6歩目 頼ってください、センパイ
第67話【追憶:梅雨】
「さて、これからどうしようか……」
鉛色の雲で隙間なく埋め尽くされた空。そこからザーザーと低音の音楽を奏でながら止むことのなく降りしきる雨を眺め、俺は誰に言うでもなく呟いた。
たしか今年は例年より梅雨入りが早いと予報されているのをテレビで見た覚えがある。だというのに「大丈夫大丈夫」と高を括って傘を持たなかった結果がこの様だ。
先ほど完全下校を知らせるチャイムが鳴ったので、時刻は
2年になってから新たな日課となった、卯月さんとの勉強会を図書室で行っていたのだが、司書さん曰く「雨酷くなってきたから、ほとんどの部活は早く切り上げて生徒を帰したそうよ」とのことらしい。できることなら雨脚が激しくなった時点で教えて欲しかったものだ。
「1時間程度じゃ止みそうにありませんね」
隣で俺と同じく空を見上げていた黒髪の1年生……卯月さんがボソッと零す。
こうして校舎で雨宿りをしてる所を見るに、彼女も傘を持ってきてないようだ。
どうしたものか……。
「親に連絡して迎えに来てもらうとか無理そう?」
「無理ですね。というよりウチ車ないので」
「俺ん所はこの時間だと忙しくて無理だろうなぁ」
絶望的な状況確認。
迎えが望めないなら自分たちでどうにかするしかない。が、完全下校時刻を過ぎた今、俺も卯月さんも友達が居残ってる可能性は限りなく低い。
手っ取り早いのはずぶ濡れ覚悟の駅まで全力ダッシュ。……いや無理だろ。
浮かんだのと同時に、俺はその選択肢を自ら否定した。
高校から最寄り駅まで歩いて20分ほどだが、この豪雨で傘をささずに出れば1分と経たずに何もかもグショグショなのは必定。言うまでもなくバッグに入れてる教材類も使いモノにならないレベルで濡れることだろうに。
なにより風邪を引く可能性が恐ろしい。
来週には1学期の中間考査が始まる。推薦入試を狙う卯月さんにとってこの定期考査は何より重大なことだ。
学年が違う俺は彼女が自習している様子しか知らないが、それでも気合入ってるのはわかる。そんな今少しでも彼女のコンディションが落ちる事態は防ぎたい。もちろん風邪で休んで追試なんてのは論外である。
その時点で俺が取るべき行動は自ずと定まっていた。
「何してるんですか? 天沢先輩」
「ん、ちょっとそこのコンビニで傘買ってこようと思ってさ。卯月さん、俺の鞄とか見といてくんない」
背負っていたリュックを降ろし、学ランを脱ぐ。6月間近だというのに雨降ってるせいかTシャツだけだと肌寒いな。
「わざわざ濡れるのに傘を買いに行く意味あります?」
「…………」
雨の中に飛び込む支度をしていた俺に、卯月さんの質問が投げられ思わずビクッと肩を震わせてしまった。
いやぁ……実に聡い。
「俺は濡れてるし卯月さんが傘使いなよ」とか適当言うつもりだったんだが、どうやらこの様子だと俺の魂胆は見透かされてるっぽい。
「この雨だとお店に着いた頃には傘さす意味ないくらい濡れますよ」
「そうだよな……」
暗に行く必要ないと伝えられ、俺は地面においた学ランを拾い上げる。出したばかりのやる気が秒で空回った感じで情けない……。
結局振り出しだ。詰みと言っても良い。
雨は止むことを知らず、俺たちにできることもなく。ただただ無意味に時間だけが浪費されるだけ。
6限の授業を受けてからの2時間の自習で、さすがに頭も疲れているのか、俺と卯月さんの間に会話はなかった。……とも思ったけど普段から会話少ない方だったわ俺たち。
何も考えずボーっと空を眺めていると、
「お前たちー、そこで何してる。もう下校時刻だぞ?」
不意に離れた所から男の声がした。雨音にもかき消されない野太い声はあまり聞くことはないが、たしかに聞き覚えのある人物のもの。
「太田先生」
ある意味俺と卯月さんを引き合わせた張本人。ジャージ姿の大柄な男性教師は、ジャラジャラと幾つもの鍵を付けたリングホルダーを持ってる所を見るに戸締り中のようだ。
歩み寄って来る太田先生に小さく会釈。視界の端で卯月さんも頭を下げていた。
「この雨でもうみんな帰ったぞ」
「あー……いえ、それがですね……」
「なんだ、傘忘れたのか?」
俺たちを順に見て、現状を把握した太田先生は眉間に皺を寄せ思案に耽っているよう。
「よし、ちょっと待ってろ」
口にした頃には太田先生は俺たちに背を向け、職員室の方へと走って行っていた。
**********
雨の轟音が響く中、俺と卯月さんは歩調を揃えて駅を目指す。
2人の間には紺色の傘が1つ。先刻、太田先生が私物の傘を貸してくれたのだ。「1つしかなくて悪いな」と大柄な男性教師は苦笑いをしていたが、十分すぎるほどありがたい。
「卯月さん濡れてない」
「はい、問題ありません」
「歩くの早かったりしたら言ってね」
「わかりました」
身長的に傘を持っているのは俺。
腕が卯月さんの身体に当たらないようにするのは言わずもがな、肩同士の過度な接近も注意を払い、かといって離れすぎては卯月さんが濡れてしまう。難しい塩梅を保ち続けなくてはならない。
「課題はもう終わってる?」
「ええ。全教科済ませてます。それにそれぞれ3週してるので問題ないと思います」
「それは重畳。前にも言ったけど科学は問題集まんま出るし、数Aはちょっと数字弄ってるだけだから焦らずにな」
2人で同じ傘に入ってるせいか、うるさい雨音に反して卯月さんの小さな声は意外と聞きやすかった。
元より感情の起伏に乏しい卯月さんとさほど離れた場所から話すことはない。せいぜい今より2歩分くらい、あるいは机を挟んでが精々。しかし肩が触れるか触れないかのこの距離で彼女の声を聞くと、小さいだけで活舌はしっかりしてるし透き通ってるんだなと、新たな発見がある。
と、不意の事だ。
何を思ったのか卯月さんが突然、身体を俺に寄せて来た。
「な、なにを……」
「天沢先輩濡れてますよ」
互いの内側にある腕が制服越しに密着しているのも気にせず、卯月さんは俺の外側の肩を指さす。
パッドが入ってるため
「……ホントだ。まぁ1人用の傘だからな。ちょっとぐらい濡れても当然じゃないかな」
「ですが私は濡れてません。天沢先輩が私の方に傘寄せてくれてるからですよね」
「さぁ……そんなこと考えてなかったよ」
とぼけてみるが、刺すような後輩の視線は変わらない。
「傘を忘れたのは私自身の失態です。ここまで先輩に気を遣って頂く必要ありません」
「別に気なんて遣った覚えはない。というか俺だって傘忘れたんだし、借りた傘1人占めするほど面の皮厚くないもんでね」
「それは私だって同じです」
話は平行線。
雨脚はさらに強まり、俺たちと同じく駅を目指しているであろう会社員や、子どもたちが駆けていく。
「というかちょっと離れた方がいいよ。クラスの子とかに見られて変な誤解とかされたら面倒だろ?」
「色付きの傘で顔は隠れますし、なによりこの雨で周りを気にする暇がある人なんていませんよね」
「ごもっともな意見で……」
「それにもう到着したので今さらですよ」
駅に着いたところで、ヒョイッと身軽なステップで傘から出る卯月さん。閉じた傘の雨粒を振るい落とし、俺は反対のホームへと行こうとする後輩を追いかけた。
「卯月さん、コレ」
言いながら太田先生から借りた紺色の傘を握った手を前に。その意味はわざわざ確かめる必要など皆無。
長い黒髪を靡かせ振り返った卯月さんは、片手をを華奢な胸の前に出してキッパリと一言。
「結構です。天沢先輩が使ってください」
「俺は駅降りたら直ぐだから必要ないんだよ。だから卯月さんが使うべきだ」
「それでも……」
「君に風邪でも引かれたら俺がやるせないんだ」
本心から断言する。
努力が必ず報われるなんて甘いことは言わない。けど努力した者が報われて欲しいと思う心は間違いであるはずがないんだと。
きっと口に出せばロマンチストだ何だと
俺がやってるのはただのお節介、余計なお世話。彼女の
でも
「あ、傘は明日卯月さんの方から返しといて」
「…………それが狙いなのでは?」
「さぁ、何のことやら」
無理矢理、後輩に傘を手渡した俺は踵を返し、丁度やってきた電車に逃げるように乗り込んだ。
**********
【蛇足】
新章始めました、よろしくお願い致します。
まさかの60話ぶりに太田先生登場。
【あとがき】
拙作をお読み頂きありがとうございます。
面白そう、続きを読んでみたいと思って頂ければ
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