第6話 約束
「さっきまで友達と飲んでたっていうのに、普通っていうか……顔も口調も普段通りだから。お酒強いんだっけ? それとも、あまり飲んで無い?」
「あ、それは……」と深織は照れたように苦笑する。「実は、全然、飲んで無いんです。ずっとノンアルのカクテルだけ頼んでたから」
「ノンアル……? 深織ちゃん、お酒嫌いだっけ」
深織はふるふると首を横に振り、「稲見さんが――」とおっとりと言って、熱っぽく稲見を見上げた。
「稲見さんが……お酒控えてる、て言ってたから。あとでキスするとき……厭かな、て思って」
こそっと――顔が熱くのなるのを感じながら――内緒話でもするみたいに囁くと、稲見が眼鏡の奥でハッと目を見開くのが分かった。
そのまま、ぴたりと足を止め、稲見は視線をついと逸らしてしまった。
あれ……と深織は眉を顰める。想像していた反応と違う――。
暗に、今夜もキスしたい、て仄めかしたようなものなのに。照れたり、『ありがとう』と冗談っぽく言われるかと思えば。稲見の表情は曇ってしまった。まるで、困らせてしまったかのようで……。
「ごめんなさい」咄嗟に、深織はそう口にしていた。「私、変なこと言っちゃいましたね!?」
「え、いや……全然!」
ぎくりとして稲見は視線を深織に戻し、「変なこと……どころか……」と、もごもごと言って今度は俯いてしまった。
「そこまで気遣ってくれて……深織ちゃん……やっぱ、優しいな、て思って……」
なんだろうか、と深織は小首を傾げていた。どうも、言葉と表情が一致しない。
胸騒ぎにも似た妙な違和感を覚え、「稲見さん?」と深織は稲見の顔を覗き込み、
「どうかしました? 顔色、悪いような……。もしかして、疲れて……ます?」
「あ……ううん!」と慌てたように顔を上げ、稲見はふっと笑って見せた。「そんなことないよ。大丈夫。ごめん」
やはり、合っていない。大丈夫、なんて言葉とは裏腹に、その笑みは硬い気がして……。
そういえば、稲見は『集中できなかったから用事を切り上げて来た』と言っていた。用事が何だったのか、までは知らないが……『集中』が必要なものということは確実で。深織のように、友人と楽しくワイワイ――といった用事では無かったのだろう。それでも、こうして深織と会うために、わざわざ深織の最寄り駅まで――帝南大の学生寮から電車で三十分もかかるところまで――駆けつけてくれたのだ。
疲れていないわけがない――と深織はぐっと胸に迫るものを感じて、
「あの……稲見さん!」
努めて明るくそう切り出して、深織は「渡したいものがあるんです!」と力強く言い放った。
「渡したい……もの?」
「はい!」
気合いを込めて返事して、深織がいそいそとトートバッグから取り出したのは、緑のリボンと赤い布袋でラッピングした――クリスマスプレゼントだ。それを「どうぞ」と手渡すと、稲見は面食らった様子で「これって……」と目をパチクリと瞬かせた。
イブに会うのだ。その時点で、プレゼントを渡される――というのは、稲見も想定はしていただろうが……流れも雰囲気も無視して、いきなり渡されれば、驚くのも当然だろう。
プレゼントの渡し方としては、これは失敗……と言えるのかもしれない。でも、今はそんなことはどうでも良かった。
深織はクスッと笑って、「開けてみて?」と甘えるように促す。
すると、「あ……ああ……」と気を取り直すように稲見も微笑み、リボンを外して袋を開けた。
そして――、眩いイルミネーションの光の中、さっきまで暗かった稲見の表情がぱあっと華やぐのがはっきりと分かった。
しばらく袋の中を覗き、「もしかして……」と稲見がそうっと袋から取り出したのはグレーの毛糸のマフラーだった。稲見はそれを、まるで天の羽衣でも扱うかのように、丁重に両手に広げてまじまじと眺め、
「もしかして……これ、手編み!?」
そう弾んだ声で訊いてくる稲見の表情には、喜びと驚きと、興奮さえも滲んでいて……照れ臭いやら、嬉しいやら、ホッとするやら。なんだかむず痒いものを胸の奥に感じて、深織は微苦笑しながら頷いた。
「初めて……だから、変だったらごめんなさい」
「初めてなの!?」ぎょっとして、稲見は両手に抱えたマフラーを再び眺めた。「へえ……すごいな。深織ちゃん、プロだよ、プロ!」
「稲見さん、褒めすぎ」
うわあ、おお……と夢中で感嘆の声を上げる稲見に、深織はクスクスと笑った。
嬉しそうに笑ったり、楽しそうにはしゃぐ彼の姿というのは、本当に年上とは思えない。無邪気というか、無垢というか。可愛らしくて、愛おしくて……そういう姿をもっと見たい、と思ってしまう。そう思えばこそ、必死になって動画を見ながら、一ヶ月もかけて彼のために夜な夜な慣れない編み物などしてしまうのだ。『手編みのマフラーなんて重っ! ゼッタイ、引かれる!』という菜乃の言葉に一抹の不安を覚えつつも……きっと、稲見なら喜んでくれるだろう、と信じて。
「今日は……来てくれて、ありがとうございます」
改まってそう言って、深織はおもむろに稲見の手からマフラーを取った。
え……と不思議そうにする稲見の首に、背伸びしながらそれをふんわりと巻きつける。最後の仕上げ、とばかりに、優しく労わりを込めて……。
「医学部って……きっと、すごく忙しい、ですよね。稲見さん、そういうことは全然言わないし、学年も下で学部も違う私には想像もつかないけど……無理しないでくださいね。
私は……稲見さんの重荷じゃなくて支えになりたいんです。だから……疲れたときはそう言って良いんですよ。そう言って欲しい……て思います」
不自然だって構わない、と開き直るような思いで、深織はにこりと屈託無く微笑んで見せた。せめて、ちょっとでも稲見を元気付けられれば、とそう思った――のだが。深織の想いに反して、稲見はぐっと辛そうに顔を歪め、がばっと深織に抱きついて来た。
思わぬ反応に……そして、公共の場ということもあって、深織は「え……? え……?」と戸惑い、抱き返すこともできずに辺りを見回してしまった。
「あの……稲見さん……ここ、外……ですよ」
といっても、周りもカップルだらけ。自分たちのことに夢中でこちらを気にする様子も無さそうだ。
ひとまず、ホッとする深織だったが……それでも、野外で抱き合うというのは恥ずかしいものがある。「稲見さん……嬉しいんですけど、やはり、こういうのはあとでウチで……」とひそひそと耳打ちするが、稲見はより一層ぎゅっと抱き締めて来て、
「ごめん、深織ちゃん」と苦しげな声で言った。「俺……言えなくて……」
深織はハッとして、「あ……謝ることなんてないですよ!」と慌てて返す。
「こちらのほうこそごめんなさい! 私、責めるつもりで言ったわけじゃ……」
「いつか、言うから。全部……ちゃんと言うから」
まるで深織の声など聞こえていないかのようにうわ言みたいに呟く稲見に、深織は漠然とした確信を覚えた。
やはり、稲見は無理をしていたのだ。大学の勉強と深織との交際を両立させるために……無理をさせてしまっていたのだ。申し訳ない、と思いつつも、良かった、と安堵もした。気づけて良かった、と。
「はい」と柔らかな声色で言って、深織も稲見の背に手を回す。「いつでも……いくらでも、私に吐き出していいですよ。頼りにしてもらえたら、私も嬉しいです」
「うん……。約束……するよ」
そう深織の耳元で言った稲見の声は、真剣……というよりも、思い詰めたようなそれだった。
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