第11話 お礼

「私、ここでバイトしてるんです。あ、『ここ』って言ってもここじゃなくて。大学のすぐ近くにある店舗なんですけど……」


 あたふたと早口気味に深織は言ってから、どこか恥じるように視線を逸らして口篭った。


「はあ……」としか、眞彦は返せなかった。


 お礼をしたい――という突然の深織の誘いに眞彦はろくに反応もできず、「すぐそこにムーンスターあるので」と深織に促されるまま、のこのことついて来てしまった。

 確かに、それは歩いてほんの一分程度のところにあった。

 どこの駅前でも必ず見かけるコーヒーチェーン店。コーヒーに大して興味も無く、友達と出かけるならば、ハンバーガー店の方がずっといい――そんな眞彦にとっては無縁の場所で。母がたまにドライブスルーに寄って、父と二人分の飲み物を買うのに巻き込まれるくらいだった。

 店の中に足を踏み入れるのも初めて……かもしれない。

 落ち着いた音楽が流れ、芳しいコーヒーの香りのする店内。照明も心なしか淡く、柔らかな影を店内に落としている。まばらに座る客も各々、ゆったりと過ごし、話し声も密やかで耳に心地よいほど。

 オシャレ――というものを体感した気分だった。

 これまた場違いだな、と思った。

 入り口で呆然と突っ立っていると、


「何が好きですか?」


 訊ねられ、「え」と我に返って振り返る。


「コーヒー」と深織が隣でやんわり微笑んだ。「いつも何飲みます?」


 当然、答えに詰まった。

 いつも何を飲むのか――なんて訊かれても困る。そもそも、コーヒーなんて飲まないのだから。とはいえ、ここまで来て『コーヒーは飲みません』と言うのも……気まずいというか手遅れというか。


「俺は……」


 なんとか間を持たせようと考えるふりして言い淀み、恭也なら――と慌てて記憶を辿って『正解こたえ』を探した。

 確かに……恭也はいつもコーヒーを飲んでいた。眞彦の家に来るたび、母に「コーヒー要る?」と訊かれて、「はーい、もらいまーす」と答えて――。

 そうだ、と眞彦はハッと思い出し、


「『ブラックで』」


 記憶の中の恭也に倣ってそう言うと、深織は「ブラックですね」と――バイトの癖だろうか――まるで店員のようににこやかに復唱した。


「どこか、座って待っててください。注文してきます」

「え……いや、そんな、悪いです! 自分で……」

「お礼なので」


 深織は遠慮がちに言って軽く会釈し、眞彦に食い下がる暇も与えず、身を翻してレジへと向かってしまった。

 

「『お礼』って……」


 一人残され、眞彦は途方に暮れたようにぽつんと佇む。

 やはり、分からない。一体、なんの『お礼』なのか。奢ってもらうようなことをした覚えはない。

 とりあえず、立っていても邪魔なだけだろう。

 言われた通り、近場の適当な席に――入り口近くのテーブル席に座って待った。

 レジの女性と何やら談笑し、支払いを済ませる深織を眺めていると、段々と平静を取り戻し、改めてこの状況の非現実さに気付かされる。

 カフェで女性と二人きり。しかも、相手は年上の女子大生。それも――。


「お待たせしました」


 お店のロゴが入った紙コップを両手に、眞彦の席へ向かってくる深織。二つの紙コップのうち一つを眞彦の前に置くと、眞彦の向かいにそっと座った。

 艶やかな長い黒髪をそっと耳にかけるほっそりとした指。ほんのりと桃色に色づき、瑞々しく潤った唇。落ち着いた輝きを放つ、深みのある黒い瞳。何よりも、その透明感のある白い肌に見惚れる。

 目の前に座るその人は、控えめながら繊細で。洗練された美しさを纏っているようだった。

 

 綺麗な人だな――と陳腐で幼稚な……でも、正直な感想がポツリと浮かぶ。

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