第5話 茨

 …誰にもいない。結局誰もいない。…僕は…。

 …しっかりしないと。僕はここから出る手がかりを探さなくてはいけないんだ。…生きるためにも。とりあえずここはもうなにもないみたいだった。ほとんどが壊れていて、もう目にとまるものはなにもない。…どうしようかな。次はどこへ…行こうかな。…建物のどこかに行けば…いいかな。そこに手がかりがあると思うし…。

 「…ここ辺りに誰かいるなんてねぇ」

 「…え?」

 またしても誰かの声が聞こえて振り返った。そこには女性がいた。なんだか見覚えがあって、彼女を見ると僕の心の底でなにか黒いものが渦巻いている。どんな感情か理解しようとすると脳が邪魔して理解することが出来ない。本質を知ることが出来ない。…美人ではある。とても綺麗で美しい女性が。だけど僕はなぜかこの人に…正体は分からないけど黒いものを抱いている。これは一体なんなのだろうか。

 …そもそもこの女性はなんでこんなところにいるんだ?…ここは…誰もいなさそうな雰囲気だったのに。結構人がいるのかな。でも日記には…ほとんどの人が…去ったって言っていたのに。…みんな強欲の魔女というものを恐れて離れていったというのに…どうして人がいるんだろう?

 「…見たことがある顔ねぇ。名前は…なんだったかしらぁ?ねぇカース?」

 にゃ〜

 …近くに黒い猫がいる。…やっぱりこの人は見たことがある。でもどこで見たのか、思い出せない。…思い出すことが出来ない。もう少しで思い出せそうなのに思い出すことが出来ない。

 「本を見れば一発で分かるんだけどぉ…。わざわざ帰る必要があるかしらねぇ?なんか不思議な人間が一人…歩いているから見に行こうとしたら…別の誰かがいるなんてねぇ」

 …口調も聞き覚えがある。声も聞き覚えがある。…なんで、どこで、いつ…僕は…聞いたんだっけ?

 「ふふ…本当に見覚えがあるのに忘れてしまうなんて…でも見覚えがあるということは私が興味をそそられる内面を持つ人間だったのねぇ」

 「うわっ!?」

 近づかれた…!?でも何もしてこない…?安全な人…?そんなわけないよね。…あれ?なんで僕否定しているんだろう。この人とは初対面のはずなのに…もしかして僕は今記憶喪失…失った記憶の中にこの人に関することがあるの…?そして前の僕は…この人と敵対関係にあったとか…?だとしたら…この人も覚えているはずなんだけどなぁ…それに何?興味をそそられる内面を持つ人間って…それってこの状況から考えて僕のことだよね?内面?それってどういうこと?

 「…なぁるほどねぇ。これじゃあ面白くないわぁ」

 「面白くないって…いきなり何なんですか」

 「あらぁ。やっぱり私に敬語を使うのねぇ。記憶を失っているからかしらぁ。貴方の事は思い出したけど以前のような面白さがなければ興味がないわぁ」

 やっぱりこの人…記憶を失う前の僕を知っている…!?それに…僕がこの人に対して敬語を使うのは僕が記憶を失っているから…それって記憶を失う前の僕とこの人が敵対関係にあったことが…もうほぼほぼ確定しているじゃないか…!

 これって…あの殺人鬼と同じように…逃げたほうがいい…?殺すつもりは一切ない…と思われる。殺気がない…そういう点ではあの殺人鬼と同じだけど…でも怖い…。逃げておかないと…!

 「逃げるつもりなのかしらぁ?」

 「…」

 「まぁ、今の貴方には興味がないからどうでもいいわぁ。それよりも人間の方を探さないとぉ。きっと私の伝承につられてやってきたのだわぁ」

 この人の…伝承?…つられて…やってきた…。…なにか思い出しそう…でも同時に…。

 「うっ…」

 とても頭が痛い…何か…思い出しそう…!

 「…記憶が戻りそうなのかしらぁ?…それなら私の正体を言えば思い出すかしらぁ…以前のような面白い貴方に戻ってちょうだい♪」

 それって…。

 「わたしの名前は…そうねぇ。偽名の方が分かりやすいかしら」

 …私はライ・バタフライ。魔女…強欲の魔女…。

 正確には欲望を司る魔女なんだけどぉ…強欲の魔女と呼ばれているわぁ。

 まぁ強欲も欲望もそこまで大した差はないからねぇ。

 「…魔女…?…欲望を司る…。…ライ…バタフライ…」

 …

 …

 …

 …

 ・・・

 どうするのぉ?殺人犯さんねぇ?

 ・・・

 …あぁ、そうだ

 思い出した、お前は僕を利用して…

 そして僕を殺人犯にした元凶だった…

 あの頃の僕は才能が欲しくて、家族を救いたくて…

 お前にすがった、僕が政治員になるにはこうするしかないって思っていたから

 …だけどそれは殺人犯への道でもあった

 一日、僕がしたことで一人ひとり…死んでいった

 僕が殺した、と僕は思った

 それは正論で事実なのだから、受け入れなくてはいけなかった

 だけど僕がいることで、僕のせいで誰かが死ぬというのなら

 …僕は殺人犯でどうしようも出来ない事を嘆いて…自殺した

 …それなら僕はもうとっくに死んでいたんだ

 僕の名前も…思い出した

 …そして…お前に対する殺意も思い出したよ

 「…魔女…!」

 「思い出したのねぇ!あぁ、いいわぁ。その怒りに満ちた顔!これこそ人間の内面そのものよぉ。人間の内面を知るのはとても興味深くて面白いのよぉ」

 …様々な人がこいつの甘い囁きのせいで死んで、自殺していった。自殺者は殺人犯という現実に耐えかねて死亡した。もしくはもう誰も殺したくないから自殺したのかもしれない。…僕もそのうちの一人だ。経験者であり、被害者だからこそ自殺者のお前への恨みと憎しみはよく理解できる。

 …僕は「八つ当たり」のためにここにいるんだ。…これは僕の自業自得が招いた結果かもしれない。だけどそれでもお前に対する恨みと憎しみは忘れていない。お前さえいなければ、お前がこんなことしなければと…責任を押し付けていた。だけどそれは事実でもあるのだから。

 「ライ…僕はお前を許さない…!」

 「ついでにそれは偽名なのよぉ。本名はデジール・ゼフィルス。よろしくねぇ」

 「のんきに自己紹介する時間があるのなら…殺す…!」

 「無理よぉ。だって人間のときでも敵わなかったんでしょぉ?幽霊になった今では絶対に敵わないわよぉ」

 そんなこと誰よりも僕が知っている。お前に敵わないことも…僕がもう幽霊であることも…理解している。肉体がないから魔力がうまく扱えない。幽霊は魔力で存在を維持しているから、その魔力がなくなれば回復するために眠りにつく…そういう種族だ。だからあの時僕は眠りについたのだ。…消滅しなかったのは…「未練」によるもの。幽霊は「未練」があるせいで消えない。僕は「未練」がある…だからここで僕を消すことなんて出来ない…!

 「あぁ…猪突猛進してくるのねぇ。これが人間が怒りに燃えるときの行動なのかしらぁ」

 こんな状況下でもあいつは笑って好奇心たっぷりの表情で僕を見つめている。魔女だから魔力が膨大にあるのは理解している。人間時代でも敵わない、人間がどうあがいても対抗することが出来ない現段階で最強の種族「魔女」。…でも…やるしかないって…それが僕の「未練」のような気がするから。

 「もう、同じじゃあつまんないわぁ。もっと見せてちょうだぁい?」

 同じで悪かったな。でもお前の注文に応えるつもりなどない。

 「も〜。それ以外に…うわぁ!?」

 え…どこから?どこから攻撃が来た?しかも僕が標的ではなく魔女が標的…?…あの殺人鬼が?だって僕を消そうとしているんじゃあ…。

 「…じぶんかってなのは…あいかわらずなの」

 え?子供?でも姿はあの殺人鬼のままなのに…。

 「…コハク…?まさか精霊になっているなんてねぇ。…ふふふふ!面白いわぁ!とっても面白いわぁ!やっぱり世の中は私の好奇心を満たしてくれるぅ!」

 「だからあわない。…だいじょうぶ?」

 「え…えっと…」

 「けすけど、いまはそんなばあいじゃない。…ごーよく…すきかってはゆるさない」

 「コハクだって好き勝手していたでしょうぉ?魔女ってそんなものなのよぉ」

 え?魔女?コハクという子も…魔女?でもさっき精霊って言っていたのに…元魔女ということ?今は精霊だけど昔は魔女だったとか?

 「流石にそろそろ撤退しようか。コハク、サポートよろしく」

 「おーけー」

 「え、何をするんです…」

 「強欲の魔女…また会おうね」

 そう言って僕は別の場所へ強制的に飛ばされた。

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