第79話【だから言ったじゃないですか】


『風邪引いたんで、しばらく大学休みます』


 ボーっとする頭でどうにかその一文を打ち込み、文芸部のグループチャットに送信。

 役目を果たしたスマホをベッドへと送り届けてから、俺はベッドに上に横たわる身体を弛緩させた。


 ――――ぶえっくしょん!

 

 バカでかいクシャミが一人暮らしの部屋に木霊する。

 風邪引いちまった。

 いやはや昨日、傘もささずに雨に濡れて帰っただけで風邪になろうとは……。俺も歳か。けど風邪が引けるってことは俺は馬鹿ではないことが証明されたな。フッ……。

 どうやら今の俺は相当思考レベルが落ちているらしい。


 さっき測ったところ熱はあったのだが、少々寒気と頭痛がするだけ。……あと鼻詰まりが酷いか。

 今のうちにぐっすり寝て回復すれば大事には至らないだろう。来週には復帰できるはず。


 高校までなら1週間も学校休めば、だいぶ授業遅れるだろうなぁ……って考えてただろうが、大学はその心配なくていいよな。

 大学は基本的に各講義1週間に1度。今週いっぱい休もうが講義の遅れはそれぞれ1コマ分しかないので気が楽だ。


「ああ……板書見せてもらわねーと」


 だからといって馬鹿にもできない。講師によっては中間、期末考査の問題やヒントをちょろっと溢したり、板書に残したりするからな。

 全部は無理でも、せめて文芸部の連中みんなも受けてる講義の板書くらいは補いたい。

 筋肉痛に似通った節々の痛みに耐えながら、再びベッドヘッドに置いたスマホへと手を伸ば――――。

 

 ピーンポーン。


 刹那、俺ん家のインターホンが鳴らされた。

 誰だ? とは思わなかった。というより考えてなかった。ただ呆然と玄関の方へと顔を向け、そういえば鍵開けてなかったな、なんて考えてたくらい。

 その間もピンポンピンポーンと重ねて鳴らされる音に急かされるように、俺はベッドから立ち上がって玄関へと向かった。

 マスク付けてねーや。なんて思い立ったのは後の祭り。なんの警戒心もなく玄関の鍵を開ける。

 ――――ガチャ、という開錠の音がした途端扉が開け放たれ、外から1つの人影が飛び込んできた。


「センパイ!」 


 ああ……卯月か。

 大学はどうした? 今日は平日だぞ。

 簡素な色彩の玄関に加わった彼女の亜麻色の髪が妙なほど映える。

 卯月の服装はこの春から何度か見た事がある外行き……大学に行く支度をしていたのだろう。準備が途中だったのか髪が右の方だけ縛られており未完成感が漂っている。

 そういえば挨拶をまだしてなかったな。


「おはよう。さっき連絡したばっかだから見てないかもだけど、俺今日はやす――――」

「だからですよ!」


 俺の言葉を遮って卯月がえる。

 耳から入った彼女の声が頭の中で、あちこち跳ね回るように響いた。


「ぁ、す……すみません」 


 慌てて卯月が声を合わせて俺に謝った。別に謝る必要なんてないのに。


「私が来たせいで立たせちゃいましたがセンパイ、体調の方は……」

「幸いなことに少し怠いのと熱があるくらいだ。まぁ直ぐ治るさ」

「だからって安静にしないと駄目ですよ」


 さぁさぁと、俺をリビングの方へと向け背中を押してくる卯月。

 そんなに重体じゃないんだから心配しなくて良い。そう言って後輩を宥めると……。


「そうやって軽く考えて行動した結果、風邪引いたんですよ」


 ごもっともで。

 正論正確正答にして正鵠を射た完璧な返しに、俺はぐうの音も出なかった。

 後輩になされるがままに背中を押され、あれよあれよという間にベッドに寝かされた。

 そこまではまぁ……良しとしよう。病人に対して適切な対応だし、俺だって卯月の立場なら同じことをした。が、問題はそこじゃない。

 枕に頭を乗せ、天井と睨めっこしていた顔を横に傾ける。

 あるじに使える仕様人のような雰囲気を纏った卯月が、していた。

 改めて彼女の格好を確認。ばっちり決めた服にセットの途中と思しき髪。どう考えても大学に行く支度をしていたっぽい。 


「卯月ありがとな。俺は良いから大学行けよ。今日は2コマから講義だったろ?」

「ヤです」

「なんだよそのガキっぽい拒否の仕方」

「嫌なんですもん。寝込んでいるセンパイを放っておくなんて私にはできません」

「頼むから行ってくれ。お前が講義出ないと誰が俺にノート見せてくれるんだ」

「私の心配は!?」


 だって卯月お前、感情論より損得論で話した方が納得してくれるじゃん。

 しかも俺が遠慮しての言葉ではなく、本当に助かるから言ってるとあれば、彼女の意思も揺れよう。

 俺の身を案じてくれる優しさと、俺の願いを答えようとする真摯が拮抗しているのが、卯月の何とも言えない表情からわかる。悩む時間が長いほど俺の胸の内には暗澹とした罪悪感が増していく。

 分かっててやったんだけど、卯月の誠実な心を利用してるってことだもんな……。


「…………わかりました。大学行ってきます」

「おう、気をつけてな」


 苦渋の決断の末、卯月は渋々仕方なくマジで心底根負けしたような声色で、俺の願いを聞き届けてくれた。

 

「でも辛くなったり、寂しくなったら直ぐ連絡下さいね」

「ああ。その時は頼らせてもらうよ」

「何でもなくても呼んでくれていいですからね」

「何でもないなら呼ばねぇよ」

 

 玄関までの短い距離を牛歩で進む卯月は、俺には全くこれっぽっちもそんな気はないのに、後ろ髪を引かれているような顔でチラチラと見てくる。

 うーん…………。


「卯月」

「はい! なんです? やっぱり傍にいて欲しいんですか?」

「そうじゃなくて。そっちの棚の右から2つ目の引き出し開けてくれないか」


 パブロフの犬よろしく、飛んできた卯月に指示を飛ばす。

 元から期待していなかったのだろう。なんだぁ……と、芝居掛かった動きで落ち込むも、卯月は俺の頼み通り棚にある引き出しを開けた。

 その引き出しは貴重品入れとして使っている。

 あいにく金庫なんて大仰なモノがなくて、セキュリティ面が心許ないが部屋に入れる奴は限られているので、盗難の心配は薄い。


「そこに鍵あるだろ。この部屋の鍵」

「あ、はい。あります」

「それ外から鍵かけて持っていてくれないか?」

「…………っ!」


 きょとんと放心した顔から一瞬にして驚嘆。そりゃ1度失くした卯月からすれば、鍵の重要性は言うまでもないよな。

 けど、だからこそソレを預けるということが、どれだけ彼女を俺が信頼しているかの証明となる。


「このままだと一眠りしそうでさ。悪いがお前を見送って鍵をかけるのもできなさそうなんだ」


 ――――頼めるか?


 目で問うと、卯月は畏まったように。されどどこか嬉しそうに大きく頷いた。


「はい! 任せて下さい!」



 **********



【蛇足】


 ここまで読んで下さっている時点で勘違いなどはないかと思われますが……。

 拙作は〈逃がしませんよ(監禁)、センパイ〉にはなりません(笑


【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

 非常に励みになります!

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