第10話 本音

「へ……」


 思わぬ告白だった。深織はどう答えたらいいかも分からず、茫然として固まってしまった。

 そんな深織に、「あ、いや……」と稲見は慌てたように続ける。


「もうフラれてるからね!? 向こうにはカレシもいる。今日もきっと今からデートで、あそこで待ってたんじゃないかな」

「そう……ですか」


 愛想笑いだけは浮かべつつ、深織の視線は自然と下がった。

 自分と出会う前に好きだった相手。しかも、すでにフラれた相手で、もう恋人もいる。――それをどう捉えていいのか迷った。

 稲見をどれほど信じようとしても、一度芽生えた疑心はどうしようもなくて。広場で新村に会ってから、頭の片隅にはがチラついては深織の心を揺さぶってきた。それは、『セフレ』とか、『浮気相手』とか、はたまた『本命』なんていうもので――。

 今の稲見の告白を聞き、少なくとも、新村はセフレや浮気相手といった存在では無かったのだ、とそれだけはホッとできた。

 でも……。

 

 ――本命もセフレも他にフツーにいて、ただ、あんたとはそういう純情プレイを楽しんでるだけ……だったら、どうすんの?


 菜乃に言われた言葉が、今頃になってチクリと胸を突いてくる。

 もちろん、稲見がそんなことをするような人だとは――過去は知らないが、少なくとも今は――思っていない。まるでシンデレラのように……いくら縋り付くように引き止めようと、時間きっちりに去って行くのも、生真面目に寮の決まりを守ろうとしているだけ。深織の部屋に泊まろうとしないのは――深織を決して抱こうとしないのは――自分と『純情プレイ』を楽しみたいから……なんてあり得ないと信じている。

 ただ、セフレも浮気相手も居なくても。たとえ、自分が『浮気相手』では無く、正真正銘の『カノジョ』だとしても。『本命』が別にいて……だから、自分を抱けないということはあるのだろう、と思えてしまった。

 心と身体は別であっても、繋がってはいるのだから。


「稲見さんは……」


 無意識に――、まるで何かに乗っ取られたかのように――、そんな震えた声が漏れていた。


「稲見さんは……まだ、その人のこと、好きなんですね」


 そう呟くと、しっくりと来てしまった。頭の中でもやもやとしていたものが、すっきりと晴れてしまった。納得できてしまったのだ。全てが繋がってしまった。新村を前にした稲見の不可解な言動。異様なまでの動揺。そして、なぜ、彼女から逃げたのか――。

 キラリと輝く指輪のスマホリングを見つながら、スマホをぎゅっと握り締める。じわりと熱くなった眼から、ぽろりと涙が零れ落ちた。


「辛い……ですもんね。好きな人がカレシさんとデートしてるとこ、見るのなんて……」


 仕方ないことだと思う。心に他の誰かがいても、それは『浮気』じゃないだろう。ただの『失恋』というものだ。そう頭では分かっていても……理解を示したくても……溢れ落ちてくる涙は抑えられなくて。これみよがしに嗚咽が漏れる。


「ごめんなさい……私……今まで、稲見さんしか好きになったことがなくて……稲見さんが初恋なので……その気持ち、あまり分からなくて……ちょっとだけ、落ち込ませてください」

「いや……ちょ……ちょっと……待っ……」


 忙し無く流れ落ちてくる涙を拭う深織の隣で、稲見があたふたと慌てている気配がした。


「なんで、そんな……」


 途方に暮れたような弱々しい声を漏らしたかと思えば、稲見は「み……深織ちゃん――!」と勢い込んで言って、


「違うから……そういうんじゃない! ごめん、俺の言い方が悪かった」


 稲見は深織の両肩を掴むと、ぐいっと自分のほうへと深織の身体を向けさせ、


「深織ちゃん……」

 

 改まって呼ぶその声に促されるようにおずおずと顔を上げれば、稲見がメガネの奥で優しげな眼を鋭くさせ、じっと深織を見つめていた。真剣そのものの……緊張さえ滲む固い表情で。


「確かに、俺は新村のことが好きだった。でも、それは過去の話で……今は、新村のことはなんとも思ってない。今、俺が好きなのは深織ちゃんだ。深織ちゃんだけなんだ」


 熱のこもった声は、途中から……どこか辛そうなそれへと変わっていた。

 まるで救いでも求めるように、稲見は真剣だった顔を切なげに歪め、「それだけは……」と今にも崩れ落ちそうな脆い声色で続けた。


「深織ちゃんを好きな気持ちはホンモノだ、て……それだけは信じてほしい。俺、深織ちゃんに出会えて――深織さんを好きになって良かった、て心から思います」

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