第6話 人の好みには不干渉で。


 前日に危惧きぐしていたような事態にはならず、魔術師の男は溜息を吐く。しかし、予定外の事は起こった。


「……」


 滅多に現れないはずの『かどわかしの精霊』が、薬術の魔女の前に現れた。御守りの札があったお陰で、魔術師の男はその危機と居場所を即座に察知する事が出来た。

 あの程度の精霊の術など、余程の素人でなければ魔術師という存在には効かない。

 婚約者の薬術の魔女は、意外と精霊のたぐいに好まれやすいらしい。周囲にも精霊の姿がいくつか見えていた。


 ふと、魔術師の男は彼女の唾液に濡れた手袋の指先に視線を落とす。


「……(……『馴染み易い魔力』……。成程なるほど)」


 じんわりと指先に、唾液に混ざった魔力が染み込んでくる。精霊も、その魔力に引き寄せられたのかもしれない。


「……ふむ」


 魔術師の男自身の魔力は、周囲に馴染み難く、且つ伸びやすい魔力。要は水を弾く油のインクのようなものだ。だから、今までも『相性の良い相手』など見つからず、面倒な相性結婚などという、気の狂った制度から逃れられていた。


「(通知書が届いた際には目を疑いましたが、此の馴染み易い魔力ならば、私のような魔力でも相性は良くなると言うもの)」


納得がいった。薬術の魔女の魔力は、馴染む対象を選ばないらしい。


「……(逆を返せば、彼女は『誰とでも相性が良い』事でもありますが……)」


 恐らく、(自分で言うのもなんだが)優秀な魔術師の方から魔力の相性を合わせて行ったのだろう。と、魔術師の男は考えた。

 でなければ、彼女は別の誰かとの組み合わせに引っかかる筈なのだから。

 自分が優秀で良かった、と、魔術師の男は安堵の息を吐いた。

 薬術の魔女の魔力は、他者にとって魅力的

 相性が良いことは『気持ちが良い』ということであり、自制心の薄い者ならばすぐにその快楽に溺れてしまうだろう。


「……しかし、」


魔術師の男は、薬術の魔女の魔力が染み込んだ指先を見る。


「(本当に、『魔力が馴染み合う』ことがこんなにも……甘美な、)」


 微量な魔力が混じり合っただけなのに、その指先が熱い。


「(…………あまり、色々と莫迦には出来ないようですね)」


×


「……して。何処にお出掛けなさろうとしておりましたか」

「そこの山」

「左様で」


 本当に、自分が優秀で良かった。と内心で思う。

 この日は珍しくも休日で、早朝に日課で卜占ぼくせんを行なっていた。干渉する気はなかったもののついでに薬術の魔女についても占っていると、妙な結果が出た。


「……(山、魔獣……当たる、争い……怪我……?)」


 別に心配をした訳では無い。魔術師として、知ってしまった事に対しその責務を果たそうとしただけだ。


 方角と時刻を即座に導き出し、そこへ向かうために通るであろう魔術アカデミーの裏門のそばで彼女を待つ。と、


「……げ、なんでいるの?」


予想通りに薬術の魔女が現れた。その格好や様子からして山菜か野草でも採りに行きそうだと思ったが、話によると薬草採りらしい。

 少し呆れたが、売り物よりも自分で採りに行きたいとの事だった。

 自ら集める方が質も良いものが集められるとの意見には魔術師の男も同感出来たために、何も言えなかった。


×


「此方へ、来ていただけませんか」


「ん? なに?」


 一旦、裏門から少し離れた人目の少ない場所へ彼女を引き込む。


「袖をまくって下され」


 ふところから筆を抜き出し、彼女に言う。


「袖? なんで?」


と言いつつも彼女は抵抗や難色を見せる事は無く、実にあっさりと素直に腕をまくった。多少の抵抗はあると思っていた為に、その妙に危機感に欠ける行動に内心でやや呆れた。


「少々、失礼致します」


短く断りを入れ、その肌に魔力を含ませた筆を滑らせる。


「ふっ、く、くすぐったいよ」


「静かに。動くと上手く書き込めませぬ」


×


「…………これにてしまいです」


「ってか、これ何?」


 薬術の魔女は今し方、肌の上に書かれた文字に首を傾げた。そうしている内に文字はゆっくりと肌に馴染むように溶けて消える。


「これは『魔獣除けの御呪おまじない』で御座います」


「『おまじない』?」


「左様。貴女はがある様子」


「もしかして『特殊なご趣味』って薬草摘みのこと?」


 不満そうに口を尖らせるが、わざわざ危険な場所に向かい自ら採りに行くなど、正気の沙汰ではない。


「本来ならば、それを止めるべきでしょうが……」


「うん」


 やや口角が下がった。恐らく今まで、沢山の人間に否定や邪魔などをされたのでは、と魔術師の男は予想する。


「どうせ、言っても聞きやしないのでしょう?」


 それに加えて『あまり干渉しない』と契約を結んだ。過剰な干渉はよろしくないだろう。


「うん」


「……はぁ」


「えっ、何そのため息」


「ならば、危険を下げる方が得策でしょう」


「なるほど? 付いてこない感じ?」


「私、本日は唯一の休日で御座います故」


「へー。お疲れ様」


 その妙に他人事のような、(実際ではあるものの)興味の全くない様子に、いささか引っかかりを覚えた。

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