第2話
みんなで放課後に出かけた日から二週間後。
ようやく美野の都合が付いた俺たちは、前々日まで決まらなかった行く先をやっと確定させ。
「なんか、こういうの久し振りだね。六花」
「だなぁ」
志奈と共にその場所へと向かう電車に乗っていた。
「珍しいよね、六花がどこか行こうなんて。普段は男友達としか遊ばないのにさ」
「まぁ、たまにはな。お前らだって友達なんだし」
眠気を思い出させる電車の揺れを感じ、今はまだあまり変わり映えのしない車窓の外を眺めながら中身のない会話を交わす。
分かってる。これはデートじゃない。むしろ、嫌われる最も大きな要因の一つに成り得る行動の途中だ。
それは分かってる。……けど。
ーーデートなら、手、繋いだりするんだよな。
どうしたって甘い幻想を抱いてしまう。
「あ、美野ちゃんと緑君だ」
ゆっくりと停車した車両の扉が開き、幾人かの人が乗り込んでくる。
その中にいるのは美野と緑。本当なら同じ駅で合流するはずの二人だったのだが、美野の充電器を買う都合上、それについて行った緑と共に別の駅から乗車する事になった。
「わりぃな、ちゃんと起きられなくってさ」
「気にしなくていいって。昨日の夜急に言い出したこいつが悪いんだからさ」
「それ、緑が言う事じゃなくない?」
「でも自分じゃ言わないでしょ?」
「……まぁ」
「あはは。それで、目当てのは買えた?」
運よく椅子に横並びに座れた俺たちは先に行動していた二人の話をききながら目的地へと向かって行く。
どういうのを買ったのか、どうして欲しくなったのか……。そんなどうでもいい話だったが、いつも通り言い合う二人を見ているだけで充分楽しかった。
そうして、ようやく景色に変化が訪れたくらいの頃。
「あ、ここだね。降りるとこ」
「結構早かったねー。あそこから一時間くらいかかるのに」
窓の外に目的地である水族館が見えた。
「そろそろ準備するか」
「んだね。みんな忘れ物に気を付けて」
「子供じゃないっての。ねー」
「あはは。充電器、気を付けてね?」
「な、志奈まで」
少しだけ騒がしくなった車内で言葉を交わし、停車に合わせて席を立つ。
多少混んだ出口から遅れることなく降車した俺たちは、乗車中と変わらない会話をしながら駅を出る。
「流石に観光地なだけあって混んでんな」
「ホントだよ。連休中に行くことにならなくてよかったー」
バス停や歩道を見ながら思わずこぼれた感想に続いて降りて来た美野がうんうんと頷く。
彼女の言うように、今週を逃せば次の週末は三連休。そんな時期に観光地の一つとして取り上げられているここに訪れたとしたらどうなるかは想像に難くない。
「幸い水族館には歩きで行けるからな。その移動も気にしなくていいのが強いよな」
「だね~」
歩き出した俺と美野の後ろをついてくる緑と志奈。
二人は辺りを見ながら会話をしつつ、つかず離れずでついて来ている。
「そう言えば、今日はお昼どこにするとか決めてるの?」
「昼?あー、そうだな……」
唐突にーーと言っていいのかは分からないが、それまで静かに隣を歩いていた美野から昼食の場所を問われる。
来て早々食事の話というのもどうかと思わないでもないが、決めておいた方がいいのは確かだ。
せっかく水族館を満喫したというのに昼食の場所を決めていなかったせいで空腹のまま歩くことに……なんてなったとしたらその日一日の楽しさを左右しかねない問題になる。
「……水族館の中にあるレストランってのも悪くないだろうけど、どうせならそれっぽいところで食べてーよな。ネットとかで紹介されてる系のさ」
となれば今のうちに決めておくのがいいだろう。
嬉しいことに言い出してくれたのは美野だ。いくら仲がいいとはいえ、やはり男女で食べたい物の差は出てくる。
彼女の意見を取り入れれば志奈に余計な我慢をさせなくて済むだろうしこうやって決められるのは非常に良い。
「だとしたら魚介系じゃないところで探したいなぁ。だって、ねぇ?魚見た後にっていうのは……」
「はははっ。そりゃ確かにそうだ。おっけー、肉か野菜がメインのとこにしよう」
至極最もな意見に頷き、スマートフォンを開く。
「スイーツ系でもいいよ!!」
「それはどうなんだ……?腹減ってる時に甘い物って気分悪くならないか」
「えー?そうかな??私結構平気だけど?」
近場でいい店がないかを話し合いながら候補を絞り、それらしい店がいくつかピックアップされていく。
その中でも目を引いたのは、水族館から十分も歩かずに行ける蕎麦屋。
ここなら天ぷらくらいにしか魚はないだろうし、普段滅多に食べないのもあっていいかもしれない。
「なぁ美野、こことか……」
「うん?」
言おうとして顔を上げ、見えたのは美野とは別の人の顏。
「おいどうしたんだよ六花。止まってたら危ないだろ?」
「あ、あれ?美野は……?」
以前歩きスマフォで電柱に顔をぶつけて以来、無意識のうちに立ち止まって検索するようになっていた俺は一緒に歩いていた美野に置いて行かれていたようだ。
そのせいで後ろからついて来ていた志奈と緑に出くわしてしまった。
「ちょ、六花ー?どしたのーー」
「あ、わりぃわりぃ。すぐ行く」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
「ふふっ、六花って変ところで真面目だもんね」
十メートルくらい先の所で立っている美野に呼ばれ、二人への返答もそこそこに駆け出す。
……と、同時。
「もー、私一人だけ先に着いちゃったから、はしゃいでるみたいで恥ずかしいんだけど?」
「はは、悪い悪い」
目の前に大きなイルカの石像と、ちらほらと人が入っていく水族館が見えた。
「小学校の遠足以来だけど、やっぱでっけぇなー」
「ねー。なんかこう、ワクワクしちゃうよね」
あの時と同じだけ見上げるほど……ではないにしろ、それでも大きいものは大きい。
期待感というかなんというか、もう既に[来てよかった]と思っている自分がいる。
「懐かしいね、六花。あの時は私たち二人だけで回ったんだっけ」
「そうだっけか。あんまり覚えてねぇや」
少しして隣まで来た志奈に言われ、昔のことを思い出す。
あの頃は確か、……こいつにとって結構辛かった時期だ。
「ひどいなぁ。私結構楽しかったのに」
「へぇ、そうなのか。じゃあまぁ、俺も楽しかったんじゃないか?」
当然忘れているはずがない。
志奈にとって辛い時期ーーそれは俺にとってもいい時期ではない。
「なにそれ?」
「気にすんな」
「おーい、おいていくぞー」
不思議そうに首を傾げる志奈を適当にあしらい水族館へと続く階段を上がり、先に登っていた二人と合流する。
「も~、早く!」
「全く。感慨深いのは俺もなんだから、どうせなら一緒に浸ろうよ」
「え、緑もここに来たことあるのか?」
「まね。ぎりぎり遠足の範囲内だった」
少し怒っている風な美野を他所に緑が言った思ってもいなかった事実に驚いてしまう。
こいつとは高校来からの友人で、それはつまり別々の中学校だったことになる。しかも小学校も別だったので完全に接点がなかった。
だが、遠足の先が同じだったということは距離としてもそれほど遠い場所じゃないのかもしれない。
そうなると、どこかで一度会ったのかもしれない。だとしたらちょっと嬉しいな。
「とは言っても、別に近いわけじゃなかったらしいからなー。何でも、担任の先生がどうにかして水族館を選んだんだとか」
「ふぅん。近くにめぼしい場所なかったのかな?」
「いや、動物園はあったらしいんだけど。まぁ、危ないと思ったのかもね。そうそうないだろうけど、子供が檻の中入るのを心配したとかさ」
「あー、なるほどねー。確かに水族館ならそんな心配殆どしなくていいだろうし。せいぜいイルカショーとかの時くらい?」
……なんていう淡い想いは欲しがり過ぎだったらしい。
緑と美野の会話を聞く限り、実は近隣の学校だった、訳ではなさそうだ。
「まーなんだっていいでしょー!今日は楽しむぞーー!」
どこか相談めいた雰囲気になったのを察したのか、美野はいつもよりも二オクターブくらい高めの声で意気込みを宣言する。
「おーー!」
その熱につられてか、キャラじゃないはずの志奈も右拳を掲げていた。
「はは、女子はテンション高くていいな、みど」
「おーー!!!!」
と考えていたら、緑も結構気合が入っていた。
「お前、変なもんでも食ったのか」
そうそう見られないハイテンション緑に思わずそんなことを言ってしまう。
俺の知る限り、こいつの気分が上がる時はエロ本屋の前を通る時くらいだ。
「たりめぇだろ。すかしてんじゃねーぞ、六花ぁ?」
「肩を組むな肩を。後キャラ」
「お前も変わってみろよー。けっこういいぞー」
実は簡単にご機嫌になるのに気が付き衝撃が薄れているところで首元に絡まってくるバカの腕。
何を考えているのか俺にも同じノリをしてほしいらしい。
「いーじゃん六花。せっかく来たんだし楽しもーよ。ねぇ志奈?」
「うん!みんなで遊ぶのも久しぶりだし、いいと思う!」
困った事に他の二人も同じ気持ちのようだ。
みんなの言うように懐かしい水族館に久しぶりに四人で遊びに出かけているのだ。そうしたい気持ちも分からないでもない。
……しかし。
「とは言え公共施設だからな。騒がしくしたらダメだ。俺らだけ楽しめても意味ないだろ」
「うっ…そ、それは」
俺らみたいなのが騒いだら煩いのは分かり切ってる。タイミングが良かったとはいえ他の客だっている。その人たちに迷惑をかけるのは絶対に避けなければならない。
「つーことで、ほどほどにな。特に緑と美野。急に走り出したりすんなよ」
「「……はーい」」
冗談に対してしおらしく返事を返す二人。
流石にその歳でやるとは思えないが、この反応から見るにやってもおかしくない気分でいたのかもしれない。
「さてと、じゃあ行く……」
念のためにと思って刺した釘。
の、はずだったのだが、思いの外しっかり効いてしまったらしく、名指しにした緑と美野はあからさまに落ち込んでしまっていた。
だからかもしれない。
「……六花」
久しぶりに志奈に粘着質のある目で睨まれたのは。
「いやでも、なぁ?」
「みんな節度くらい分かるんだからわざわざ言わなくてもいいでしょ」
「…………まぁ」
当然の言葉に何も言えなくなってしまう。
そりゃあそうだ。いくら遠足の日を思い出したからって引率の先生をやる必要はない。
だとしても、一人くらい冷静な奴がいなければ駄目なんだとも思う自分がいる。
「…悪い。どうも苦手なんだ、手放しに楽しむの」
……いや、言い訳だ。
別に誰かが迷惑かけそうになったとしても、その時だけ注意すればいいだけで、始まる前から落ち込ませるのは多分正しくない。
少なくとも、信頼している緑と美野に言う必要はないだろう。
「知ってる。何だかんだ真面目だもんね、六花は」
「お前に言われると効くよ」
「ふふ。幼馴染だしね、六花の癖くらい知ってるから」
小さく笑い、志奈は俺の背を軽く叩く。
………分かってるけど、ちょっとだけ恥ずかしいな。
「……土産屋には長く寄るから、そんなに落ち込むなよ」
その結果出てきた言葉がこれだ。
こんなので二人の気分が戻るわけがない。もっとこう、気の利いたことを…
「マジ!?んだよ、そっちが気になってたなら先に言えっての!」
「…だね!ぬいぐるみとか買っちゃわないように気を付けないと」
……いや、杞憂だったらしい。
「今のうち確認しに行くか!?」
土産屋の一言で二人はさっきまでの勢い一瞬で取り戻した。
「あははっ、それは後のお楽しみにしておこう?」
「うーーん……。まぁその方がいいかも。メインになりかねないし」
「いやいや、流石にそれは言い過ぎでしょ」
ついさっきまでの沈んだ雰囲気が嘘のように明るくなる。
「まーなんにしても、そろそろいこー!」
「……だな」
歩き出した緑に続き水族館の中へと向かう俺たち。
……ホント、いい奴だよ、お前は。
ーーーー
幻想的ーーなんて言葉がある。
現実からはかけ離れた空想の世界にいるようだ、という意味らしいが、俺は今、まさにそれを体験している
「……綺麗だね、六花」
「ああ。はしゃぎたくなるのも分かるよ」
右も左も、見上げた先も。
まるで海の中にいるかのように魚が泳いでいる。
群れを形成して泳ぐ小魚がいれば、悠々と上空を跨いで行くサメやマンタもいる。
下から魚を覗くのは初めての経験だが、白いお腹を見るのも中々どうして悪くない。
「全天周囲型水槽……ってパンフにはあるね」
「パノラマみたいだぁ。すげーー」
「ちょっと舐めてたよ。こんなに綺麗なら何時間だって見てられる」
ただの週末とは言え相応のお客のいる中、幾度となく感嘆の言葉が口を吐いていく。
それだけこの空間は美しさに溢れてる。
本当なら何の感慨も湧かないはずの岩や海藻。それにさえ美々しさを見出せてしまえるのだから驚きだ。
「お、今のUターン凄いな」
「ね!ビックリするくらい綺麗だった!」
なのだから、メインの魚達に何も感じないはずがない。
人で言えばちょっと振り向いたくらいの意味しかないだろう動作であっても、眩い何かを感じる。
「歩きながら見れるってのもいーよね!なんて言うかさ、魚と一緒に散歩してるみたいな感じがあって!!」
「だな。他の水槽と違って区間が変わる壁とかもないし、ずっと浸ってられる」
「そーそー!」
少し後ろを歩いていた美野が水槽を見上げながら傍へと駈け寄ってくる。
「それにほら、この水槽だけでもこんなに沢山の種類の魚がいるんだってさ!大きいのが小さいの食べたりしないのかな」
そうして手にしているパンフを広げながら質問をしてきた。
言われてみると不思議だ。サメは小魚を食べたりしないんだろうか?
「それなら大丈夫らしいよ。基本的に魚たちは腹減ってないから共食い?とかはしないし、そもそも捕食対象になる種類同士を同じ水槽に入れないんだって。たまーに食われちゃう時もあるらしいけど、それは弱ってる奴限定だからそうそうないんじゃないかな?」
降って沸いた疑問に、いつの間にか近くにいた緑が答える。
「へぇー、緑君物知りだね」
傍で話を聞いていた志奈も驚き気味に頷く。
「ま、昨日そんな番組やってたの見たから知ってるだけなんだけど」
「そんな事だろうと思ったよ」
「へへ、もっと褒めてくれて良いよ」
「勉強してたわけじゃないからダメー」
緑が知っていたのはテレビの影響だったらしい。
恐らくはクイズか訪問系の番組なのだろうが、随分タイミングがいい。俺も見ればよかったな。
「さて、それじゃあそろそろ次に行こうか」
「だな。もう少し見たいが、どうせなら全部見て回りたい」
見上げている水槽への衝撃もそこそこに次への移動を提案する緑と俺。
この区間の魚達の見応えは本当に凄い。気を抜けば閉館までいられるくらいに感動的だ。
だが、ここには他にも後五つほど目玉として取り上げられているゾーンがある。この場所で一日を終えるのも悪くは無いと思うが、頻繁に来れるわけでもない。出来れば全部を見て回っておきたい。
「そうだね。私もクラゲとか見たいし、移動しよっか」
提案に対して少しだけ名残惜しそうに亀を見上げていた志奈が頷きこちらに振り向く。
「クラゲか。それならここから繋がってるから一直線に行けたはずだな」
パンフレットで道順を見せつつ志奈の目当ての場所を指さして方向を示す。
志奈の見たいといった場所、それが後五つある目玉の内の一つ・クラゲゾーン。
二十にも連なる水槽が空間を埋め、その中で揺蕩うクラゲたち……。
子供の頃にこれを見て、言いようのないワクワク感を感じたのを今でも覚えている。
「お、いいなークラゲ!なんかかわいいよな」
「緑君にも分かる?いいよねー。なんて言うのかな、マスコットみたいな可愛さがあるよね!」
徐々に高まっていくクラゲ熱に当てられて、俺の気持ちも全天周囲の水槽から少しずつ離れていく。
「美野もいいか?」
移動の確認のため近くで魚ーー多分サメ?を眺めている美野にも確認してみる。
どこか、当然のように頷くと思っていたため、いつでも移動できる準備をしての問いだ。
「………んー、出来ればもうちょい見たいかな」
だが、予想外にも彼女はここをまだ見たがっていた。
「そっか、ならどうしよう?」
「それなら一回二手に分かれるのもありなんじゃない?固まって動く必要は言うほどないしさ」
雰囲気だけで言えば移動する流れだった中で起こった意見の相違。
しかし、緑の言うように分かれて移動すれば大丈夫だろう。
問題は、何人で分かれて動くかだが……。
「なら俺が美野といるよ。もう少し見たかったしな」
三対一で分かれるのは少し寂しい。クラゲが見たいのも勿論あるが、ここに未練があるのも事実。
志奈と緑、俺と美野で別れて行動すれば不満は起きないだろう。
「ホントにいいの、六花?私、結構ここ気に入ってるけど……」
「勿論。俺もずっと見ていたいって思ってたしな。全然平気だ。ってことで、二人は二人で行ってきてくれ」
申し訳なさそうにこちらを見る美野に問題ないと告げ、隣の志奈と少し離れている緑に顔を向ける。
「うん、わかった。美野ちゃん、六花のことよろしくね」
「なら合流したくなったらメッセージくれ。どっかで待ち合わせようぜ」
「おう」
思った通りスムーズに話がまとまり、二手に分かれる準備が整っていく。
その中で、美野は合掌を交えて二人に軽く頭を下げる。
「ごめんね、二人とも。わがまま言って」
「平気だよー。ここ、すっごく綺麗だもん。私もクラゲがなかったらずっといたかもしれないし!」
「だね。ゆっくり見てていいから、気が向いたら連絡ちょうだい」
「……ん、分かった。ありがと」
二人の言葉に頷き礼を口にする美野。
「じゃ、また後でなー」
その後、緑の一言で俺達は別行動を開始した。
「ありがとね、付き合ってもらって」
「気にすんな。本当に見たかっただけだから」
改めて水槽の前に立ち、再び幻想的な世界に思いを馳せる。
ライトに照らされ、濃くも薄くも見える空色の中を泳ぐ何百もの魚達。
水面の光を背中に浴びているサメや亀はどこかからの使いにも見えて、古い童話の題材に海の中が扱われている理由がなんとなく分かってくる。
みんな、この中に人と同じ世界を見たんだろう。そう思うと親近感が湧くから不思議だ。
……もしかしたらこの中で恋愛が行われてるかもしれないんだよな。水族館の水槽の中でも子供が生まれたりするんだろうか?
後で緑にでも……
「ねぇ、六花」
「え?」
美しさのあまり自分の世界に浸っていた俺は、隣に美野がいたことも忘れて妄想に熱中していた。
「ちょっと、座らない?」
「え?あ、ああ。いいぞ」
急な呼びかけに驚いたが、彼女が苛立っている様子はない。
一度目の呼びかけで返事が出来たんだろう。何度も呼び掛けさせずに済んでよかった。この前志奈にやってしまったから、二度目の失敗にならずに済んだ。
「楽しいね、水族館」
「だな。こんなに面白い場所だとは思ってなかった。これなら定期的に来ていいかもな」
「分かる~。デートスポットになるのも納得だよね!また来たいなぁ」
「勿論。またみんなで来よう。その時は別の楽しみが見つかるかもしれないし、今から楽しみだ」
区間内の中央に置かれていた背もたれのないソファに腰を下ろしてちょっとした感想を口にする俺たち。
美野の言う通り、ここはデートにかなり向いてる場所だ。
さっき緑が答えてくれた事や、俺が抱いた疑問があるおかげで話題には事欠かないだろうし、話に困っても他のゾーンに移動すれば意味のある沈黙や新しい話題が浮かぶだろう。
それに、この後行く土産屋でおそろいのキーホルダーでも買えば記念になるに違いない。
CMやドラマにマンガ、テレビ番組でピックアップされるだけの事はある。
これだと、同じくらいの頻度で紹介されている遊園地も案外悪くないのかもしれない。
「……うん、今度は一緒に遊園地にでも行ってみるか。混雑する時期さえ避けられれば結構楽しめるかもな」
そんな気持ちが表に出てしまったみたいで、言うつもりはなかったのについ口に出してしまった。
「……それ、ホント?」
「え?」
「それ、本当に言ってくれてるの?」
特に意味のない雑談……その一つになると思っていた今の発言に、けれど美野はこちらを向きながら妙な反応を示す。
何か不安がっているような、言いたいことがあるような……、そんなふわついた感じだ。
「……もう全然行ってなかったから、悪く、ないかも」
「そうなのか?まぁ、そうそう行くところでもないもんな。高学生にでもなったらせいぜい恋人とくらいしか……」
けれど、彼女は怒る様子もなく提案に頷いてくれた。
…ところで、気が付く。
話の流れとして、今の発言はデートの誘いにも聞こえてしまうのではないか?と。
………うん?デートの誘い……???
「あ、あの、美野……?」
「ん?どしたの?」
やはり、別段嫌がる様子もなく返事を返す美野。
だがしかし、さっきの俺の発言は間違いなく問題だ。
「わ、悪い。今のはなんつーかその、[みんなで]って意味でだ。気持ち悪く聞こえてたらすまん。他意はない」
誤解をしているのかどうかは分からない。しかし、念のために訂正しておかないといけないだろう。
嫌がっても気味悪がってもいなさそうではあるがそれはそれだ。
単なる友達にいきなりデートともとれる誘いをされたら少なからず嫌な気持ちになるかもしれない。だとすればさっきの発言はアウト。正しく言い直した方がいい。
気にし過ぎだとは思うが、かと言って気が付いたなら訂正はした方がいいはずだ。
「その上でどうだ?また今度も、四人で一緒に出掛けたりとか」
もしかしたら今の発言の方が気味が悪いかもしれないと思いながらの二度目の提案。
出来れば変に思わないで欲しいと思いながら美野の返事を待つ。
「………それは」
「?」
……俺が言い直した後から、だっただろうか。
美野は表情を変えないまま少しずつ俯き、静かに、なってしまっていた。
「……美野?」
一言だけ、ささやくように溢した彼女は何も話さず俯いたままでいる。
覗き見る事のできる横顔には怒りや苛立ち、嫌悪は幸いにも見えない。
だが、
「美…」
「だね、四人で色々乗って周ろっか」
呼びかけようとした瞬間、美野はいつも通りの明るさを取り戻して口を開いた。
「ってなると、やっぱりジェットコースターかな?それともゴーカートとか?ペアになってお化け屋敷とかも楽しそう!」
さっきまでの沈黙が嘘のように話し出した美野は幾つもの候補を上げていく。
指を一つずつ折りながら提案していく笑顔の彼女は、だが、途中で手を下ろしてこちらを向いた。
「……後は、できれば一緒に、観覧車とか乗りたい、かな」
「…美野」
小首を傾げて微笑んだ彼女はそう、言葉にして。
「美野、あの…」
「そろそろ行こっか!私もクラゲ見たくなってきたし」
名前を呼んだ途端、美野は椅子から立ち上がって隣のゾーンへと歩き出してしまう。
……本当は呼び止めて真意を確かめた方がいいんだろう。
けれど……
(なんで、泣いてたんだ)
仄かに水槽を照らすライトに消え入るように反射していた涙を見た俺は、何も言葉が出てこなかった。
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あの日、俺達は土産屋にも食事ができる所にも寄らずに帰った。
理由は、緑の急な体調不良が原因だった。
『わり、今日はこの辺で解散にしよう』
滅多に身体を壊さないはずのあいつが起こした急な腹痛は、ほんの少し前にあった美野とのやり取りが尾を引いていたせいで妙に勘繰ってしまった。
だが真実を聞けるはずもない。結局は流れるように解散になった。
(……どういう意味だったんだろう)
授業と授業の間にある十分の休憩時間が始まり、あの日からずっと考えていた事を再び思い出す。
一日経った今でも明確な答えは思い浮かばない。
……或いは、泣いていなかったんじゃないか?とも考えたが。
(流石に最低だよな、それは)
いくらなんでもあり得なかった。
薄暗い部屋で、近くにはどこからか光が照らされている水槽があった。
そんな中で見た美野の頬を伝った軌跡。……決して水槽の水が顔に映っていたわけじゃない。
「よう、どうした六花」
「……緑か。お疲れ。どうした?」
いつの間にか見上げていた天井が親友の顏に変わる。
こんな時にこそうってつけの相談相手だが、今回はそうもいかない。
……何故って、こいつは。
「な、昼か放課後、時間ある?」
「……どっちも暇だけど、どうした?」
こいつが俺の席に来たのはいつも通りの昼食の誘い、ではないらしい。
「ま、ちょっと」
緑は、理由を答えはしなかった。
「んじゃあどっちも空けといてくれよなー」
「おう、分かった」
ただそれだけを言い残して緑は俺の元を離れていく。
理由は分からない。
けど、いつもなら気にするはずもない心音が異様に響いて聞こえているせいで不安は募っていった。
ーーーー
「んで、どうした?」
昼休みになり、スマフォに送られてきたメッセージを頼りに向かった先は屋上の外へと続く扉の前。
滅多に人の来ないここは学年問わず密会するのにうってつけだと思われている場所の一つだ。
……てことはつまり。
「そんなに、重要な話なのか」
少なくとも、誰にも聞かれたくない話をするつもりなんだろう。
「まーな。けど、とりあえず飯食おうぜ。いきなり本題ってのは節操がないしさ」
「わかった。お前がそれでいいなら」
「おう、まぁ座って座って」
そう言いながら緑は自分の隣の床を叩き、階段の頂上に腰を下ろすよう促してくる。
「お、今日はコンビニのパンか。しかもCMでやってたやつ!一口欲しい!」
「いいぞ。代わりにお前の弁当のおかずも一個くれよ?」
いつもとは違う場所で、いつもと同じような会話が始まる。
「美味いねこのパン。いくら?」
「あー、120円?だったかな。ちゃんとは覚えてねーや」
「でもま、そんなもんか。言ってもコッペパンの系の期間限定のだし。後で買お」
一口大くらいでちぎり分けたパンを口に入れ、僅かに緑は目を見開く。
味は栗。
秋の味覚と言えば間違いなく名が挙がる食材をふんだんに使ったこのパンを緑は気に入ったらしく、美味そうに食っている。
「じゃあ俺にも一口」
「え?ヤだけど」
「なっ」
その流れのまま約束通りにおかずを一つ貰おうとすると弁当を遠ざけて抵抗する緑。
約束が違うだろ、と言いそうになると、緑はこちらを向いて見下し。
「残念ながらあげるとは言ってないんだよなぁ」
「お、おま……!」
「勿論、交換するとも言ってませーん」
「………コイツ」
言われてみれば確かにと納得しかけてしまいそうになり、しかし、大きくため息をついて一度考えをリセットしてみる。
「あのなぁ、子供じゃないんだからさ」
コイツの言う通り明確な約束はしてない。けど、交換条件を持ち出した後にこのバカはパンを受け取っている。それは所謂、取引成立の合図であり……
「でも約束してないんで!」
「このボケが!!」
俺が受け取る権利を得たに違いない一連の流れに決まってるがこのボケナスは分かりやすーく人を煽る動きをして決しておかずを渡そうとはしなかった。
「おー?なんだぁ、そんなに食いたいのかぁ?んんん???」
「こ、このスカタン野郎は………!!」
色々考えはしたが正直そこまで欲しいわけでもなかった弁当のおかず。
だが、これだけ煽り倒されたら意地でも食いたくなるのが自然の摂理。
「上等だこのやろ!」
持っていたパンを袋に戻して奪い取る体勢に入った。
……が。
「…やっぱやるよ」
意気込み虚しく弁当を差し出された。
「あ、いや、別にそこまでじゃ……」
緑の態度に昇っていた血も引いていき、冷静さが取り戻されていく。
そこで、思い出した。
「………で、呼び出した理由なんだけどさ」
「…おう」
今日ここに来たのは大事な話をーーそれも、誰にも聞かせたくない話を俺にするためだったんだと。
「昨日、水族館でさ、美野と二人になっただろ」
「ああ。なった」
大きく落ちた声色で俺を問う緑の目は見えない。
弁当を持ち上げる手は戻しても、その顔は未だそっぽを向いたまま。表情さえ窺えない。
「……なんで、泣かせたんだよ」
そうしてやっと見えたのは、俺を否定するでも怒りを覚えているでもない、真っ直ぐな視線だった。
「………悪かった。けど、本当に心当たりはないんだ」
嘘も偽りもない本心を告げる。
誇張さえしていない俺の返答は、だが緑にしてみれば酷いノイズと大差がない。
「バカ言うな。泣かせたお前が知らないはずないだろ」
「本当に分からないんだ。確かにおかしなことを言って、言い直したりはしたけど、それだけなんだよ」
「だったら!」
勢いに任せて立ち上がり、けれど緑はすぐに座り直す。
「……だったら、おかしいじゃねーかよ。お前と二人になったのに泣くか?泣かねーだろ……!」
「いや、けど……!」
俯いたままの緑。
今度こそ覗き見る事の出来た彼の顏は、
「けどもなにもあるかよ!川爽と同じくらい美野とも一緒にいるのに、[二人で出かける]事に不満なんか持たないだろ!!」
「………お前」
「第一、お前が川爽を好きになってんだろ!?同じことが周りで起きるとか思わないのかよ……!!」
握っていた拳を大きく振り払い緑は強い怒声を上げる。
それでも大声を上げていないのは下の階の奴らに会話を聞かれないようにするためか、それとも。
「緑、その、俺……」
「言っとくが、絶対に謝るんじゃねぇぞ。もし謝ってみろ。二度とお前とは話さねぇからな」
「…………分かった」
「なら、いい」
俺に向いていた顔を逸らし、持っていた弁当を手にする緑。
その後、立ち上がった彼は傍に置いてあった荷物を手早くまとめて階段を降り始める。
「………もう一つ言っとくぞ、六花」
階段を下り、一つ目の踊り場で止まった緑は振り向かずに俺の名を呼ぶ。
「これは誰が悪いわけじゃねぇんだ。気ぃ遣った言葉で……はぐらかすんじゃねぇぞ、絶対にな」
「…ああ」
そう、言い残し、緑は踊り場から消えた。
「………そりゃ、そうかも知んねーけどよ……」
ただ一人、残った俺は食べかけていたパンを手に取る。
食べる気なんて起きるはずがない。
「お前らからしたら悪者じゃねーかよ……」
結局、手にしていたパンはコンビニ袋に締まって、予鈴が鳴るまで座り続けた。
ーーーー
「よ、お疲れさま!」
「ああ、お疲れ」
放課後の帰り道。
何も言わずに先に帰った緑と、また手伝いに奔走している志奈。
「なんて言うか、初めてじゃない?二人で帰るのさ」
「かもな、新鮮だ」
その二人がいない帰り道は、隣にいる美野の言うように初めてで。
「…このままどっか行ってみたりしちゃう!?」
「それは、どうだろう」
何も、言葉が出てこなかった。
「……なんか今日、眩しいね、夕陽」
「……そうだな」
話しかけられたらそれっぽく返すだけの、……なんの中身もない言葉。
一緒に帰るのを誘ったのは俺で、この前の事があったのに美野はついて来てくれて。
なのに俺は、言わなきゃならない事すら口にできなくて。
眩しいかどうかも分からない夕陽を見上げる俺は、本当に情けない。
あの日の美野の態度、さっきの緑の言葉、それに、俺が今日までの中で志奈に抱いた感情。
これだけの事が分かれば誰にだって分かる。この上で否定するのはいくら何でも無理がある。
そんなのは、分かってるんだ。
……それでも、美野は。
「……ちょっと、いい?六花」
「…ん」
そう呼びかけると、美野は俺の前で立ち止まる。
「これからさ、ちょーっとだけポエミーな事言うけど、バカにしないで聞いてくれる?」
「…………?」
逆光で強く影が覆いかぶさっている美野に不思議な事を問われて思わず首を傾げる。
「聞いてくれるか聞いてるんだけど?」
「あ、ああ。勿論。よっぽどじゃなければ、多分」
「はー?ひっどいのーー!」
思わず出た本音に美野は笑って答える。
……それから。
「でも、もしかしたら笑ってもらえた方がいいかもね」
小さくはにかんで、話、出した。
「それはね、太陽を見上げた子供の話なの」
to be next story.
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