ、傍にいて欲しかった……。


「何を……間違っちゃったんだろ?」


 今頃、稲見と見つめ合い、その優しい眼差しに蕩けていたはずだったのに。今、深織の目の前にあるのは、稲見の黒縁メガネのみ。

 ローデスクにポツンと置かれた物言わぬ稲見のメガネに向かって、独り、ぼやいているこの状況。虚しいというか、切ないというか……遣る瀬無い。深織は抱いた膝に顔を埋めて「〜〜〜っ」と悶えた。


 良い雰囲気だったはずなのだ。今にも一線を越えそうな――そんな危うい昂りがお互いの間に迸るのを確かに感じた。それが一瞬にしてフッと消えた。全ては――、


「『大好きです……恭也さん』」

 

 ぽつりと、深織はまじないでも唱えるように呟いた。まだ口に馴染まない、くすぐったい感じのする響き。何度振り返ってみても、『きっかけ』としか思えない、その言葉を……。


 でも、なぜ――?


 そっと深織は顔を上げた。

 やはり、何度考えても分からない。腑に落ちない。

 なぜ、稲見は急に態度を変えたのだろうか? あの一言で……? タイミング……が悪かった? それとも、言い方が気に食わなかった? いや――と深織はすぐに思い直す。稲見はそんなことで機嫌を損ねるような人ではない。少なくとも、深織の知る彼はそんな人ではない……。


「……」


 何か……どす黒い煙のようなものが胸の奥に立ちこめていくような感覚があった。

 じっと稲見のメガネを見つめ、深織は表情を曇らせた――そのときだった。ローテーブルの隅に置いておいたスマホが震えた。

 一瞬、稲見か、と思ってドキリとした。メガネ忘れていますよ――と送ったLINEへの返事が来たのだろうか、と思った。しかし、スマホを手に取り確認してみると、そこの画面に出ていたのは、


『どんな感じ? 変なことされてない?』


 菜乃だった。

 一気に高まった緊張感が和らいだ感じがした。

 変なことって……と深織は苦笑する。いつもと変わらぬ菜乃のLINEが、今は救いに思えた。


『何もされてないよ。もう帰っちゃった』


 もう帰っちゃった――自分で打ったくせに。文字となって菜乃とのトーク画面に映ったその言葉が、追い討ちでもかけるように胸にグサリと突き刺さる。

 きゅうっと締め付けられるような寂しさに襲われた。

 はあ、と重いため息を吐くと、ブーッとスマホがけたたましく震え始め、ぎくりとして見れば、今度は菜乃から電話が。

 わざわざ、電話……?

 戸惑いつつも、「菜乃?」と電話に出ると、


『絶対、クロでしょ、『白い狼』!』


 一瞬、スピーカーフォンにしていただろうか、と思ってしまうほどの甲高い声がスマホの向こうから飛び出してきた。

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