第12話 核心
「どうか……しましたか?」
パチクリと眼を瞬かせ、深織が訝しげに訊ねてきた。
そこでようやく、見つめすぎていたことに気づいて、眞彦は慌てて「いえ……!」と視線を逸らし、思い出したように深織の置いたコーヒーを手に取った。
「あの……これ、ありがとうございます!」
「いえ。お礼を言うのはこちらのほうですから」
「あ――」
そうだ、と眞彦はおずおずと深織に視線を戻す。
「今さら、なんですけど。お礼って……なんの、でしょうか?」
「え……」と紙コップを口許に運ぶ手をぴたりと止め、深織は目を丸くした。「なんの、て……」
しっとりとジャズの音色が静かに流れる中、二人は黙って見つめ合い、ややあってから深織は少し不安げにぎこちなく微笑んだ。
「助けて……くれたんですよね? 一緒に帰ろう、て……」
眞彦はハッと息を呑む。
脳裏をよぎったのは、あのときの深織。伊吹にベッタリとくっつかれ、身を捩り、まるで救いを求めるような眼差しで見てきた――ように思えた。
確信は無かった。根拠も無かった。
あくまで眞彦の推測で。本能とか勘に近いもので。
だから、『助けた』と――そう深織が思ってくれたことに驚いて……そして、ホッとした。
「私が困っている、て気づいて……あの場から連れ出してくれたんですよね。『自分も帰りたいから』なんて嘘まで吐いて……」
え、『嘘』……!?
「あ、いや……そんな大層なことは……」
ああ……と苦々しいものが口の中に広がるようで。眞彦は渋面浮かべて俯いてしまった。
半分正解で、半分買い被りだ。
深織を助けるための嘘――だったら、どれほど格好がついたことか。
しかし、皮肉にも……それだけは偽りのない眞彦の言葉だった。
「あれは嘘……とかじゃなくて。実際、俺も帰りたかったんで……」
「どちらにしろ、ですよ」と深織はなんでもないかのようにサラリと言った。「嘘でもそうじゃなくても。助けてくれたことに変わりないじゃないですか」
「……」
澄んだ鈴の音のように。なぜだろう、その言葉はやたらと眞彦の胸に響いた。
「実は……」と深織は急に気まずそうに声を低くし、「正直、ちょっとだけ迷ったんです。一緒に帰ろう、て言われたとき、どっちだろう……て」
「どっち……?」
ちらりと見やれば、深織は視線を彷徨わせ、躊躇う素振りを見せてから、
「これが『お持ち帰り』ってやつなのかも、て……」
「お……!?」
思わず、素っ頓狂な声が飛び出してしまった。
うわあ――と全身がたちまち熱くなる。
言われて気づいた。確かに……そう取られてもおかしくない行動だった。
「いや、俺は……そんなつもりは!」と立ち上がらん勢いで訴えると、
「分かってます。そんな気がしました。だから、一緒に帰ろうと思いました」
「……はあ」
「稲見さんって――実際に会ってみたら、イメージと違った、ていうか……」
ギクリとする。
ここにきて、まさか核心に……!
代理とはいえ、やはり深織も聞いていた、ということか。ホンモノの『稲見恭也』の話を……。実際にどんな話を聞いたのか、までは眞彦にも分からないが。だいたい、予想はつく。どれほど大学でモテて、どれほど優秀で将来有望な帝南の医学生なのか――といったところだろう。
そりゃあ、イメージと違って当然だ。自分はといえば、モテるどころか初恋さえ無惨に散り、帝南医学部への入学は絶望的でとうに諦めている状況。もはや正反対と言っていい。
居た堪れずに目を伏せた、そのときだった。
「本当の稲見さんは、とても――優しい人なんですね」
「へ……」
優しい……人?
周りの音が一瞬にして消え去ったようだった。自分の呼吸さえも聞こえない、真空みたいな静寂の中、無意識に――、何かに誘われるように――、ゆっくりと視線を上げると、そこには深織がいて。ほんのりと紅潮した頬を緩ませ、ふわりと微笑んだ。
「今夜は稲見さんがいてくれて良かったです。ありがとうございました」
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