第76話【飯屋の息子にも意地はある】


 人んの風呂ほど居心地の悪い風呂はないと思う。

 自分が借りている部屋の浴室とは雲泥の差を誇る、広々とした湯船に浸かりながらふと思考に耽る。


 場所は赤羽根さん家の風呂場。

 最寄駅で柊さんが傘を持ってきてくれはしたが、程々に濡れていた俺と卯月を赤羽根さんは風呂を沸かして出迎えてくれていた。

 テコでも動かんと鋼の意志をもって、先に卯月に入らせたので時刻は20時を回った頃だろうか。


「さて、いつ出るべきなんだろうな……」


 真っ白な天井に向けてごちた言葉は、思いの外浴室内で反響した。良い風呂だとこんな響くのか……。

 しかしながら呟いた悩みは意外と馬鹿にならないんだよ。

 人の家の物なんだから、そう我が物顔で長居するのは良くない。かといってせっかく沸かしてもらったのに、満喫せずに出てしまうのも気が引ける。

 なんだこの絶妙な塩梅を求められなくちゃいけないんだ。


「…………と、コレも危ない危ない」


 己に喝を入れようと湯船に溜められている乳白色のお湯を手で掬い、顔に掛ける寸前で思いとどまる。このお湯、さっき卯月が入ったんだよな……。控えた方が良さそうだ。

 手で作った椀いっぱいに溜めたお湯を湯船に戻す。

 若干のとろみとバニラフローラルの香りがするお湯は、言うまでもなく入浴剤が使われている。ウチなんて残り湯で洗濯機回すから、冬でも各日にしか使わないぞ。

 小さな嫉妬混じりの感謝の念が胸に灯る。


「トウマっちー」

「は、はい!」


 不意に曇りガラス扉越しに声をかけられた。この独特な呼称は柊さんだ。

 

「服乾いたから置いとくねー」

「ありがとうございます」


 それだけ言うと、曇りガラス越しのシルエットが消える。

 どうやら図らずとも、風呂から出るタイミングは訪れてくれたようだ。


 

 **********



 脱衣所には乾かされた俺の上着とTシャツが、服屋の陳列棚に並んでるモノさながらの綺麗な状態で置かれていた。

 元よりまだ本降りになる前に電車に乗れたので、さほど濡れていないズボンと下着は俺が浴室に入る前と同じ。

 ササッと着替えて、使えと言わんばかりにコンセントが挿された状態のドライヤーを拝借。髪をザッと乾かしてから3人がいるリビングへ歩を向けると、なにやら香ばしい香りが漂っていた。


「センパイ! グッドタイミングですね」

「赤羽根さん、風呂ありがとうございました」

「うん。こっちこそありがと。麻衣に見せてもらった動画、全部良かった」


 卯月に手を挙げることで返事。まずは赤羽根さんへお礼を言う。

 

 赤羽根さんはもう今日は作業しないのか、べったりとくっついた柊さんとタブレットを鑑賞していた。おそらく俺と卯月が撮ってきた動画の確認だろう。

 再び俺の関心はダイニングキッチンへいる卯月。正確には彼女が作っている料理へと向く。


「これは焼飯……じゃないな。この匂いガーリックライスか。付け合わせはコンソメスープ。結構ガッツリな晩ご飯だな」

「赤羽根さんからリクエストしてもらったんですよ。萌黄さんも食べたいって言ってくれてましたけど、ちょっとワイルドな料理なので意外でした」

「もっとSNS映えしそうなの予想してたか? おかず系パンケーキみたいな」


 お玉でコンソメスープを掬って玉葱の煮込み具合を確認する卯月。

 あてずっぽうで言ってやると、図星とでもいうような乾いた笑い声が帰って来る。


「萌黄さんはちょっと抵抗あるんじゃないかなぁって思ってました」

「あの人、コンビニのフライドチキン素手でいけるくらいだから、かなりワイルドだぞ」

「ホントですか……」


 ホントホント。クリスマス近くになったら毎日のようにチキン片手に部室に来るからな。

 

「それと……センパイ。1つ気になってたんですけど」 

 

 そう零す卯月の視線が、周りへと分散される。

 彼女の言わんとすることは容易に察せたので、俺は手っ取り早く答えを口にした。


「赤羽根さんは料理しないタイプの人だぞ。というか文芸部で自炊してるの俺だけだったし」

「あー……だからGWの時この前のお弁当、皆さん絶賛してくれたんですね」


 実家勢はともかく、一人暮らししてる連中の食生活が心配になってくる。

 まるで使われた痕跡がないキッチンを眺め、しみじみと思ってしまう。

 

「紅葉さん、萌黄さん、できましたよー」

「2人ともありがとー。お皿運ぶの手伝うねー」

「アタシも」


 完成したガーリックライスをよそった皿を赤羽根さんたちが運んでいく。

 原稿がデータで管理されてると汚れること気にせず、ワークデスクで食事ができるところも利点だ。さすがにスープをパソコンにぶっかけるのは御法度であるが。


「ん! メッチャ美味い! え、トウマっちレベルじゃん」

「スープも優しいのにしっかり味濃くて美味しい……うん。どことなく桃真の料理に似てて、アタシもコレ好き」


 どうやら3回生の2人には好評。

 俺と同レベルか……。たしかに卯月の飯は美味いが、仮にも定食屋のせがれとして素人と並べられるのは如何なものか。

 みっともないプライド意地なので口には出さないがな。


「えへへ……ありがとうございます。センパイもどうぞ」

「おう。サンキュー」


 卯月が器によそってくれたスープを一瞥。コンソメ独特の透き通った暖色のスープの中にはジャガイモ、玉葱、キャベツ、人参……と定番の具材が見て取れる。

 ふーん……パセリなんて散らして洒落たことを。

 などと界隈で有名な辛口コメンテーターみたいなことを考えながら器に口を付ける。


「あ、うまっ」


 即落ち2コマといい勝負するレベルで評価が逆転した。

 まぁ……うん、元から張り合う必要ないしな。むしろ美味い飯を作れる人間がこの世に1人でも多い方が良いじゃないか。

 ただ一言。これだけは言っておきたい。


「————負けないからな」 


 謎の宣言にキョトンとする卯月を他所に、俺は秒で飲みきったスープのお代わりに手を伸ばすのであった。



 **********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

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