第74話【弾丸取材だな】


 纏わりつくような生温い風が運んできた、枯れ草と排泄物……さらに清潔感を思わせない、俗に言う獣臭さが綯い交ぜになった臭いが鼻孔をくすぐる。

 嗅覚にダイレクトアタックしてくる情報を分析すると、余計に忌避したくなることしか分からないが、存外にも俺は顔をしかめなかった。

 いや、だからといって好きか嫌いかなら全力で嫌いって答えるよ。こんなウンコ臭。

 しかしながら人間とは不思議なもので、ただのウンコの臭いも時と場合によっては気にならなくなってしまう。


「次のお客様どうぞ。こんにちはー、何名様でしょうか?」


 目の前にいた子連れの家族がはけ、アクリル板越しからスタッフの女性に呼ばれる。

 場所は大学の最寄り駅から5駅離れた所にある動物園。その入場ゲートである。


 遡る事2時間前。

 赤羽根さんと柊さんも含め4人で昼食をしていた時のことだ。

 次に書こうと考えているマンガに使う資料が足りないと、赤羽根さんが悩みを吐露した。

 このネット環境が普及した現代で、資料くらい幾らでも手に入るのでは? それともポーズだろうか。

 後者の可能性は即座に抹消。

 昨今のイラストレーターの方々は“デッサンフィギュア”なるものを持っている。

 一糸纏わぬ姿の肌色をした無貌むぼうのフィギュア。全長15センチほどのソレはアニメやゲームキャラを精巧に再現した鑑賞用ではなく、むしろ人形といった表した方が良いのかもしれない。

 細部を注視すれば首や肩、肘……指までもが自由自在に動かる様になっており、可動域も人間の関節と同様。さらに余計な服などを纏っていないので、生身のモデル以上に身体の線が分かりやすい。

 そんな便利アイテムを赤羽根さんが持っていないなんてことは、当然なく……。

 素直に漫画家の卵である先輩の答えを待つ。

 その答えが――――動物。


「大人2枚でお願いします」

「はい、大人2枚で3000円になります」

「これで」


 差し出された釣銭トレーに赤羽根さんから経費として預かっていた5000円札を乗せる。数秒後、清算が終わると1000円札2枚になって返ってきた。


「本日は16時から小動物の触れ合いイベントもあるので、ごゆっくり。いってらっしゃい」


 笑顔が眩しいスタッフを尻目に俺は隣にいる卯月を伴って、入場ゲートを抜けた。


「それにしても……まさか今日行ってこいって言われるなんてな」

「たしかに、できることなら言って下さいって言いましたけど、ちょっと驚きましたよね」


 動物園に限らず、レジャー施設って普通朝から来るもんじゃないのか?

 そりゃ俺たちの目的は観光ではなく取材だけどさ……。

 

「それにしても若い男女で動物園に来てるんだから、スタッフの人もカップル割とか適用してくれたら良かったのに……」

「カップルじゃねー。つかカップル割ある施設の大半ってほぼフィクションだからな」

「え、ホントですか?」

「ホントホント。そりゃカップルとか新婚夫婦に客層絞った店とかならあるだろうけど、こんな万人受けかつそこそこ歴史のある動物園じゃねーだろうよ。割引なんて団体客用くらいじゃねぇかな。1人1500円を20人以上の団体ならそれ以降を1人につき2割減とか」

「うわぁ……高校で散々やったタイプの問題だぁ。今じゃもう解けませんよ」

「ついこの間まで高校生だったから行けるだろ」


 それに卯月のことだから100パーセント謙遜だろう。

 彼女が積み重ねて来た努力は、ちょっとやそっとのブランクで頭から零れ落ちてしまうほどヤワじゃない。台所の頑固な油汚れの如く脳内にこびり付いているはずだ。


「仕方ありません。カップル割の定番。証明のキスはまた今度の機会にします」

「そんな機会は訪れないから安心しろ」

「ほぉほぉ、センパイはみんなに見せびらかすより独り占めするタイプのキスを御所望ですか……むっつりさん」

「その頭掴んで山羊のウンコまみれの地面とキスさせてやろうか」

「アハハッ、冗談ですよ。今回は動物園デートを楽しむことにします」

「デートじゃねー。取材だ取材。それもあと3時間したら帰らなくちゃいけない弾丸取材」


 ウザくないと言えば嘘になるが、止めどなく軽口を叩き続ける卯月との会話を心地良いほど弾ませながら、俺たちは園内の散策へと乗り出した。



 **********



 ゾウにトラ、シマウマ、ターキン、サーバル――――。

 スマホのカメラに収めた動物のフォルダを整理しながら卯月に問いかける。


「あと何撮りに行けば良いんだっけ?」

「ウサギとパンダさんですね」

「パンダは無理だな。飼育してる動物園限られてる」


 見限りの一言を吐き捨て、休憩にと寄ったフードコートで買ったドリンクで口を湿らせる。どこにでも売ってるジュースなのに割高なのは観光地価格だとわかってるけど、こう……何とも言えない気持ちにさせられる。

 赤羽根さんからは交通費として預かったお金の残りを駄賃にして良いと言われたが、とても園内フードコートここで使いたいと思えない。


「でしたら後はウサギさんだけですね。ちょうど触れ合いイベントの始まる時間ですし、行きません?」

「そうだな。普通に小動物コーナー行く予定だったけど、そっちの方が近くで動画撮れそうだ」


 俺たちに課せられたミッションは動物の動画。

 赤羽根さん曰く、「ネットに流れている動画は綺麗過ぎるし、作られた映像感が強い。なにより短い」。だからド素人の俺と卯月に動物園でなるべく長尺動画を撮って来てほしいとのこと。

 興味本位で「撮ってくる動画でどんなマンガにするんですか?」と問うてみたら「獣人のバトルマンガ」と答えられた。獣人好きだなあの人。

 しかたないので今回撮れないパンダは、中国拳法を扱う動物たちが活躍する有名映画で代用してもらおう。

 そんなことを卯月と話しながら、俺と卯月は触れ合いコーナーへと赴いた。


「わぁ……センパイセンパイ! モフモフですよ!」


 膝の上に乗せたグレーのウサギを一撫で、卯月が興奮気味に簡単の声を漏らす。

 園の一角に設けられた触れ合い広場は思いの外大きかった。もっとこう……ショボッ! ていうモノだと予想してたから、良いことなんだけどな。

 

「膝の上じかに乗ってるけど、爪食い込んだりしてないのか?」

「手入れしてもらってるみたいで全然痛くないです。強いて言うと掌がちょっと固くてザラザラしてるのがくすぐったいですけど」


 話してる間にもグレーのウサギは卯月の膝から降りようとせず、小さな首を愛らしく右往左往させている。あ、なんか白いウサギも寄ってきた。


「わっ! この子たち仲良しなのかなぁ」


 新たにやってきたウサギは、元からいたグレーの奴と卯月の膝を1本ずつ分け合うと、その場で互いの身を擦り合わせて毛づくろいを始めた。

 絶好の撮影チャンス。

 こういう別個体同士の掛け合い映像が撮れてたら、赤羽根さんも喜んでくれるだろう。

 幸いなことに俺に構ってくれる小動物は1匹もおらず撮影に専念できる。……チクショーが。


 その後も触れ合いイベントは滞りなく済み、赤羽根さんたちも満足してくれるであろう分の動画を撮ることができた。俺に見かねたスタッフが餌やり用の野菜を手渡してくれた時には、思わずホロリと涙を零しそうになってしまった。

 

 スタッフのホイッスルの音を機に、イベント参加者と戯れていたウサギやカビパラたちが整列を始める。


「うわっ、スゲェ抜け毛」

「あ、ホントだ。ウサギって毛の生え変わり早いのかな……」


 2羽のウサギに占領されていた卯月の膝の上には、これでもかと言うほどのグレーと白の抜け毛が付いていた。

 ショートパンツだったため服への被害はほぼない、なにより糞を投下されてないのでマシなんだろうが。


「…………」

「センパイ……?」


 目を細め卯月の膝……太腿へと視線が吸い込まれる。

 うっすらと鍛えられてた筋肉が見て取れる一方で、その筋肉を覆い尽くさんばかりの、丸みを帯びた肉。不本意ながら1度そこに頭を乗せたからこそ、脳裏に如実な感触が蘇る。

 全体的に細身の卯月がシルエットのバランスを保てるギリギリまでの太いソレに、我が物顔で散りばめられた畜生の抜け毛。なんか……気に食わん。


「セーンパイ」

「っ!? 悪い、ボーっとしてた」


 ハッとすると何故か卯月が顔をニマニマさせていた。なんだ? 俺の呆ける姿が笑えるほど滑稽だったのか?


「センパイが仰るならいつでも使ってお貸ししますね」

「な、何言ってんだお前!」


 ポンポンと自らの太腿を叩く卯月の言わんすることを察し、俺は全力でツッコミを入れた。



 **********



【あとがき】


 拙作をお読み頂きありがとうございます。

 面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ評価応援、感想など頂ければ幸いです。(☆1つでも是非……)

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