第78話【ん! …………んん!】
やはり今年の梅雨は少しばかり訪れが早いのだろう。
講義室の窓越しから見える外の景色は朝とは一変。空を埋め尽くす鉛色の空によって明度が落とされ、雨が降りしきる。
げ……降ってきやがった。
そんな誰ともしない声が講義中にも関わらず漏らされる。
誰か知らんがわかるぞ。俺もここ最近は思わぬ雨に出くわすことが多かったからな。
しかし……だ。
キーンコーンカーンコーン――――。
終業のベルによって俺の思考は断ち切られた。
教壇に立つ講師の挨拶すら待たずに、それまで私語を慎んでいた学生たちがそれまで溜めていた分を取り戻さんばかりの勢いで活気を取り戻す。先生まだ何か話したそうな顔してるぞー。あ、諦めて
「これちょっと雨ヤバくね?」
と、後ろの席に座る名も知らぬ学生の声を拾い、先刻までの思考が再び動き出した。
会話に入るつもりはないが、もう少しだけ耳を澄ませてみよう。
「俺まだ講義あるけど、さすがにこれ以上きつくなったりしないよな?」
「しんねーよ。逆に俺は今帰るか、治まるか迷ってるんだから」
「なら俺の講義終わるまで待ってくれよ。濡れるなら1人より仲間がいた方が良い!」
「やだよ! どうせ濡れるなら女とくんずほぐれつで濡れたい」
仲の良いことで……。
話がゲス方面へと傾きだしところを機に、俺は席を立った。今日の講義はこれでお終い。たしか卯月は次の講義から大学に来るらしいので、偶には1人で帰るとしよう。
おっと、俺としたことが。つい持ち物を落としてしまった。
「うわっ、前の人傘持ってるぞ。用意良いなぁ……」
背後から聞こえる、さきほどゲスい話をしていた男の声。背後から送られる羨望の視線を感じる。いや、そう思ってるだけだが。
「…………ふっ」
いかんいかん。
思わず笑いが溢れてしまいそうになってしまった。
用意周到な天沢桃真は愛用の傘を拾ってクールに去るぜ。
**********
「あめ、あめ、降れ降れ母さんがー……」
平日の昼間っから大学生……見た目だけで言えば成人男性が1人傘をさしながら童謡を歌っている。
うん……我がことながら結構なホラーかもしれない。
「やっぱビジュアルとかキャラって大切なんだろうな」
スン……と、急激にテンションが落ち着き、さっきまで小さく動かしていた口を完全に閉口。
料理している時の卯月の癖が移ったのか、思わず口ずさんでしまったが俺の性には合わん。
けどそんな俺でも思わず真似してしまうほど、
レパートリーが主にSNSのショート動画で
大学から家までの帰路が折り返しに差し掛かった頃。辺りの景色も様変わりを始めた。
よっぽどの都会でない限り、大学や高校は比較的標高の高い立地に構えられる。
理由はシンプルかつ真っ当で――――面積だ。
今でこそ大学や専門学校までの進学率も上昇傾向にあるが、一昔前までは高校ですら限られた者しか通えなかったという。戦後の初頭レベルでの話で、歴史の授業で習ったくらいだから実感はないけど……
閑話休題。
義務教育外の高校から上の教育機関は必ずしも進学する必要はない一方で、1校辺りで受け入れる学生数は少なくない。大学ともなれば1学年でも数百人は当たり前。
よって民家の少なく土地が有り余ってる山や丘の中腹なんかに建てられたりすることが多いらしい。高校では正門から校舎までに無駄な急斜面を上らされたのは良い思い出……ではないな。
ウチの大学もその類で低めの丘にキャンパスを構えており、スクールバスが行き来するため道自体は整備されているものの、周辺は大して何もない。
逆に俺や卯月が部屋を借りている学生マンション付近となると完全な住宅街。ちょっとしたスーパーや飲食店などが立ち並ぶのは、丁度この中間ゾーンくらいということだ。
偶には買い食いでもするかな。
いくら傘を持ってきて正解だったと上機嫌でも、雨が憂鬱な想いにさせるのは変わりない。ちょっとした贅沢でもして幸福度の採算を合わせてもバチはあたらんだろう。
「ハンバーガー、フライドチキン、デザート系……コンビニホットスナックも捨てがたい……」
街道に立ち並ぶ店を物色するうちに、歩は自然とゆっくりになっていく。
徐々に足元を湿らせる雨なんか既に認識の外。チートデイを迎えたダイエッターよろしく、俺の関心はただただ食物へと誘われ、視線を遊ばせる。
「……………………あ」
はずだった。
間の抜けた声と共に、俺の足は急遽動きを止める。
視線の先にあるのはカフェ。つい先日……
ここのコーヒーとソフトクリーム乗せデニッシュが恋しくなった……わけではない。
俺の目が奪われたのは店の中ではなく外。
明らかに“順番待ちではなさそうな知人”を発見したからだ。
声をかけるか否か。
僅かな逡巡の後、俺は前者を選択し進行方向を変更する。
「昼飯ここで食べてたのか?」
「あ、センパイ!」
店の入り口。申し訳程度に付けられた屋根の下で、ボーっと空を見上げていた亜麻色の髪の後輩……卯月に声をかける。
「はい、この前来た時に気になったメニューがあったので。センパイはお帰りですか?」
「ああ。この雨じゃ部室にいても誰も来なさそうだからな」
適当に挨拶をしながらも俺は卯月の頭の先から足までを満遍なく観察していく。
ばっちりと編み込みを決めた髪型に、過度に着飾らず、されど質素には見えないファッション。よく卯月が大学で持ち歩いているショルダーバッグ。
ザ・大学生然とした格好の後輩だが、ただ1つ。足りないモノがあった。
「卯月……傘どうした?」
「————」
ピキッ、と愛らしい子犬を彷彿とさせる笑顔が凍る。
あー……やっぱりか。
「実はお昼食べている間に急に降ってきちゃいまして……」
「ここで雨宿りしてた、と」
「…………はい」
ほんの1時間ほど前までは雨が降るとは到底思えないような快晴だったよな。俺も講義受けながら窓の外見てた。
天気予報も今日は晴れが保つって言ってたし、俺が傘を持っていたのはそれまでに痛い目にあってきた分疑心暗鬼になっていただけ。卯月が傘を持っていないのはなんら可笑しなことではない。
否。いっそ「可笑しいだろー!」と言葉通り不倶戴天に向けて全力でツッコミを入れた方が面白いのかもしれないが。
しかし、問題はそこじゃない。
「けどお前、もうすぐ講義だよな?」
そう、卯月は登校中に急な雨に見舞われたのだ。
下校中であるならば雨に濡れたところで、と雨粒に晒されながら全力ダッシュするのも一興だろう。
だが、ずぶ濡れで大学行くのはおススメしない。絶対ひかれるもん。
かといって1度家に帰ってから濡れた服を着替えて、改めて雨具を持って大学へと向かうには時間がない。
この問題を解決方法は1つ。
俺はさしていた傘を閉じ卯月に差し出す。
「使えよ。講義に間に合わなくなるぞ」
「か、借りられませんよ! センパイが濡れちゃいます!」
「別に構わねーよ。どうせ家に帰る途中だったし、直ぐにシャワー浴びるから」
まっ、卯月の性格上、そう簡単には受け取ってくれないよな。
「風邪引くかも……」
「こんくらいの雨に濡れた程度で風邪なんて引くわけないだろ」
「でも――――……」
この後輩、存外にも意固地だ。
これ以上堂々巡りをしては、講義に間に合わず元も子もなくなってしまう。
「だーかーら! 俺の心配はしなくていい。こういう時はありがとうの一言で受け取るのが、先輩を立てるってもんだぞ」
「あっ」
卯月の手を掴んで強引に傘を握らせる。念を押すように傘を持った手を更に上からグッと握って速攻返品不可の意思を乗せて。
気分は有名アニメ映画に登場する、田舎の小学生が傘を忘れた同級生の女子に無言で傘を渡すシーンの如く。ならいっそのこと、行くとこまで真似てやるのも一興か。
「講義遅れるなよー」
「センパイっ!」
俺は雨の中へと飛び込み、全速力で自身の家へと向かった。
**********
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
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