第70話【怪しい時は傘を持つべきです】
往々にして楽観的な見通しほど外れることが多い。
キャンパスのエントランスで、鉛色の空から絶え間なく降り注がれる雨を眺めながら柄にもなく黄昏る。
講義のある日に雨に見舞われるのは久しぶりだ。
正確に言えば傘を持ってないタイミングで、雨に出くわすのが久しぶりなのだ。
それも家を出る前に雨が降る予兆があったにも関わらず、傘を持って行かなかったとなれば、なおさらやるせない。
くっ……今日は1コマしか受けないから大丈夫だと思ってたのに。
高を括っていた自分が10割悪いんだけどんさ……。
「購買に傘売ってたっけ……」
呑気な俺とは違ってしっかり傘をさして登校する学生らを視界に移しながら、ポツリと零す。
今はまだ2限が終わったばかり。下校より登校する学生の方が多い時間帯だ。
ここでいてもしょうがないし、学食で昼飯食べて時間潰して、それでも降ってたら購買に寄ろう。傘って使い潰す様なもんでもない上、地味に高いから買いたくないんだけどなぁ。
「センパーイ、お待たせしました」
「別にそんな待ってないぞ」
後方から卯月がトテトテトテと、小動物を想起させる足取りでやってきた。卯月は1限から講義あったので、今日会うのは初だ。
「もー、センパイまた恋人みたいなセリフ言っちゃって……なりたいなら、そう言ってくださいよ」
「社交辞令だよ。ホントは10分くらい待った」
「切り返しが鋭い! あとすみません!」
歯に衣着せぬ言葉を吐いてやると、卯月からオーバーリアクション気味のツッコミが入った。
それでも続けざまに謝罪の言葉を口にするあたり、やっぱり生来の真面目さが顔を覗かせている。ツッコミながら謝るとは地味に器用なことを……。
ギュッと目を瞑り両の掌を前に合わせる彼女の、無防備な額を小突く。
「そんな怒ってねーよ」
「えへへ、だと思いました」
なんで小突かれたのに表情緩めてんだ?
俺の中でM疑惑がかかった後輩は、ひとしきり笑うと先んじてエントランスから外へと歩を向ける。その手には無地と思しき黒傘が握られている。
「さっ、大学も終わったことですし帰りましょ、センパイ」
「…………」
「センパイ……?」
女性1人を守るには十分な大きさの傘を広げ、雨の中へと踏み出した卯月は、俺が付いてくる気配がないのを察知してか、くるりと踵を返した。
いまだに雨除けの屋根の下で立ち尽くしている俺と視線が交錯する。亜麻色の双眸から放たれる訝しむような視線は、俺の目の高さから徐々に下がっていき、最後に挑発的なモノに変じて、再び元の高さに戻った。
「もしかして傘忘れたんですか?」
「1コマしか受けないから天気持つと思ったんだよ」
浅はかなことこの上ない言い訳を吐き捨てる。
「もー……それならそうと言ってくださいよ」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ。
「いえぇ別に? でもセンパイはラッキーじゃないですか。目の前に頼れる可愛い後輩がいるんですからぁ」
ニンマリとした恍惚さすら感じさせる瞳から、そっぽを向いて視線を切る。
絶対こうなると思ったから、言わなかったんだよ……。
いっそのこと雨の中ダッシュで帰ってやろうかと、自棄っぱちな思考と羞恥心を抑え込み、俺はわなわなと震える口を開く。
「そ、その……なんだ……。良かったら……傘入れてくれないか?」
「————はい!」
満足気に頬を緩めた卯月は、まるで褒められたかのような気持ちの良い返事で傘に入れてくれた。
**********
結論から言うと滅茶苦茶恥ずい。
これまでも色々と恥ずい経験はしてきたのだが、今回のは周知の目があるという状況がとてつもなく辛い。
傘を持っているのは身長の関係上、俺。
普段から並んで歩くことも多く、歩幅を気にするようなことはない。
「私たち……他の人からはどう思われてるんでしょうね」
「さぁな。親子とかじゃないか?」
「そこは嘘でも恋人とか新婚夫婦とか言ってくださいよー」
「あいにく嘘は吐けない
「既にその言葉が嘘っぽい!」
失敬な。
俺が吐くのは嘘ではなく冗談だ。嘘というのは目的の善悪がどうあれ、人を騙すためのモノ。一方、冗談は親しき仲の人とのじゃれ合いの1つなんだ。嘘なんてものとは前提から全くの別物である。
「そもそも新婚夫婦はちょっと無理があるだろ」
「むぅ……身体はもう大人なのに」
「そういうことじゃないんだよ。そもそもお前は、いや。俺でも雰囲気が違う」
俺、おそらく卯月も既に第二次性徴は終わっている。
これから大きく身体が変化することはない以上、その点においては大人と言えるだろう。だが俺たちには若者特有のフレッシュさはあっても、社会人のような貫禄というか……落ち着いた雰囲気を纏えていない。
つくづく大人になるまでの過程の長さに驚かされる。
「だったら……これはどうですか――――!」
「…………っ」
言うが早いか、卯月が傘を持っている俺の腕に自らの腕を絡ませてきた。
最近暑いせいか、どちらも薄い服を着ていたので彼女の腕の柔らかさや肌の温かさがほぼダイレクトに腕に伝えられる。
「な、なにやってんだお前」
「えへへ、親子ならこうやって甘えても大丈夫ですよね」
「俺が親に見えるとは限らないだろ」
「私の方がセンパイより老けていると!?」
「俺だって老けてみられるのやだよ。つーか、は・な・せ!」
雨が上がっているのも気付かずアホみたいな喧嘩をしている俺たちは、周りの人からは“兄妹”に見えたかもしれない。
**********
【あとがき】
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