第9話 出会いの合コン⑤

 バレたらどうしよう――なんて焦りを感じる余裕もなかった。

 照れとか恥ずかしい、とか……そんな感情がもはや幼稚にすら思えた。

 それほどまでに、でたまらなかった。


 イタズラに場の空気を乱し、津ケ谷には余計な気を遣わせ、女性陣の期待を裏切り……。

 

 何をやってるんだ、俺は? と虚しくなる。

 来るんじゃなかった、と激しく後悔した。

 場違いにも程がある。


 とりあえず、少しでもあの部屋にいる時間を減らしたくて――、これ以上、誰かの時間を無駄にしたくなくて――、行く必要もないのにトイレに向かった。

 このまま帰ってしまいたい、とも思ったが、さすがに黙って消えるのは……。一応、『稲見恭也』の名前を背負って来ている以上、そこまで恭也の名誉を傷つけるようなことはできない。


「はあ……」


 わんわん、と臓物にまで響くような騒がしい音が辺りに鳴り響いていた。どこか他人事のようにその音に耳を傾けながら、壁に背を預け、眞彦はぼうっと廊下に突っ立っていた。

 しばらくそうして……しかし、ずっとこうしているわけにもいかないよな、と思い直す。

 のっそりと壁から背を離し、重い足取りで部屋へと向かった。

 頭痛のようなものすら覚えながら、ガチャリと扉を開けると、ちょうど津ケ谷が歌っているところだった。ノリの良い曲で、皆、大野の音頭に合わせて合いの手を入れて盛り上がっている。

 さすが慣れてるな、とどこか尊敬の眼差しでそんな大野を横目で見ながら、自分の席に――一番隅っこの席へとそそくさと戻った。

 さっき、『稲見恭也』に話しかけてきた女性も、今は津ケ谷の隣で楽しげに笑っている。それにホッとしながらも……そんなことに安堵感を覚えている己に不甲斐なさを覚えて、また自己嫌悪に陥った。

 同じ『代理』仲間だと密かに親近感を覚えた美作深織という女性も、伊吹が隣に陣取り、何やら親密そうに話していて。結局、場違いなのは自分だけだったのだ、と思い知らされるようだった。


 ロクなものではない。

 これはなんの罰だろうか。

 

 いったい、どうして……と眞彦は胸の中で恭也に訊ねずにはいられなかった。

 どうして、恭也は自分をこんな場所に放り込んだのか――。

 なんて言っていたっけか、と眞彦は記憶を辿る。『女への偏った固定観念を捨てろ』? 『黙って観察でもしてればいい』? あとは……『お持ち帰りされて食われそうになったら逃げろ』――?

 いやいや、と眞彦は自嘲めいた笑みを溢す。ここからどうやって、自分が『お持ち帰り』される流れになる、ていうんだ。

 ただただ、居心地悪いだけで。飲み物だけが減っていく。

 ああ、帰りたい、帰りたい、とまるで歌うように頭の中で唱えながら、飲み物に手を伸ばした、そのときだった。


「あ……あの……私、そういうのは……」


 軽快な音楽と野太い歌声が木霊する中、微かにだが、聞こえた。この賑やかな場にはそぐわない、戸惑う声。


 え――と見やれば、


「いや、大丈夫、大丈夫。せっかくなんだからさ、一緒に歌おう、て」

「でも……その……よく知らない曲で……」

「あーそうなんだ? じゃあ、どの曲なら知ってんの? 深織ちゃんが好きな曲、教えてよ」

「えっと、それは……」


 向かいに座る二人の様子がおかしかった。

 曲を予約するリモコンを片手に、伊吹は深織の腰に手を回し、頬まで寄せ合う勢いでベッタリとくっつき……親密そうに見えた――のだが。楽しげに話していると思った深織の顔は、よくよく見ればひどく引き攣っていて。そこに浮かんでいるのは、嫌悪感というよりも恐怖感に近いもので。怯えているのが、暗がりでもはっきりと見て取れた。


「私、歌もそんなに……だから、その……」

「いいじゃん、いいじゃん。俺も一緒に歌うからさ」

「……」


 落ち着かない様子で――おそらく、腰を抱く伊吹の手からなんとか逃れようと――身を捩り、深織が心許無く視線を彷徨わせた先で、


「……!」


 バチリと再び、彼女と目が合った。


 あ……と眞彦は息を呑む。


 彼女の愛想笑いは、もう痛々しいほどに崩れ、今にも泣きそうで。その眼は心細く揺れているように見えて。

 帰りたい――という彼女の悲鳴が聞こえた気がした。

 何か打ち震えるものをその身の奥に感じた。熱く燃えたぎるようなそれは、激しい衝動となってぐわっと勢いよく込み上げてきて……。


「あの、美作さん!」と気付けば、立ち上がって、言い放っていた。「俺も帰りたいんで……一緒に帰りませんか!?」


 その瞬間、ぴたりと歌声が止まり、伴奏だけが呑気に虚しくメロディーを奏でていた。

 深織は目をまん丸にして固まり、空気までもが呆気に取られたような間があってから、


「帰りたい、て……」


 どこからともなく、そんな囁く声がして、眞彦はハッと我に返った。

 たちまち、ぞっと血の気が引く。


 いや、何を言ってんだ、俺は――!?


 うわあっと羞恥心やら罪悪感やら劣等感やら……ありとあらゆるものが胸の奥で渦巻いて、今にも身を食い破って出てくるんじゃないか、と思った。

 もうダメだ、と思った。

 居た堪れない、なんてものじゃない。

 こんな失態を犯し、ここまで恥を晒しておきながら、のうのうと居座れるほど、面の皮は厚くはないし、肝も据わってはいない。結局、自分はただの高校生なのだから――。


「すみません……!」


 ばっと深織から目を逸らし、そそくさと身を翻した。

 刺さるような視線を感じつつ、逃げるようにその場を去ろうとした――そのときだった。


「稲見さん……!」


 呼び止める声がした。

 え、と振り返れば、深織がショルダーバッグを手に立ち上がるところで……。


「私も……その……帰ります」


 どこか訝しむように伏せ目がちにこちらを見つつ、深織はおずおずと言った。

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