だからこんな場所には来たくなかった


中に入ると、いくつかの視線が体を刺したような気がした。

懐中電灯を怪しい場所に向けてみると、何か白いような、青いようなものが

照らされた。その瞬間、それは煙か幻のように消えて行く。


「……曰くはガチかよ」


俺は溜息を吐いた。

だからなんだって話だが、俺は何もされなくとも、幽霊なんぞ見たくないのだ。

テレビで心霊特集とかされてたら秒で消すくらいには見たくない。


それよりも館内見取り図はどこだ。

俺は辺りを見渡した。


コンクリート造りの外観と同じく、中も灰色の柱がいくつか立っており、

玄関は広かった。俺の物音が高い天井に寄せられて、反響していく。

埃臭い匂いがした。


館内見取り図はすぐに見つかった。

懐中電灯で照らしながら、目当ての場所の第一会場の表記を探す。

さっさと帰りたいんだよ俺は。


「えーっと…どこだ」


その時、肩を叩かれた。

唐突なことに俺はビクリと震えると、弾かれたように背後を振り返る。


そこにはスーツを着た中年が笑顔で立っていた。

胸には支配人のプレートを付けており、こちらが固まっているのを構わず、

向こうの景色を透けさせながら、礼儀良く一礼をする。


あぁ、こいつが例の支配人か。


どうやら霊化していたらしい。

ここに幽霊が多いのはこいつのせいだろう。


「なんか用かよ」


悪いタイプの幽霊ではなさそうだった。

てかそれなら気配で気付くし、俺に触れた途端に大体の悪霊は弾ける。

この手合いは怨みで霊化するのではなく、場に執着しているのだ。


なんでこんなに冷静なのかって、こういった場所は昔

父親と何度か訪れているから、嫌でも慣れるしかなかったのだ。

俺にとっては思い出したくもない記憶だが。



その男はどこかを指差すと、そのまま歩き出した。

数歩進んでからこちらを確認するように振り返る。


なんだついて来いってことか?


俺は館内見取り図を見直して、第一会場の場所を把握すると、

男について行くかどうか一瞬考える。


「……まぁ、いいか」


面倒だが、ついて行かなかった時に何か起こる方が厄介だ。

俺は仕方なくついて行くことにした。

どうせ暇ではあるしな。


数歩分の距離を置いて、男の背後を歩いていく。

きっちりと伸びた背筋は、生前の仕事振りが窺えそうなほど、綺麗なものだった。


鉄扉をすり抜け、奥に消えて行った男を追いかけるために、

軋む扉を開けると非常階段のようなものが上へと続いていた。


見れば男も滑るように上へと進んでいる。

その背後を追いかけ、階段を上っていくと、踊り場から直ぐに次の鉄扉へと姿を消す。

扉を開くと、その先は広い廊下が続いていた。


男の足音はせず、俺の足音だけが虚しく存在の証明をしていく。

男はこの世ならざる存在なのだ。現世に残せるものなどあるわけがなかった。

そんなの俺には関係ないが。腹減ったな、今日は昨日のカレーでも食うか。


そんなことを考えていると、男が立ち止まった。

両扉に閉ざされたその場所の横にはプレートが掛っており、

そこには第一会場の文字があった。

なんだ、案内でもしてくれたのか?


「えーっと、ありがとな」


男は、深く一礼するとどこかへと消えていった。

まぁ、面倒が少なくて済んだことはありがたい。


俺は軽い気持ちで扉に手をかけた、が。


「……なんだ、嫌な予感がする」


前触れもなく、俺の中に危険信号が灯った。

昔から嫌な予感ばかり当たってきた、過去の記憶が蘇る。

なんなんだ急に、別にどこも危なくない、普通の心霊スポットだってのに。


いやそれは普通じゃなかったわ。


こういった、曰くがある場所には幽霊が集まる。

しかし、それも場の雰囲気に引っ張られてのものなので、

強力な悪霊なんかはそれに相応しい場所にしか存在しない…筈。


「よし、まずは確認をしよう、ヤバそうだったら帰るぞ、うん」


こっそりと、扉を押して開ける。

勿論、懐中電灯の明かりを消してからだ。


中は妙に明るかった。

どうやら、月明かりが窓から差し込んでいるらしい。


昔は何かのパーティーだとかを開いていたのだろう、

ぽっかりと、何もない場所は見ていて寂しさを覚える。

そこには只々、広い空間が広がっていただけだった。


なんだ、何もないじゃないか。


俺がそう、安堵の息を吐いた瞬間だ。


中央奥にちょっとしたステージが見えた。

その上、そこには俺の教科書があるのだろう。


だが、もはやそんなことはどうでも良かった。

俺の心臓の鼓動が速くなっていき、息も自覚出来るほど乱れていく。


「おいおいおい……なんだよあれ」




月明かりに照らされたせいか、青い輪郭を朧げに浮かび上がらせたそれは、

一本の刀を光に照らし、胡座をかいた状態で微動だにもしていなかった。


赤い肩当てが、鈍く光を反射する。

長い髪は、男か、女かも定かではなかった。


その人物は遠目に溜息を吐いたような仕草を見せると、刀を鞘に戻して月を見上げていた。

納刀の音がここまで聞こえてきたような気がする。

まるで戦場の武士がそのまま現れたかのような存在感。


俺は、無意識に扉を無音で閉めてから激しく呼吸をした。


「なんだあれ、なんだあれ、なんであんなのがいるんだよ」


早口の小声で呟いた。


存在感というのは、幽霊の場合イコールで想いの強さだ。

だから、大概の幽霊は透けているか、なんなら殆ど見えないかのどちらかだが、

想い…この場合は祟りだが、悪霊などの強い怨みを持ったような存在は

一般の人間にも影響を及ぼすほどの存在感と、明確な姿を持っている。


それに照らし合わせれば、あの…幽霊なんだろうが、自信が持てないほどの

存在感を持っている幽霊は余程の想い、もしくは祟りがあるわけで…


いや、姿からして悪霊っぽくはなかったが、どちらにせよやばいことには変わりない。

俺は落ち着くために深呼吸をしてから、もう一度確認のために僅かに扉を開いた。





やっぱりいる。


今度は正座をしていたその武士?の幽霊は、これから神聖な何かでも行うかのように

厳かな空気で瞑目していた。


…悪霊などではなさそうだが、関わる必要もないし、まっぴらごめんだった。

教科書と携帯は諦めよう。


そんな思いで扉を閉めようとした時だった。


ステージの裾から何かが出てくる。

それは先程、邂逅した支配人の霊だった。


なんだ、何をするつもりだ。


男の霊は、ゆっくりと舞台中央にて正座をする、武士の霊に近づいて行く。

そして、何かしら耳打ちをするような仕草をした。

その瞬間、武士の目が開かれた…ような気がする。



顔もよく見えず、はっきりとはしないが、確実にこちらを見た。


冷や汗が額に浮かんだ。



目が合う。



さながら、メデューサに睨まれた人間のような気分だった。

一回分のはずの鼓動が引き伸ばされて、息が詰まる。

武士に耳打ちした男は、微笑んでいた。


怖いくらい冷静になった頭の中で考える。


そりゃそうか、俺の目的地なんて言っていないのに、ここに連れてきたのは

あの武士に俺の存在を伝える為で、別に俺の為ではなかったわけですね。

大変有り難うございました、そして!


「さようなら!!!」


全力で駆け出す。

チーターにでもなった気分だ。

もっとも、獲物を狩るから走るのではなく、狩られないために走っているので、

どちらかと言えば兎の方が正しい。


脱兎の如く。


恐らく俺の人生の中でも、最高速の反応で階段がある扉まで駆けたのだが、

壁から、風のように何かが現れた。

あぁ、壁、すり抜けられますよねそりゃ。


背後を見れば、あの支配人の男が、笑顔で後ろ手に腕を組んで佇んでいる。

お前はなんなん、ぶっ飛ばすぞ。


その笑顔に殺意が湧く。

裏切られたような気がする分尚更だ。



逃走のために男の霊に向かって、走り出した途端だ。


「止めよ、斬るぞ」


背後から首元に鈍色に光る波紋が添えられていた。

ちょっと、横にスライドさせれば、

俺の首は切れ味を試されるトマトみたいに宙を舞うだろう。


誤解を生まないように震える手で両手を上げる。


つまるところ。


「降参です」


だから殺さないでください。

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