第10話 後悔

 駅へ向かった。暗がりをただ先導するようにして。

 会話なんて何一つなく。気まずい空気だけが、彼女が後ろからついてきている証拠のようなものだった。

 そうして無言で歩いていくうちに、己のやらかしたことが現実味を帯びてのしかかってくるようだった。

 

 なんてことをしてしまったのか。――いや、しでかしてしまったのか。もはや、それすら分からない。


 ただ、困っているように見えたから。救いを求められたような気がしたから。放っとけなかった。あの場から連れ出してあげたかった。

 でも……冷静に考えてみれば、果たして、深織が本当にそれを求めていたのかなんて定かではない。結局、自分がだったから、そんなふうに見えただけで。深織はそこまで――帰りたい、と思うほどは――厭じゃなかったかもしれない。あのとき厭そうに見えたのは、ただ単に、伊吹がタイプじゃなかっただけ、ということも考えられる。合コン自体は楽しんでいたのかも。そうじゃなかったとしても、あのまま残れば……もしかしたら、誰かとうまくいっていたのかもしれない。


 それを自分が台無しにしてしまった――と考えずにはいられなかった。

 自分とこうして一緒に帰ったところで何も良いこともないなんて、自分が誰よりも分かっている。


 実際、『帰りは電車ですか?』とだけ訊いて、そのあとは会話もなく、黙々と駅に向かって歩くのみ。

 きっと、今、深織は後悔しているに違いない。『こんなことなら、残ればよかった』と……。そんな気配を背後からひしひしと感じるようだった。


 胸をまるで何かに押し潰されるような息苦しさに襲われた。


 きっと、恭也だったら、こんなことにはなっていなかっただろう。もっとうまく立ち回っていたはずだ。場の雰囲気も壊さず、誰の気分を害すこともなく、深織も合コンを楽しめるよう趣向を凝らして切り抜けられた。

 こんなことになったのは、自分が『稲見眞彦じぶん』だったからに他ならない。

 どんなに嘘を吐こうと――歳を偽り、学歴を詐称し、『稲見恭也』の名を騙ろうと――恭也には……自分以外の誰かにはなれない。結局、自分は自分なのだ、と……そんな当然のことを、突きつけられたようだった。


 ――稲見くんは彼氏としては、ちょっと優しすぎる、ていうか……恋人としては見れないかな、て。


 こんなときに脳裏によぎるのは、一番思い出したくないの言葉で。

 気分はどんどん重くなり、暗闇にその身が沈んでいくようだった。そんな眞彦の心の内とは対照的に、辺りは明るくなって、気づけば、駅前まで戻ってきていた。

 ぴたりと足を止め、眞彦は振り返る。


「あの……」深織の顔を見るのが――そこにきっと浮かんでいるであろう、後悔の色を目の当たりにするのが――怖くて、すぐに頭を下げた。「勝手なことして……すみませんでした」

「え……」


 本当は眞彦も帰りは電車だ。一緒に駅に入ればいいのだが。これ以上、この気まずい空気の中にいては窒息してしまいそうで……。


「じゃあ、俺はここで。お気をつけて……」


 眞彦は返事も待たずに深織の横を通り過ぎ、ただ暗闇へと吸い込まれるように来た道を戻った。

 この辺りの土地勘もろくにない。行くあてもない。ただ……とにかく、深織の前から消えてしまいたかった。

 濃くなる足元の影を見つめながら、そうして、数歩ほど歩いたときだった。


「コーヒー、一緒に飲みませんか!?」


 え……と足が止まる。

 焦ったような、緊張したような、上擦った声だった。深織の声だった。

 コーヒー? なんで……?

 あまりに突拍子もなくて。でも、他の誰かに――という可能性がないのだけは明らかで。眞彦はただ困惑し、ぽかんとしながらおずおずと振り返った。


 駅の煌びやかな光を背に、深織はちょこんと佇んでいた。そっと長い髪を耳にかけ、ぎこちなく――でも、朗らかに微笑むと、


「お礼……させてください」


 どこか遠慮がちにそう言った。

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